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バンドの演奏が終わり客席はもやっとした解放された気配をもってざわめいていた。ライブコンサートもちょうど終了した模様である。僕は後ろの方から客席の椅子が並ぶほうへと近づいていった。ライブが終わっても究極さんの後ろから見える頭はびくとも動かなかった。だからもしかしたら究極さんはライブを聞きながら椅子の上で体だけ直立にしながら実は寝ていたのではと思ったほどだ。後ろからちょこんと肩をたたいた。究極さんは特に驚くこともなく素直に振り向いた。

「あー。どうも」
「なんか・・・ニューヨークまで来ても、この場所もやっぱりどこかで見たような既視感があるね」
「それは左翼だからということかい?」
「いやー。歩きまわってる人の顔は、やっぱり同じダメな人の相が出てるね」
「ははは。それは階級的な同一性とか?」
「まー。そういうことかもしれないな」

僕はちょっと思いついた内容があって言った。
「ニューヨーク自体が実は全体としては、ダメな人の街なのかもしれないな」

ざわざわとする会場で、人々は隣のオードブルが出ているテーブルを囲み立食パーティーという状態になっていた。僕らも頑張ってその中へと話しかけに行くべきだったかもしれないが、二人の顔色には両方とも疲労の色が出ているようだった。

「確かにこの街には金持ちはいるしそれが結構多いはずだ。土地の値段だって物価だって高い。しかし街の全体から見た時はそれがやっぱり一部なんだ。」

「どこの都市でも金持ちとは本当は一部。その他大部分は労働者か貧しい人かダメな人かということか。」

「そうそう。都市というのはそういう状態にバランスをうまく作っていないと、逆に自由な空気も維持できないとかね。」

立食パーティーが一方で賑わう空間にあって、さっき僕が最初に遭遇した、ここニューヨークのひきこもりっぽい眼鏡をかけた小太りの少年は、やっぱり一人でいるほうが好きみたいで、特にライブが終わったことも関係なく、後ろのほうのテーブルでうろうろしているだけだった。しかしその少年にも、時おり声をかけて挨拶してくる顔馴染みの大人たちがいるようだった。

「左翼もいるにはいるさ。ここがアメリカ人の都市であっても。それなりの人口として左翼は残る。しかしそれは街の全体構造にとっては全然本質的な話ではない。貧しい人は多いし同等に中産階級の労働者も多い。街が自由な構造として機能し回転するためには、一定の流動状態としてそれらの層が維持されているということ。だから左翼はいても特に機能はしてないさ。人々は左翼的であるかあるいは道徳的であることよりも、まずは自分自身が自由であることをより多く求めるものだからさ。」

「どうする、今夜は?ここでしっかり地元の左翼と交流していくかい?」
周囲の空気を同じく観察していた究極さんも、こう言った。

「どうしようか?しかしもうなんか疲れちゃったな。ずっと俺たち歩き通しじゃない。朝から晩まで」

簡易なパイプ椅子に寄りかかりながら、僕も体中に溜まっていた疲労の熱い種を、なんとかして放出してしまって無しにできないかと、そんなありえないような安易な想像を、だらだらと期待してるような状態だった。このままここにいても外へ出かけていってもこの疲労に塗れた惰性の循環から、二人が抜け出ることはちょっと無理っぽい。そんな諦めにも似た快い虚無感に、異国の土地の人々がざわめく不思議な立食パーティーの会場で、僕らは自分自身を持て余していた夜だった。