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そういえば最初の日に僕らがマジソンスクエアガーデンからCBGBまで乗った時のタクシーの運転手。彼もプエルトリカンだったと究極さんは言っていたっけ。白人というのがもはや何ら特権的ではなくなっている石と鉄の建造物で固められた街、ニューヨークとは、路上を歩くとところどころ石と鉄の古くて禿げ上がったような老朽化した地肌を、雪混じりの雨に晒されながら堅牢に露出している。そこでは百年以上の間大都会の埃と風雨に晒されてきたニューヨークという街の地べたが地盤として、崩れ落ちそうになっている石と鉄の土台として、脆くもその存在を示しているのだ。街の豊かさと云うよりも老朽化して移ろいゆく街の老いぼれた弱さの痕跡を、路の上では辿るように歩いて行って、やはり老朽化した穴ぼこのような地下鉄入口へと僕は降りていった。確実に百年以上の時間を感じさせる老いた空虚な穴ぼこのように見える。路上のふとした所に口をあけている。不安定な鉄筋をそのまま露出して使っている、雨の日には滑っても当然のような鉄の梯子の階段を気をつけて降りていくと、殺風景な地下鉄ホームで、そのままずっとそのホームに立っているとこっちのほうが惨めな不安で襲われそうになるのだが、やはり古びたような小柄な気もする車体の電車に乗り込む。そして決してソファなんかついているわけもない、木製につるつるのペンキで彩った冷たいシートに腰掛けると、僕の横に座る黒人の青年は、手元に買ってきたケーキを大事そうに抱えていた。そのケーキは数日前、僕がコロンビア大裏のスーパーマーケットで買ったのと同じ、クリームの薄っぺらい妙な色付けの施されたケーキだった。あれをホテルで食った時はまずいと思ったが、その同じケーキを黒人の青年は何か大事そうに抱えて座っていた。さてこの地下鉄でどっちへいけばいいのかということだが、とにかくイーストソーホーの近辺にまで戻ろうと僕は考えていて、動き出した車内の中でドアの横に貼り出してあるニューヨーク市地下鉄の全体路線図を、食い入るように見つめていた。



『Love is strong』=
(1994年にはまだ「セブン」も「ファイトクラブ」も撮る前だったデヴィッド・フィンチャー監督が、ローリングストーンズのビデオを手掛けていた。ストーンズの最も似合う街ニューヨークをモチーフにしてある世界像がそこでは提示されている。そして去年の年末は結成50周年を迎えたローリングストーンズがロンドンやニューヨークで記念ライブをしたことで盛り上がっていたようだ。僕もそれらネットに溢れ出てきたイメージを幾つか眺めて見たものの、ローリングストーンズの50年目に何が起こっているのかさっぱり意味は見出せなかった。ただある種の人体実験としてその長らえたローリングストーンズの実体を見つめてみれば、人間とは70歳の年齢になってもあれだけの体型を保てるものかとか、スタイルから運動能力まで人間はやればここまで出来るのだという世界的な実験対象として、興味深くその姿は見やることのできるものだ。愛の強さはそこまで人間の身体機能を長持ちさせることができる。もちろんそれはミック・ジャガーにとってその揺るぎない自己愛の強さとして表現されている。ストーンズのスタイルにおいてミック・ジャガーの自己愛が前面に出てきたのは70年代後半にアウトローの代弁者である側面を捨て去っていくロックとしてのマジョリティが市民性の中に同化していく時期だろうが、ストーンズ的表現におけるアウトロー的なマイノリティの魂までミックジャガーによるその飽くなき上昇志向の精神によってかろうじて保護される形でその存在を維持してきたという不思議な二面性を抱え込みながらローリングストーンズは続いた。本当はもうローリングストーンズなんて誰もが忘れ去ってしまった存在であるはずなのに、何故だかテレビの最上列にはそれでもショウビズ的な定型に収まったローリングストーンズの姿は映し出されてきたのだ。資本主義の亡霊と化したストーンズの紋切り型はそれでもその起源に巻きつけて来たアウトロー魂の亡霊をも何故だか背後に呼び込む。この二面性こそがおそらくローリングストーンズの意味なのだ。そして声を半分失った亡霊たちもこのショウビズのマジョリティーとしてのパブリックイメージの資本力を借りなければ自らの故郷さえ見失ってしまうという、巨大な墓場のような生ける身体的存在の模型。スタイル。それがきっとローリングストーンズということの意味だったのだ。)