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画面の中では週末の為に行われる大規模なイラク反戦デモのオルガナイザーが延々と何かを喋っていた。

オルガナイザーの男は眼鏡をかけていて運動の現場ならばどこにでもいそうな男だった。

地味な顔をした学生かインテリ。ただそのどこにでもいそうな人がしっかりと存在感を持ってテレビの主役に座らされていて有り余るような時間を前にしてずっと主張を発している。こんなの暇人でなかったら地元の人でも見てる人はいないだろう。しかしこのふんだんな有り余るソースをこの街は決して持て余したりしていなかった。使えるものならどこまでも徹底活用してやろうという魂胆だろう。住民のために。そもそも自分たちが楽しむために。この街の精神はそういった電子的な網の隅々にまで見出すことができた。

薄暗くなっていくホテル一階の室内ではテレビを付けっ放しにしたまましばらく眠ってしまった。再び目が醒めた時には、もう暗さのカーテンは完璧に閉じていてテレビの光だけが何かそこで生き物のような気配を醸し出し不気味に光っていただけだった。音は、外部の世界から遠い潮騒のように小さなノイズが無数に過ぎ去っていく。それら一つ一つは何のノイズなのかも定かでないが、意味不明の音の一つ一つがただその部屋の空間では、遠くに生きている人々の間接的なサインのように、ただ過ぎ去っては流れていくだけなのだ。

ブレヒトフォーラムというパーティで究極Q太郎と待ち合わせたのは8時だった。まだそれまでは1時間くらいあるか。空腹を感じたので僕は一回外へ出ていくことにした。古いホテルとはいえセキュリティーのチェックはやっぱり厳重であった。渡された鍵では、僕らの部屋のためには二重扉のために二つの鍵があり、そしてホテルの出入り口の為にもやはり二重で二つの鍵がある。最初にフロントの女性から受け取ったキーホルダーにはそれらの鍵が重たげに鉄のリングに並んでいた。出ていくときにエントランス受付の横に開いている小さな個室を覗くと、ここに来た時と同じでそこには同じ人がいた。スレンダーで長い金髪をストレートに垂らした女性がそこには退屈そうに座っていた。ラフな感じの女性でジーパンの細い足のラインがとても印象的に見えて、なかなか好感を持てる美しさを発しているのだが、ああいう行動的で自由なイメージを生きている女性が、ここニューヨークにはきっと多いのだろうと改めて伺わせた。ラフな私服で働いているニューヨーカーの一人だが、その姿のラフで自由で雑口罵乱なイメージのまま、しかし決して働いてる態度においてはいい加減さというのは見えず、あのスタイルのまま、あの人達は、真面目に生きて、この街で働いているのだろういう気がした。

ホテルの外へ出ると、一眠りした後は頭の状態にとって、外気が新鮮で、ひやっとしながら気持ちよく、ありがたかった。そこには街の風が人々の生きた雑踏とともに軽く吹いていた。今夜は少しその風の中にも昼間の暖かさが残っているので、風の中を歩くごとに活き活きとした感覚を取り戻すことができた。はじまったばかりの賑やかな夜の暗闇に、元気よく幾つも通りに沿っては店の明かりが灯っている。大通りに出た角に、控え目だが実は元気のよさげな光を灯しているのはピザ屋だった。それらしいイタリア風情のイメージな男が、ガラスの向こうではピザを打っているのがずっと見えていた。ここのピザ屋はちょっと旨そうだな。考えておこう、と心に書き留めた。その先をしばらく歩くと、レストランなどに混じってビデオ屋レコード屋のようなものもある。ストリートの町並みでちょっと窪んだような、白い光の地味な奥に向かうような屈折をしている店があるなと思ったら、そこはよく見るとポルノショップのようだった。小さなポルノショップだが、通りに向かって何気なく開いているドアを覗くと暇そうな大人の男性が数人、棚を見て回っている姿を目撃した。