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膝を丸めて階段の踊場にしゃがみ込んだまま、僕らは他に何も為すすべもなかった。疲れているしお互いの間でもう特に喋るような話題もない。疲労はピークに達しているはずだが、しかし全く予期してなかったような不幸に遭遇した場合、本来疲れているのになんていう意識もなくなるものだ。そんな身を嘆くような余裕さえなくなる、吹っ飛ぶというか。朝まで数時間、ここのドアが開けられるまで短くて5時間か、長くて7時間くらいか、朝になって仕事が終った村田さんが帰って来るまでの時間だ。途方もなく長い時間のようにも思えるが、こういう時間もただひたすら忘れながらいるというのが最も賢い身の処し方なのか。階段の狭い踊り場には上から暗いオレンジ色の室内灯が、ずっと間抜けに、白痴のように、僕らの状況を照らしてるだけだ。お互い溜息をしている状況だが、しかしお互いこういう修羅場のような為す術のない状況が、決して初めての体験ではなく、結構諦めながら待つという心理的体制には慣れているということだろうか。ふたりとも特にパニックになるなんていうこともなく、諦めたようにこの状況を受け入れているのに気づいたのだ。これが僕と究極Q太郎以外の人間だったら、もっと必要以上にあたふたと恐慌に陥っているのではないかと思われた。こういう所はこの二人の精神とは、結構強くできてるのだ。今までの人生もお互いにこうして放り出されたような状況を何とか乗り切って生きてきたという雑草のような体力はある。諦めを受け入れるように狭いスペースで膝を丸め、はやくこの状態に慣れることによって少しでも気持ちのいい眠りが訪れないかと、お互いにそれだけ考えていただろう。

すると、下の階の方で、入口のドアを開ける音がした。誰かアパートの住民が帰ってきたのだ。足音は大きく響き僕らのいるところまで近づいてきた。僕らは息を飲んで顔を見合わせ、次に来る未知なる状況を待ち構えた。全く状況を知らずに勢いよく階段を上がってきたのは、一人の白人青年だった。顔中髭で覆われた青い目をした白人の男で、いい具合に階段を上がってきていきなり踊り場に僕らが座り込んでいる姿を目撃して、驚いたように目を大きく丸くした。僕は咄嗟に状況を説明しようと立ち上がり、なんだか自分でもよく分からない英語で必死に説明をはじめた。この部屋に入れない。しかし僕らは決して怪しい者じゃないんだ。この部屋の住人の友人だ。そして思い付きカバンの中から自分のパスポートを出して写真の顔と自分の顔を照合して見せた。ずっと目を丸くしていたブロンドの白人男は、思った以上に理性的な理解力のある男であって、すぐにもここの状況を了解したみたいだ。究極さんも横で立ち上がり、鍵の束を出して、もう一度ドアに入れてみせた。一瞬白人の男は、考え込んだようにそこに立ちすくんだ。しかし、すぐに、指をさして、あっちという風に僕らの視線を向け変えた。僕らの座っていたフロアの踊り場には、二つ鉄の扉をつけた入口があって、もう一つのドアとは、少し離れていたので僕らはこれはもう一つ別の住人の部屋のものだと思い込んでいたのだ。しかし白人男に指さされて究極さんがそっちのドアの方へと歩いて行って鍵穴に入れると、するりとドアは簡単に開いたのだ。なんだ。なんということか。こんな簡単なことに僕らは気づかないなんて。別の部屋だと思っていたもう一つのドアが、実は同じ部屋のドアだった。僕らは、僕らが一昨日の朝に部屋を出た時のドアが、この部屋にとって唯一のドアだとずっと思い込んでいたのだ。事態はこうして、気の抜けたようなクライマックスを迎えて、晴れて解決した。安心したし、嬉しくてたまらなかった。この有難い感情を白人男に捧げたかった。厚いコートに身を包み、深夜のブルックリンを歩いてきた、髪の毛は長髪でブロンドの、顔中まで髭で覆われた優しそうな白人の若い男性だった。僕は、サンキューを何度もいい、深く頭を下げ、そして握手の手を差し出した。白人男は特に表情を変えることもなく、僕らと熱い握手をそれぞれ交わし、階上の自分の部屋へと上っていった。僕らは、ブルックリンの凍りつく夜に、こうして救われたのだ。