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そうそう。ここでは確かに究極Q太郎と待ち合わせをしていたはずだったのである。

アメリカがイラク戦争を開始した一周年を期に企てられた大規模な反戦デモとは、土曜のマンハッタンの土地の上を、大いに盛り上がり既に占領しているような状態になっていた。デモ隊に並んで歩く人の数も多いが、それを規制して回っている警察官の数も多い。一番目立つのは白い馬に跨り堂々とビルとビルの間にアスファルトの道路を闊歩して駆け巡る騎馬隊警官の姿である。馬の蹄がアスファルトの地面を固く蹴りつける音がストリートに響き続ける。それを間近に聴いた時にはものすごくいい音だったのだ。しかしデモ隊の歓声といえば、それら警察達の出している音よりもはるかに上回り、ボリュームの厚い叫び声の束となって、マンハッタンには響いているのだ。

ユニオンスクエア自体は小さな公園だった。単に小さな公園というだけでなく何かその生い立ちにとても古さを感じさせるような公園であり、ちっぽけで粗末な造りの公園ではあるが、ビルとビルの影に挟まれながら、何か微光のようなオーラを出していた。きっとその公園は、マンハッタンの中心部分に位置していて、今までのアメリカ史の中でも、事あるごとに重要な目印として役割を演じてきた公園であるに違いないのだ。小さな公園に溢れる人の数。そして人の波は遠い列を作っていて、その動いているデモ隊が、どこではじまりどこで終わっているものなのか、どこまでこの人の列は続いているものなのか、もう見当さえつかないような状態だった。三月の終りにここマンハッタンの休日にあって、巨大な祭りの渦が天にも上っていくようにそこは輝いていた。

究極さんとは曖昧な場所の設定を約束しただけで、もうこんなお祭り騒ぎの中にあっては、どこに彼がいるのかもわからない。しかしきっとこの長い列のどこかに究極さんはいるのだろう。いるはずである。とりあえず僕の立場としてはそう信じてみるしかないものだった。究極さんだけでなく、村田さんも、飯塚くんも、きっとこの途方もない隊列のどこかにはいるはずなのだ。探すためにここから歩き出していくのも逆効果に思われた。とりあえずこの公園の目立つ場所からは僕は離れず、彼らが街の中を一周して戻ってきたところをつかまえるというのが、一番確実な方法に思われた。そこで僕は、ユニオンスクエアの前からは動かずに、ここで待っていようと決めたのだ。