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さっきのポルノショップから逃れるように早歩きで退散をきめながら、夜の街に吹く風を体で切り分けるように歩いていった。

マンハッタンでいま夜の帳に降りてきている風は、冷たい流れと温い流れが二つとも少々混乱しながら交じり合っているようなもので、夜のネオンに照らされれながら、光の射している場所と射していない場所においては、むしろ精神的気温の落差があるといってよいようなものだ。歩きながらネガティブな感覚に浸りたくなかったなら、ネオンやショーウィンドウやレストランの店内から灯りが落ちている方へと、舗道の真中だろうと端っこだろうと、なるべく光の筋を踏むようにして歩いて行くべきだという気がしたものだ。歩きながらさっきの黒いレザーを羽織って店のレジに座っていた女の子の顔を思い出そうとしていた。黒い髪が肩でスポーティに止まっていて前髪が目にかかっていたのでよくどんな目をしているのかまでは見れなかった。パンクのようにも見えるしSMのコスチュームのようにも見える。顔色だがそれは人工的ともいえるぐらいに白かった。だからその白さは決して健康な人の白さというものではなかった。人工的に作った雪のような白さ。それに比べて僕らが泊まったホテルの受付に座っていた女性の顔はどうだろうか。ホテルフロントの受付で退屈そうに時間を費やしながら働いていたブロンドの女性。彼女はからだの細く引き締まった美人でジーンズをはいてる後姿がよく似合っていた。彼女の髪は長くてさらりとして金色に光っていて動くたびにさらりとなびく。彼女の髪型もまたスポーティというに相応しかった。どちらの女性もきっと淡々と合理的に仕事をこなしているので、スポーティだしそれなりに攻撃的な女性の側面が見受けられるのだろう。しかし黒いレザーの女の子の方は、何か割り切れないものを処理しきれないで燻っている、その残余のようなものが顔の無機質な表情の奥にある疲れとして滲み出ていたのではなかろうか。そんなこんなを考えながら、究極さんに伝えられていたブレヒトフォーラムの住所目指して、縦横正確に区画されたスクエアな街並みが続くマンハッタンの舗道を、上へと向かって歩き続けていたのだ。繁華街のネオンから少し離れれば舗道はもう暗く、ニューヨークの舗道とはそうでなくてもデコボコしているので、変な窪みに足を取られないように、安心はしすぎないように、夜の道を歩いていた。数学的に区画されたスクエアとスクエアの間に、時おり暗闇が広がる。そこに通る人が少なかったりすると、ニューヨークという未知の街に対する警戒心がそれなりに湧いてくる。まだ何がこの通りに潜みどんな見たことない化け物が出てくるかもという気は拭えない。区画から区画へと向こうに通り越そうとする時に、信号が出ている。

青の点滅から直接赤に。ここの信号は黄色がついていない。僕が渡ろうとする道は横断歩道の白いペンキも下に光っている。横から曲がろうとする車が数台流れてくる。青の点滅がスピード早くなる。それはあっという間だ。僕は足を出しかけて引っ込めまた足を出して引っ込めという仕草を数回繰り返した。それで何かを諦めてしまった。躊躇して曲がる車を振り切り向こう側に舗道を渡ることができなかった。すると僕が足をむずむず引っ込めている後ろに、自転車に跨った黒人の青年がいたことに気付いた。黒人の男と僕は目があった。黒人の男は、しょうがないなあという顔をして、その顔は面白い顔だった。僕に話しかけてきた。ヘイ。なぜわたらないんだい。というもの。僕の動き方の意味がわからなかったのだ。つまり僕みたいな慎重になりすぎた歩き方というのはちょっとニューヨーカーから見たら異常なのだ。慎重という考えもそこにはあったが何か相手のエゴが曲がろうとする車として強引に出てくるときにこっちのエゴを引っ込めてしまった、というある意味配慮というか考え過ぎというか、それはある意味日本人的な反応の一つだったと思うのだが。しかしこの感触を、ニューヨーカーの黒人に説明するのは余りにも難しそうだった。sorry、But、…。僕はまだニューヨーク来たばかりなんだと彼に返した。Alright。気さくで合理的で話しやすい黒人の兄ちゃんだった。次の信号が青になった。黒人の兄ちゃんは自転車をその大きなからだでゆるゆるとこぎ出し、勢いをつけると僕に手を降って前へと走りだしていった。いや、こういうのは兄ちゃんというよりもブラザーといったほうが場所に相応しいのか。