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まー別に何のことはない。この店にあるポルノはごく普通のポルノだ。何の変哲もなく何のひねりもない。よくあるDVDのビデオによくありがちなグッズ。それだけだ。これは特に個性的な店でもない。奇妙な場所にポルノショップを見つけることがよくあるものだ。日本でもよくあるのだ。しかし奇妙な立地条件に比較的店舗を構えやすいのがポルノショップの性質だと考えたら別段それも不思議な話ではなかろう。うちの近所にもやはりこういうのがあった。

うちの近所というのは日本で埼玉の郊外のことだが。郊外のそれまで何もなかったような場所。あるいは何か意味のよくわからない商売をしていた痕跡があって特に通り過ぎるだけで何の顧慮も持たなかったような場所に空きができると、しばらくして気がつくとそこにはバラックなどを利用して、最低限の安価な条件の建屋にちょっと小さな分かり難い看板など出ていて、そこはよく見るとポルノショップが営業をはじめていたなんていうことがあった。もっとも安上がりでゲリラ的に移動が頻繁で、特に宣伝を真面目にやらなくても、そこでさり気なく店を開けば必ずどこからか決まった客が一定数やって来る。そういうのがポルノショップの条件なのだ。

埼玉でうちの近所にあったそういうゲリラ的ポルノショップとは、郊外のゆったりとした広い土地を贅沢に使い、建屋はバラックの倉庫でおもいっきり安上がりのもので、二階建てで倉庫のだだっぴろいスペースには、ビデオやら雑誌やらが山積みに、無造作に置かれているだけの簡単な店だった。郊外に限らず、大都市で繁華街の片隅でも、ちょっとした隙を見つけてこういう店は気がつくとゲリラ的な営業をはじめているものなのだ。ある種の法則性が確実にある商売の形態である。ニューヨークにも、チェルシーの片隅にも、案の定新宿や池袋と同じように、法則通りの同じ様な店が扉を開いていたというだけのことである。これが安易な資本の回転形態とでもいおうか。なんだかよくわからない商売の形だが、しかしそれなりにこういう金の稼ぎ方の方法を知っている人は、どれだけ商売をかえても食いっぱぐれすることはないのではなかろうか。都市にとって、いや田舎にとっても最も遊動性の高い商売の形態。それがポルノショップなのか。

チェルシーの片隅に開いたこの安上がりであるがゆえに店内が真っ白のチープな蛍光灯の光に包まれた小さなポルノショプで、なぜだか一段階高く拵えたレジの台に座る黒いレザーを纏った女性は、疲れきった顔をしていた。でも決してブスではない。カッコイイ白人女性なのだが何だかよくわからない顔つきをしているともいえる。髪の毛は黒く肩まで垂らしていた。