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ブレヒトフォーラムにやっと辿り着き、パーティーの参加料に10ドルを札で女性に払った。受付の記帳には一応自分の名前と大体の住所とインターネットのメールアドレスを書いておいた。横で、年配の貫禄あるがそれなりにきりりと透通った美しさのオーラを発するこの場所の女性は、存在感も逞しく、そういう僕の仕草を立って見守っているようだった。ライブは既に久しく前から始まっているようだった。やっている音楽は普通にアメリカ的なフォークソングにカントリー調のバンド演奏を乗せたものだった。席はぱらぱらと半分ぐらい埋まっているといったところ。後ろから究極Q太郎がそこにいないかを調べた。一人ぽつんとした席に腰掛け、静かに黙って垂直に立った頭を微動だにせず音楽演奏を見つめている究極さんらしき後姿を見つけることができた。その後姿が妙に礼儀正しく、やっぱりちょっとアメリカ人の雰囲気とは違い、こういうのが日本人の特徴なのかと改めて思ったぐらいだ。バンドは演奏をしている。プロテストソングのようなフォークソングといえば、今の時代にはもう余りに凡庸な感じもするものだが、ある種退屈ともいえるし、もしかしたら時間が止まっているのではと思わせるような、その既にどこかで聞いたことのあるような音楽は流れ続けていた。僕は、観客席のほうへはいかず、いっても何か落ち着いてそこに座っていられる自信がなかったので、スペースの後方で横の方には、パーティーの為のお菓子やらコーヒーやらが出ているテーブルにソファが備わっている空間があったので、静かにそちらのほうへとまず移動したのだ。バンドの演奏は、少し照明を暗くしたステージと観客席を作って、スポットライトで軽く演出しながらそれらしいステージを作っているが、ずっとそこから後方にあるソファのついたスペースは、窓際で、電気もそこだけ明るく灯してあり、人が適当に休めるスペースが設けられているものだった。広い交流スペースだった。ソファのほうには、僕以外には一人だけ、何の疲れを休めているのか、眼鏡をかけた小太りの若い白人男が、落ち着きなく、所在もなさげに、そこで一人だけお菓子を食べて頬張っていた。一人だけライブから外れてソファにいたその白人青年は、健康な顔つきではないが、かといって人が悪そうな気もせず、日本語でいえばオタクとでもいったほうがいいのか、何か引きこもりの内気な青年が、今夜はこの左翼的な交流スペースのパーティーに参加するために、普段は引きこもっている地元ニューヨークの自宅から出てきたというような感じだった。そしてこういう若い青年と接して交流することは、究極さんにとっても僕にとっても、いつも日本でやっているのと同様のことで、慣れたものだった。そういう僕らにとっては対応に慣れたような懐かしい気のする、内気そうな青年が、僕の他には一人だけ、この休憩用ソファには腰掛けていたのだ。