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再びイーストソーホーの街並みを歩いていた。こんどは一人で歩いていたのだ。地下鉄を乗り継いだ先は再びアストロプレイスの駅で降りていた。そしてそこから歩き出す。といってもどう歩いて行ったらよいのかはまだ分からなかったので、ネットカフェを見つけてからそこでニューヨリカンポエトリーカフェという場所を検索して調べてみようと思った。カジュアルタウンとしては賑やかであるには違いないアストロプレイスから歩き出したが、ニューヨークの街でネットカフェといえるようなものを探して歩いたものの、それらしいものに一向にお目にかからないのだ。日本でネットカフェといえば大体駅前にあって目立つような派手派手しい看板がすぐ見つかるはずだ。しかしニューヨークにそのようなものは全くなかった。どこまでいけばネットを見れるようなカフェの場所があるのか定かでないがとにかく歩き出したのだった。

そうこうしてるうちに遠ざかって行き、ストリートの脇にはなんだかよくわからないような店が並んでいるような気になった。こちらのほうは店の看板がわかりにくいのか。いや日本のほうが多くにおいてわかり易すぎるということなのか。親切と不親切の度合いということでいえば、ニューヨークの体質というのはだからケアを気にしていないということか。自分から見つけねばならずいつも自己責任で完結して沈黙しながら見ている街。そんなこんなを思いながら歩いていた。そして喫茶店?とでもいったほうがよいような店の佇まいを見つける。ガラス窓から店の中の様子が見えている。寒い戸外から中の暖かなカフェの店内。食事をしている人々が見える。テーブルにはパスタやケーキが並んでいるようだ。コンピューターらしきディスプレイが並んでいるのも見つけた。

料金が高そうか安いかをしばらく外から見極めてみる。この店に入ってみることに決めた。中に入ってみるとさして広くはない、飲食店にしては狭すぎるような店内だったが、コスプレしたようなわざとらしい制服を着ているお姉さんと、パンクっぽい雰囲気に髪は弱冠モヒカン気味で赤く染めているお兄さんがここに立っている店員だった。カフェにしてはわざとらしすぎるようなそこで働く店員の自由そうな雰囲気に、少しく押し任されながら、僕はネットの利用を尋ねた。店員の方は突き放すようにどうぞ使えばという感じで、お洒落すぎるようなカフェの女は顎で奥の隅においてあるディスプレイを指した。本当にここはカフェなのかよという不審な気持ちもすっきりしないまま僕はテーブルに向かいコーヒーを頼んだ。

ディスプレイに向かい合い検索語を入れて出してみる。それらしきポエトリーカフェの情報はすぐ出てきた。手元でノートに番地を書き込めばすぐに用事は終わってしまったが、出てきたコーヒーを飲み切るまで何か落ち着かずそわそわしていた。派手な姿の男女は、そんな僕の様子が何かおかいしいのか、ずっとこちらのほうをチラ見しては二人で笑っているような気がしてならなかった。最後の一口でコーヒーを飲みきったら急いで立ち上がり僕は店を出て行った。いくらニューヨークが変わった街だとはいえあれは変なカフェだったと、立ち去り店から遠ざかりながら、僕の心はずっと落ち着きないままに揺れていた。何か意味不明の連中に背後から急かされているような気がしてならなかった。不思議な気分だ。そのとき疲れすぎていたのだろうか。随分いい加減な店だったというか。いやあのラフさ加減がニューヨーク的自由といったものの実体なのか。