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究極さんからあらかじめ聞いていた話はこういうことだった。今夜はブレヒトフォーラムという場所で、ライブとパーティの催しがあるようだからそれに参加してみよう。参加費用は一人10ドル。そういう情報の書かれたビラを、究極さんが革命書店で見つけてきたのだった。死んだように静まり返ったビル内部のひと気のないフロアを幾つか潜り抜けて、鉄のシャッターの閉まった何やら不気味なフロアを開いたと思ったら、そこにはまた極普通の人間的な柔らかい光に包まれた部屋の存在が佇んでいるようだったという気がするものだ。今夜のこれまでの過程だ。ブレヒトフォーラムの扉を、前の白人男女が開くと、そこにはほっとするような人間達のいつもの暖かい気配と光と暖房の暖かさが、僕のところにも空気の移動として流れてきた。ここまでずっと冷たく暗いマンハッタンのアスファルトジャングルを孤独に歩き続けてきてオアシスに来たようなものだ。見回しながら再び出会えた人間的な安心感の空気を僕はざっと深く吸い込んでみた。中では確かに音楽の気配がする。フォークソングをバンドでやっているアンサンブルが流れてきた。部屋の内側に入ると、受付のテーブルがあり、ノートがあってそこに訪問者の名前と住所を書き込むようだった。奥では確かにバンドが演奏しており、椅子の席がその小さなステージを取り囲むように30個ぐらいは出ていた。僕らがスペースに入っていくと、ひとり女の人が出てきて、案内してくれた。中年というか初老といった感の女性だった。貫禄がある女性とも言えるがそれなりに綺麗なセンスに存在感がまとまっている女性だった。リベラルな街というのに相応しいような、中年からは上の部類に当たるような女性像だった。きっと60年代辺りからずっと左翼的な活動にニューヨークで携わってくると、最後はこんな感じの女性になるのではないかと想像させるような女のひとだった。アングロサクソンで、髪の毛は後ろで結び、タイトなズボンを尻から長い足には纏い、セーターを着ていて首元はタートルネックで丸く埋まっていた。女性の案内する手管は、慣れたものだった。後ろからはカントリー風バンドの音楽が流れ続けている。暖かい空気の光の下で。しかし弱冠はバンドの演奏を際立たせる為に、この空間の照明はしばらく低く落としているといった雰囲気。リベラル風な女性は演奏のことを意識して小声で話しかけ何かを早口に捲し立てていた。必死に喋っているこの女性には悪いが僕には何を言ってるのか、小声なのと早口なのとでずっとよくわからなかった。だがこういう時には意味がわからなくてもわかってるような顔つきで聞いていなければならないものかとも思っていた。そうでないと何かを一生懸命早口に説明する左翼風の女性にはすまないような気がして。