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ホテルの部屋で睡眠をとった後はそろそろ溜まってきた疲労を解消せんとする身体の力が勢いづいてか、この夜は特に余計な事柄を考えている暇もなく、ストレートな速球で朝の目覚めまで到達したのだ。午前中の光は明るかった。いかにも朝らしい感じでマンハッタンの眩しい朝だった。疲れたからだに慣れてくるほど夜中は余計なことを考えなくなるということだろうか。より動物的な触覚で訪れている新しい街にはからだが馴染んできていることの証かもしれなかった。その日はもう午前中のうちからニューヨークの繁華街を僕らはぶらぶら歩いていることとなった。42番街を歩いてみたらインターネットカフェがあったのでちょっと入ってみた。小さなテーブルにつまらない椅子がついていて居心地の良さというのは全くなく、ただテーブルとデスクトップPCが並んでいるだけの雑で不親切なつくりのネットカフェだった。とても長居するような気にはなれないし店の方でも間違いなく客の長居は望んでいない。ドリンクやちょっとした食事も別に安くないしサービスの提供よりも明らかに客の数を多く回転させたいという意味が明瞭なネットカフェだったので、ネットに繋いでみても嬉しい気持ちにはならず、なんかネットに客を繋げながら大量の家畜をさばいていて自分もその家畜の一人かよという気までしてくる始末で、ちょっとだけ閲覧してみたらすぐ後にした。

42番街には四方八方から人が集まりつつあるみたいだった。そんな増殖の予感を感じさせる時間帯だった。BBキングシアターという名前だけは聞いたことのある有名なライブスペースがこのストリートにはあった。入口を覗いてみると今日の出演はリトルリバーバンドだと書いてあった。なんか全米トップ40を聴いていた過去的には懐かしい名前を見たという気になったが、別に僕がリトルリバーバンドの事なんかすっかり忘れていた二十年以上の間でも、アメリカではしっかりこのバンドが顕在だったというだけのことである。別に本日の出し物がウィリー・ネルソンであっても何の不思議もないわけだ。アメリカにはアメリカの独自で根強い歴史的なファンの層が生きているのだ。当たり前だがそんなことを他所の国の人が特に知るはずもない。どっちの方角に歩き出せばよいのか僕にはさっぱり勘が働かなかったので、黙って究極Q太郎の動いていく方に従って歩き出した。突然何の脈絡もなしに高層ビルが立っている。そして古いような石のビルディングもやっぱり並んで立っている。商店も出ているしブランドショップも出ている。それにしても舗道とかアスファルトの状態だが、歩きながらいい加減だと感じていた。道は平気でデコボコしているのだ。あんまり綺麗に区画して均すとかいう発想にニューヨークの人は頓着ないみたいだ。水溜まりも平気でできてるし、道路の落差に足を取られそうになることも何度かあった。しかしニューヨーカーというのは特に気にしないみたいだ。目の前に出来上がる街の迫力ある佇まいには気を使ってるし自信も有り気だ。しかし細かい足元の状態なんかなんとでもなると思っているのだろう。