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そこはフロアを広くぶち抜いた贅沢な交流スペース。しかし所々このスペースが長く使われてきたことの年輪のような深い痕が、床や天井やソファやテーブルの数々至るところ確認されるといった、時間の厚みを感じさせる空間であった。フロアの奥では現在バンドが演奏中である。それはもう古い音楽でもある。60年代あたりのトレンドでも音楽としてここではもう古めかしく聞こえてしまうのである。ロックからみれば古い。ジャズからみれば新しい。しかし全体としてはそれがもう絶対的に古いというセンス。そんな音楽が鳴り響いてる空間でビルの一角。僕は間近でそれを見る気にはとてもなれず、フロア後方の休憩スペースと思しきソファのほうへまず向かった。ソファには一人だけ、僕と同じようにここで孤独を好んで選択してる人物とは、ここニューヨークにも生息すると思われる、地元のオタクでありひきこもりといった印象の青年だけであった。ソファの部屋の窓際に置かれていて窓は外に向けて開かれていた。換気してるようなものだが、ヒーティングシステムの強く効いている室内にとって、この外の冷たい空気との接点は、ありがたいもので、自分の心を相対化してニュートラルにすることができそうだった。ソファの隣にテーブルが出ていて、ちょっとしたオードブルに、ポテトチップス、チョコレート、そしてコーヒーポットがあった。ガラスのポットには熱いコーヒーが湛えられているのが見えて安心した。そこで自分のためにコーヒーを一杯カップに注いで、ありがたく前に持ち、窓際のソファに腰掛け、冷たい外気に顔を晒しながらここまで歩いてきて体に溜まっていた疲労の熱い塊を放出するようにしていたのだ。このソファで先客だった白人の内気な顔つきをした青年は、厚い眼鏡をかけている。なにかと眼鏡が落ちないように触ってみたりしながら、彼は落ち着きなく、ソファとテーブルの間を行ったり来たりするのだ。途中僕の前を跨ぐようにして通るので、僕もその度に腰を浮かしながら、なんだか考えが一定しないような不安定な男の子だなと彼のことを見ていた。この特徴的な落ち着きなさはダメな人のものである。日本でもこういう感じのダメな人を、僕と究極Q太郎はたくさん見てきたのだ。日本でもニューヨークでもやっぱり街に住む人というのは同じような階層を持っていて、こういうダメな人達が接続するしかないような場所に、僕らも日本では生活の接点を持ちながら暮らしていたのだろう。あらためてそんなことを自分に考えさせるようなシチュエーションだったのだ。そこは。