16-6

そこはフロアを広くぶち抜いた贅沢な交流スペース。しかし所々このスペースが長く使われてきたことの年輪のような深い痕が、床や天井やソファやテーブルの数々至るところ確認されるといった、時間の厚みを感じさせる空間であった。フロアの奥では現在バンド…

16-5

ブレヒトフォーラムにやっと辿り着き、パーティーの参加料に10ドルを札で女性に払った。受付の記帳には一応自分の名前と大体の住所とインターネットのメールアドレスを書いておいた。横で、年配の貫禄あるがそれなりにきりりと透通った美しさのオーラを発す…

16-4

究極さんからあらかじめ聞いていた話はこういうことだった。今夜はブレヒトフォーラムという場所で、ライブとパーティの催しがあるようだからそれに参加してみよう。参加費用は一人10ドル。そういう情報の書かれたビラを、究極さんが革命書店で見つけてきた…

16-3

それなりに古い原始的な気もするエレベーターは、ゆるゆると上昇をはじめた。僕を伴ってビルの施錠を通してくれた白人の男女は中年で、それぞれジャンパーにセーターにマフラーを羽織り、季節柄の寒さに対応するような出で立ちで、彼等の後姿を見ながら、箱…

16-2

歩きがマンハッタンの繁華街から遠ざかるにつれて他に人間が通るのも見かけなくなってきた。夜であり風が吹いており歩く自分を取り囲んでいるのは文字通りのアスファルトジャングルである。夜の時間といってもまだ浅く、決して人が途絶えなくてもよい時刻で…

16-1

さっきのポルノショップから逃れるように早歩きで退散をきめながら、夜の街に吹く風を体で切り分けるように歩いていった。マンハッタンでいま夜の帳に降りてきている風は、冷たい流れと温い流れが二つとも少々混乱しながら交じり合っているようなもので、夜…

15-7

天井から注ぐ安っぽく虚しいような白い電光の下にはずらりとポルノのDVDが詰まった棚が並んでいた。棚はジャンルに分かれそれがどんなものなのかランダムに手にとって見てはまた元の棚に戻していた。ダーティという形容詞が洋物の、特にアメリカ産のポルノに…

15-6

まー別に何のことはない。この店にあるポルノはごく普通のポルノだ。何の変哲もなく何のひねりもない。よくあるDVDのビデオによくありがちなグッズ。それだけだ。これは特に個性的な店でもない。奇妙な場所にポルノショップを見つけることがよくあるものだ。…

15-5

夜のチェルシーに見え隠れしながら浮かんでいる街並み。東京で言えば新宿歌舞伎町界隈のようなものであり少し歩けばタイムズスクエアの大きな交差点にもぶつかる。だからそういうシンボリックな中心から少しだけ隔たったエアポケットのような空間が漂う場所…

15-4

画面の中では週末の為に行われる大規模なイラク反戦デモのオルガナイザーが延々と何かを喋っていた。オルガナイザーの男は眼鏡をかけていて運動の現場ならばどこにでもいそうな男だった。地味な顔をした学生かインテリ。ただそのどこにでもいそうな人がしっ…

15-3

「そもそもニューヨークにカラオケ屋なんかあると思ったかい?」究極さんが僕の発言を思い出したように言った。「あれっ。カラオケは今や世界の共通言語じゃないのかい?今ではどこの国いってもやっぱりカラオケやってるしカラオケ屋もあるはずだ。もちろん…

15-2

百年以上ここチュルシーの一角で建っているはずという古い石造りのビルディングで、一階で一番奥にある細長いホテルルームは、ベッドが二つ壁にそってやはり細長く並べられており、部屋の最も奥には大きな窓があって外には猫の額のように小さな庭らしきもの…

15-1

その日の夜はチェルシーの一角で宿を取ることにした。といっても飯塚くんはやっぱり村田さんの家に泊まることは決まっているので、究極Q太郎が、地球の歩き方マップと対話するのに応じて、僕らにとって手頃そうな宿を決めてもらった。大きな繁華街だが新し…

14-4

店の通り側に面した窓ガラスの辺りには、グッズが並んでいる。そこにはチェ・ゲバラの顔が入ったポピュラーなTシャツや、何かスローガンの入ったキャップなどが普通に売られている。そして様々なフライヤーが何枚も置かれている。それらフライヤーにはニュ…

14-3

「ねぇちょっと。あそこの女の子。あの子さっちゃんに似てないかい?」背の高い古いにおいのする木の本棚からアルチュセールの英書を手にとって眺めていた究極さんの背後で僕は言った。「どれどれ?」 究極さんはそっちの方向へ目を向けた。 「ほんとだ。似…

