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「そもそもニューヨークにカラオケ屋なんかあると思ったかい?」

究極さんが僕の発言を思い出したように言った。

「あれっ。カラオケは今や世界の共通言語じゃないのかい?今ではどこの国いってもやっぱりカラオケやってるしカラオケ屋もあるはずだ。もちろん最初はあんなこと始めたのは日本の文化だったわけだが。」

「どっかにマンハッタンもカラオケ屋はあると思うよ。でもこのホテルの隣は明らかにディスコでしょう。ディスコとカラオケ屋は違う。」

「それじゃあ問題は、ディスコに行く行為とカラオケに行く行為の差異だな。何か国民性の違い、性質の違いでもあるというのか」

「ディスコのほうがコミュニケーションとしてはより直接的だな。そこでは出会った他人を声かけるのに、込み入った面倒くさい話をしてる余裕はないでしょう。だからいきなり直接的なメッセージの交換になる。」

「それに対してカラオケのボックスだと、いきなり言いたいことをぶつけるよりも、まず前置きの話が長くなりそうだな」

「そうそう。そういうことよ。」

「それじゃあカラオケのほうがディスコよりもより知恵を使う文化であって、交流の方法ということかい?」

「カラオケのほうがディスコの文化よりもより嫌らしいと言うこともできるけどね」

二人は妙にそれで納得したような気分になった。

究極さんは一人で歩いてみたいような場所があるようで、再びホテルから散歩に出るための準備をはじめた。僕の方は溜まってきた疲労を肩や足腰に感じながら、疲れをネッドの上でオートマチックに気楽に癒せる方法は何かないものだろうかと考えていた。薄暗いホテルの室内だった。

究極さんは先にホテルの部屋から出ていった。空の様になった部屋に一人取り残されて、ベッドにざっと横たわりながら、僕はここまで歩いてきた疲労を出来るだけこの柔らかいマットレスの上で軽減しておこうと考えていた。テレビをつけてみる。もう一度ベッドに横になり寝ながらテレビを眺めていた。手元を探したらリモコンもついていたので、横になった状態で、しばらくテレビを見ては別のチャンネルを見ようとガチャガチャ手元をいじくっていた。

ニューヨークの街の豊富なケーブルテレビが入っている。何を放映しているのかわからないようなマイナーで謎のテレビ局も多いが、そのうち一つに当たったものでどうやら今週末の土曜にマンハッタンで企画されているという反イラク戦争デモの事を放送している局にめぐり合った。見ていると週末には大規模な反戦デモをマンハッタンで行うというのだ。デモの代表者とおぼしき若いオルガナイザーの男を前にしてレポーターが延々とインタビューを繰り返しているというものだった。