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イーストソーホーの涯に見出された姿とは、文化的な廃墟とでもいうべきストリートの姿だった。そんな一角に一軒のポエトリーカフェが開いていた。昔のキャバレーのようなドア、つまり重くて大きなしかし革かゴムの皮質のような触れると柔らかい厚みのある扉を押して中に入った。実際このスペースは前にキャバレーのような場所だったのかと思わせるようだ。中は薄暗く小さな劇場のようで天井からは小さなライトを照らしていた。このシチェーションも演劇小屋でなかったらキャバレーにそのまま使えるというもの。右手にはバーのカウンターがあり、薄暗く天井の高いフロアには、やはりキャバレーのような厚手のソファが何台も並べられていて、前のステージのようになった空間を寛いで眺められるようできていた。空間の中で人は疎らにいた。しかし究極さんから何となくそこのイメージは聞いていたように、白人の気配はそこに薄かった。有色人種、しかも中途半端な顔色をした有色人種としてのプエルトリカンかアジア系のような顔立ちの人達が仕切っているという空間だった。白人もそこに一人か二人くらいは混じっていたかもしれないが、もうそんなことはどうでもいいような薄暗い、相手の顔は実はよく見えないような空間だった。最初は一人で空いてるバーカウンターの椅子に腰掛けてはみたが、そこで何かが始まるような始まらないような、いつまでたってもグズグズしているような店の状態だった。カウンターに一人立っているバーテンの顔はアジア系だった。ポエトリーリーディングがここでは本当に今晩はじまるのか?数分腰掛けては見たものの焦れったく落ち着けず、立ってもう一度外の様子を見に行ったり、だらだらフロアの隅で立ち話を続けるスタッフだか客だかわかならないような人々の後ろについて様子を観察したりしていた。幾つかバーテンの男と会話をしてみたもののやっぱり何か落ち着かない。そして店の状態は素人の店のごとく落ち着かず内輪の空気のままで、本当にここに究極Q太郎が今夜来るのかどうかも覚束ない。ここでどうも話の波長というのも準備中であるバーテンの兄さんと合わないことに気付いた。カウンターの席に二、三回、立ったり座ったり移動したりを繰り返した挙句、もう僕の気分は居た堪れなっくなっていて、バーテンにも何にも告げぬまま、そのまま店の外に飛び出してしまった。どうやら自分でもコントロールもつかず分けわからぬままに僕の気分は不安定に乱れているのだ。冷たい夜の空気に沈むイーストソーホーの町並みをそのまま駅の方に向かって歩き出していた。さて自分は明日の朝にはちゃんと帰途の飛行機に間に合うまでにJFK空港に着いているのだろうか。なんだか何もかもが不安で自信なく思えてくるような冷たい夜だ。