14-2

フロアの中央ではけっこうな旧式ストーブが火を灯しているのが見える。脇のテーブルにはコーヒーを入れられるコーナーもあった。ストーブと小さなやはり古いラジカセを囲んでソファが一回り置いてある。そこのソファでは客たちが寛いで雑談できるようになっ…

14-1

チャイニーズの遅めのランチを終えた後、僕らはまたチャイナタウンから歩き出し、マンハッタンの賑やかな街の方向へと歩き出した。空はよく晴れていたが気温はずっと低く、風も強く、少し歩き出してきつくなりそうだったら、ところどころモグラの穴ぼこのよ…

13-7

「なんかニューヨークで店に入るたび、あっ!ここも時間が止まってると思うんだけどな」ビルの中階に構える鄙びたチャイニーズレストランの閑散とした店内を見回しながら僕は言った。「それはぼくらが安そうな店ばかりを選んで入ってるからじゃないの」究極…

13-6

村田さんがよく使っているというチャイニーズレストランに導かれていって入った。ビルのフロアをエレベーターで上ったところにあるのだが、昼下がりのこの時間帯に、ランチタイムのピークはとうにすぎ、広いスペースに丸いテーブルの幾つも埋まっている店内…

13-5

失踪する、消滅する、蒸発する、突然いなくなる、夜逃げする、…。人が急に消えていなくなることについて、世間の言い方は色々あるだろう。究極Q太郎が突然いなくなってしまったことについて、どのように表現すればよいのかいまだ言い方に迷うものだ。何か思…

13-4

「横浜の中華街と比べたらここはえらい違うね」郵便局の列に黙って並ぶ究極Q太郎の後姿を眺めながら僕は言った。「横浜の中華街だったらキラキラ輝いてるもんね。しかしここは余りにも泥臭すぎる街だわ」首をマフラーでグルグル巻きにして紫のコートに厚く…

13-3

上空を見上げると壮絶な程に色は青く、身を切るように冷たい風の吹きすさぶマンハッタン島の一角でチャイナタウンだが、アジア系の顔をした人々はこんな風の冷たさなど物ともしないというように、よく動きよく働きまわっているものだ。この落ち着きのない労…

13-2

チャイナタウンの装いだが、ちょっと日本では長らくお目にかかったことのないような、アナーキーに小さな商店の群れが騒々しく立ち並ぶ様の、不思議にタイムスリップしてしまったような奇妙な空気がそこには立ち込めていたのだ。本当にここはニューヨークな…

13-1

よく晴れ渡ってはいるが冷たい風の強く吹きすさぶマンハッタンの地上に立っていた。それは冬から春へと移行する段階にあって最も中途半端な気温をもたらす故に体感温度では最も寒く感じるよくわからない天気ではある。風は冷たくても空は明るい。そのちぐは…

12-6

どうやら翌朝ニューヨークの空はよく晴れていたようだ。堅い床の上で数えきれない程の寝返りを打った挙句、気がついた時にはそれなりに気持ちのよい朝を迎えていたのだ。究極Q太郎は先に起きていて、冷蔵庫の中を開けて調べていた。だだっ広いフローリング…

12-5

「思えばあれはイエスのような顔をした白人男だったのかもしれないな」部屋の中に入れた僕は振り向きざま究極さんに言った。「想像上のイエス・キリストというのは、ああいう顔をしてるじゃない。つまり、よく昔からある、絵に描かれてるようなイエスの顔だ…

12-4

膝を丸めて階段の踊場にしゃがみ込んだまま、僕らは他に何も為すすべもなかった。疲れているしお互いの間でもう特に喋るような話題もない。疲労はピークに達しているはずだが、しかし全く予期してなかったような不幸に遭遇した場合、本来疲れているのになん…

12-3

もう為す術もなく部厚い鉄扉の前で、僕と究極Q太郎は立ち往生してしまった。立ち往生といったところで、僕と究極さんの足は、今までずっとニューヨークの街中を歩き回ってきて、しかもその旅はもう数日間に及び、パンパンになっていて、何の意味もなく一箇…

12-2

深夜のニューヨーク市地下鉄は唐突に現れ、大きな音を軋ませ不必要な威嚇でもするように車体全体を震わせながらホームに停車した。それは日本の電車よりもはるかに運転が雑な気がするといったものだ。この雑な運転の感じが、いかにもアメリカ的な大雑把さと…

12-1

アストロプレイスという地下鉄駅で電車を待っていた。深夜の零時になるかならないかという時刻だったが、散々ニューヨークの街中を歩きまわって疲労が溜まってきた僕らは、早目に日本人居酒屋での飲みを切り上げて出てきたのだ。今夜の宿は村田さんのアパー…