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ニューヨリカン、・・・なんかそんな奇妙な発音をする名前を思い出した。ニューヨリカン・ポエトリー・カフェだ。そういえば究極さんが話していたニューヨークで詩の朗読会をするカフェの名前だ。プエルトリカンという言い方がある。中南米のほうから来た人々を指している言い方だが、究極さんはこの言葉の響きに何かこだわっていて、その呼び名には単にその地域から来たというだけでなくもっと人種的な偏見を含む、現在のアメリカにとって大雑把な観念を意味してる言葉がプエルトリカンなのだと言っていた。

何かそこには滑稽なレッテルを貼り付けるような意味もあるような。究極さんはプエルトリカンという言葉が、人種的な意味でもその微妙な可笑しみを含んでいる意味においても、とても気にいっているようだったのだ。その究極さんが、プエルトリカンならぬニューヨリカンという呼び名を与えられたポエトリーカフェの噂を知っていて、何かそこへ行きたいというような話をしていたはずだったのだ。

今夜究極Q太郎が出現しうるとしたら、このカフェではなかろうか?僕にはそんな思いつきが芽生えた。そこでニューヨークでは割りと有名であるらしいそのニューヨリカンポエトリーカフェの場所だが、イーストソーホーのどこか一画にあるらしいという話までは聞いていた。しかし詳しい住所は知らない。

今夜何もやることはないのがわかりきっている僕の身の上だ。とりあえず、当たれば幸ということで、もしかしたら究極さんが出没しそうな場所へと向けて、動いていってよいのではなかろうかと考えたのだ。とにかく僕がマンハッタンの上で一人でぼおっとしていたところで、何も特にやることがないのはわかりきっていたから。