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果たしてグラウンドゼロの亡霊というのはいるのだろうか?ここはたった三年ほど前に、三千人近い死者を一気に作り出した、それ自体はとても狭い区画なのである。もしそんな強い亡霊が土地に張り付いていようものなら僕は気でも狂ってしまうことだろう。しかし静かだ。そして何もない。無人の気配の死んだように静まり返ったビルディングが続くだけの区域である。通りを埋めているビルディングとは、鉄のものというより石造りの年季の入った古い建造物のほうがどちらかといえば多い。鉄の強靭なビルは、もう僕にとって後方に退きつつあるあの陥没してしまった区画に集中して立っていたのだ。少し離れていけば昔ながらのマンハッタンを伝える石のビルがずっと続くようになる。暗闇の中には小雨混じりの湿った空気が立ちこめており、所々に湯気のように白い蒸気を発している。中途半端な明るさの街灯に薄く照らされそれら白い湯気のようなものが無人のストリートに漂っている。尿意とともに歩いてきた僕はいい加減もう出してしまおうと思い切り、工事中の金網のような所の前に立ち、長く立小便をした。周囲には白い靄が立ち込めている。恐ろしく時間の長い小便だと思った。たぶん僕がこれまでに体験したことのないくらい。放出される時間はとても焦れったく長く感じられた。街灯の暗いあかりがかろうじて僕の周囲を照らしだしていてくれる。そして長い小便はもっとも力強い湯気を立てて、小雨混じりの空気の中を落ちていき、石の上を流れていった。グラウンドゼロの亡霊はそんな僕の姿をずっと上から見ていたのだろうか?何か僕は罰当たりなことをやっただろうか。考えても掴みようはなくキリのない曖昧な不安の思考だが、ただそこからまた歩き出すことによって、身体のリズムによって不安を払いのけていったのだ。大きな明かりの見える方へと、ただそれだけを考えながら歩いて行った。溜まっていた尿意を取り除いた後には、背中から頭の方にかけて、そこが嫌な熱さを帯びながらドキドキ血流が不安定に動いているのを感じた。最初に来たときこの土地でもらった風邪もそんなに簡単に治るはずはなかった。また不安な風邪の気配と熱を帯びている体温と嘔吐するような気分の前兆的で軽い感触が、自分の中で蘇っているのがわかった。しかし何よりこの不安な土地からは逃げ切ることだ。それしか考えられない。ストリートの明かりはそろそろ開けてきた。英語の横に漢字の文字が翻る店の看板が並ぶのが見えてきた。アジアンストリートだ。そしてここは既に見覚えのある場所ではないのか。そうだ。このアジアンストリートの向こうに走る大通りは、CBGBのあった場所だ。死んだように濡れた石の冷たく積み重なった区域を通り抜けて、ようやくうごめく人間達の気配を感じ取ることができた。



『METAL』=

ゲイリー・ニューマンの音楽は不安な地帯を単独で通り抜けているときに何と有効に鳴り響く音楽であることだろうか。しかもそれは初期のゲイリー・ニューマンでなければダメだ。80年代にダンス調やクラブ調にアレンジされた音楽にゲイリー・ニューマンは挑戦したが失敗している。ゲイリー・ニューマンのエッセンスは既に初期の数枚で確立されたものだといえる。単独的な横行に他に相応しい音楽といえばそれがナイン・インチ・ネイルズの境地であることも言うまでもない。この独特の宇宙空間的不安を導いてこれる魂の孤独さとはどこに起源を持つのだろうか。それは孤独であると同時に都市的でもある。決して未開や野生の地域に相応しい音楽ではない。この徹底的に透徹した孤独感は、YMOやクラフトワークにはないものである。この魂の不思議な孤独さと屹立する寄る辺ない勇気の精神は何か独特の起源を持っているのだろうと言わざるえないものだ。)