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ブレヒトフォーラム。それはニューヨークで有数のマルキストスクール。70年代からその学校は存在している。場所も特に変わっていない。そんな記事を、僕はこの旅行から帰ってきて、ネットの中で調べてみて見つけたものである。だから僕らがこの交流スペースと遭遇したのは、夜の一部の時間だけだったが、昼間の時間から繰り返し訪れてみれば、ニューヨークの街ではマルクス主義の伝統がどのように今でも生きているのか、仔細にわたって観察できたはずである。究極Q太郎が、彼の勘で、幾つも折り重なっているビラの中から見つけてきた貴重な場所の情報だった。見事にその直感は当たり、ニューヨークのそれらしい場所へと僕らの足は既に到達していた。後ろではライブの演奏が続いている。僕は窓から顔を半分出してみて、外気の冷たい風で気分を冷やしながら、夜の闇に佇むマンハッタンのビルを見回していた。顔を向こう側に出しながらカバンの中からは煙草を探し出し、ライターで火をつけて暗い方向へ煙を吐き出していた。後ろではカントリー風に、フォーク風のバンド音楽が続いている。それは何も特に驚くような音楽ではない。特に感心するような音楽でもない。必ずどこかで前に聞いたことのあるような音楽だった。特別なひねりもない。普通の、アメリカ人ならやりそうな音楽だった。そして歌詞を載せている。よくは聞き取れないが、それらしいプロテストを歌っているには違いないのだ。ディランを基準にしてすべてがディランで終わっている。そんな風な音楽に空間の有様だった。そこから何か一つでも進歩したのだろうか。このビルのことでも、そしてマンハッタンの事情でも。ずっとこのままある種時間が停止したままのような有様で、左翼さえも左翼として、大都市の中で同じものをずっと繰り返していくのだろうか。

永劫回帰。60年代に完成されたスタイルの永劫回帰だから、それは永劫回帰の中でもかなりモダンな部類の仲間入りにちがいない。そんなことを考えさせるマンハッタンの夜警が広がっていた。そして僕の背後から流れてくるのは、ニール・ヤングのような声をしたおじさんのフォークソングプロテスト。煙草を一気に吐き出してから振り返ると、カウボーイハットを被ったおじさんが、ニール・ヤングさながらのパフォーマンスで、ギターを手にして弾き語り、バンドはしっかりその古風だが同時に都会風であるアメリカ人の男の存在感を、電子的な音としっかりしたドラムビートで支えていた。そうそう。この街の基準はあくまでもニール・ヤングか。あるいはヴェルベット・アンダーグラウンドか。あるいはジョン・レノンか。大体においてパターンはあまりにわかりやすいものである。この分り易さというか単純さもアメリカ人にとって共通する性質の一部なんだろうか。そう考えることは明晰でもあるが、かなり絶望的な気もするある種真実の在り方だ。これが現在でもニューヨークに住む、活動し、音楽も奏でるような、アナーキストたちの現実的な姿なのだろう。何も場所がニューヨークだからといってアナーキストの新しい発見があったわけではなかった。いかにも納得しうる、ありがちなアナーキストであり、街中の左翼的な人々の生態であったわけだ。