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それなりに古い原始的な気もするエレベーターは、ゆるゆると上昇をはじめた。僕を伴ってビルの施錠を通してくれた白人の男女は中年で、それぞれジャンパーにセーターにマフラーを羽織り、季節柄の寒さに対応するような出で立ちで、彼等の後姿を見ながら、箱のなかで僕は後ろに立っていた。重いような電子音をたててエレベーターがあがっていく。ちょっとそれが日本のエレベーターと比べて奇妙だったというか幾分原始的でシンプルで、かつ雑な気がしたのは、エレベーターの箱自体には前の開閉する自動扉がついておらず、入口の側面はそのまんま開けっ放しの状態で、エレベーターは動き、上がっていったのだ。だからそれぞれのフロアを通り過ぎるたびに、その階の廊下がどうなっているのかが直接目に入ってしまう。どこも静かで人の気配のないフロアが幾つか続いた。そしてブレヒトフォーラムというスペースのあるフロアに辿り着いたときは、目の前にその階だけシャッターが降りていたのだ。エレベーターを手動のスィッチで止めた前の白人男性は、シャッターを、要領を知っているようにガラガラと音を立てて開けた。僕も遅れないように箱からフロアの方へと前に足を踏み出した。シャッターのすぐ目前にはもう一つ、木製の扉があって、そこには「China and United States Trading Bureau」と小さく書かれた看板が目の前にはってあったのだ。僕はすぐにこのフロアの意味を理解したが、ここは間違いなく、親中国系で左翼系のスペースであり、エレベータの出口に鉄のシャッターが取り付けてあったのは、この左翼スペースを敵の襲撃から守るためであり、たぶんけっこう昔の時代、それはたぶん70年代ぐらいからこのスペースはそういう感じでこのマンハッタンの街の片隅に存在しているのではなかろうかということだった。