19-3

デモ隊の流れる列は、ここマンハッタンの地において恐ろしいほど長かった。それはとても日本ではお目に掛かったことのないほどの長い列であり、巨大な参加者の感触を与えた。僕はこの途方もないデモ隊列を前にして、中からたった一人の日本人を探しだそうとしているのだ。日本からここまで一緒にやってきた究極Q太郎の姿をだ。最初は安易に考えていた人探しも、現実のデモの規模を目の前にして、なんかとんでもなく不可能なものに思えてきた。しかしその時僕はまだそんな悲観的な気分になることもなく、まだまだなんとかなるだろうと、冬の終わりでやけに際どく照りつける強さを湛えた陽射しの下で、気分を害するような不安定要素は、できるだけ自分の懐から遠ざけようとしていた。別に論理的な思考があってそうだったというより、ただ限りなく動物的で、もう体には溜まってきていた疲労の感覚とともに、成り行きに流れるままに、究極Q太郎となかなか会えないからといって、不安を感じるようなストーリーの筋は、限りなく意識から遠ざかっていた。なんとでもなるだろうという気分あるいは判断とは、疲労がある種の極に到達していることの証かもしれなかったのだが。

ユニオンスクエアという名の古くて小さな公園は、三角州のようにストリートの交差する中心にあり、公園を取り囲む三角形の周囲を、途切れることもなく、巨大な行列がただひたすら流れ続けるだけだった。周囲は高いビルディングに包囲されているので、真昼間の光の加減によって、公園の内部は常に影になっているような状態なので、逆にその陽射しを遮っている感じにおいて、何かが象徴的な公園のようにも思えた。日影の中には留まっていたくなかったので、デモ隊の流れを背にして、脇に抜ける大きなストリートの、陽はよく当たり決して寒くはないような場所で、大きなビルディングの壁を相手に、さっき買ったアメフトのボールをぶつけはじめた。ビルディングの壁はマンハッタンにあって古い巨大なデパートの壁だったみたいだ。古くて茶色い石を積んで作られた壁が剥き出しの感触を伝えていた。茶色い壁の垂直な平面に向けて僕はアメフトのボールを放り投げていた。アメフトのボールはもちろん菱形のボールである。バウンドが決して安定しない楕円形に膨らんだボールであるから、垂直の壁にぶつけてみて、それは規則正しい跳ね返り方をするというわけではない。ある程度はコントロールして投げることもできるが、常に予測を裏切る不安定なバウンドを考慮して、この今不思議な場所で生じてる一人キャッチボールは始まったのだ。最初に数回は腕を大きく振りかぶり投げて当てていた。それから今度はキックでうまくビルの壁にめがけてボールを当ててみる練習になった。ラグビーボールと同じ要領なのでそのやりかたは簡単に慣れた。少し調子がよくなると、こんどは一回楕円のボールを手元の地面に軽く落としてみたものを、バウンドしてきたところをボールの腹に足の甲をうまく当てながら蹴りあげて、綺麗にそのままデパートの壁にぶち当たって跳ね返ってくるのを受け止める、という練習になった。

賑やかなお祭り同然のデモ隊を背にして、一人だけ僕がアメフトのボールでキックの練習をしているのは、その奇妙なシチュエーション故になんだかだんだん快感になりつつあった。何も思わずそのまんま無関心に通りすぎていく人もいれば、ボールで遊んでる僕の姿を可笑しく思って声をかけてくれる人もいる。そうしてしばらくうまくボールを蹴っては反射したボールをうまく受け止める練習をしていた。冬の暑い日において、汗もじわりと僕の額に滲んできたところだった。ふと振り返ると、僕の横を通っていくデモ隊を見て、昨日の夜にブレヒトフォーラムで見たのと同じ人が歩いているのを見たのだ。ブレヒトフォーラムのフロアでライブを演奏し、カウボーイハットを目深に被ってニール・ヤングまがいの曲を歌っていた、あのおじさん、というかもうおじいさんなのだろう男の人が、やはりあそこで一緒にいた何人かの左翼達と一緒に、僕の横を歩いていった。向こうは僕の存在を認識した素振りはなかったかもしれない。しかし僕のほうはその人物の同一性をしっかりと激しくその時認識していたのだ。なんだ。途轍もなく広くて膨大に見える人々の中にあって、やっぱり同じ行動様式の人は、同じ場所で、狭い村のように簡単に出会うのではないか。最初はびっくりしたがそう考えると、ここでまだ会えないでいる、究極さんに村田さん、飯塚くんの事情も、再び楽観的に思えてくるのだった。