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とりあえずアストロプレイスの駅まで辿り着いてもまだ今晩自分が何を為すべきなのかは全然思いつかなかった。明日日曜の昼の2時頃だ。僕らの飛行機が東京へ発つのは。今晩一夜に何をすべきなのか、またどんな夜になるのかは全く見当がつかない。アストロプレイスはイーストソーホの街にとって中心的な地下鉄駅にあたるが、日本の街並みのように目星となる駅には必ず上に大きな駅ビルなどが聳えているようなことはない。ただ古くて土台の萎びたような駅の上には単なる石の古さだけではなく新しさの建築と設計が入り混じり、その古さと新しさの微妙に混合された有様が、いかにもニューヨークらしい、やはり古さと新しさの見事な混同を果たした街といえるものだ。アストロプレイスの上にあえて目印のような建物をいえば、二階建の少しばかりお洒落な本屋のビルがそこにはあったということである。どうやら朝までずっと開いているような本屋であり、それなりに文化的な象徴性をここニューヨークの下町では放っているようなビルだった。セント・マークス・ブックショップ。それがこの本屋の名前だった。この地域ではそれなりに目印として有名な本屋であったようだ。最初は本屋でしばらく時間を潰そうかと考えた。二階まである棚をざっと見て回る。そしてできるだけ体力を節約して、つまり座った状態に近い体勢で本を読んでいられそうなスペースも探した。ちょうどフーコーの英訳の新刊が平積みになっているのに目が行った。当時の段階での新刊である。「Society must be deffended」というペーパーバックである。何年か前にそのフーコーの講義録はフランス語で出ているのを東京の紀伊国屋書店では見たことがあった。日本語訳は当時出ていなかったがそれの英訳がちょうど出ていたのだ。社会は守られなければならない、という意味深いタイトルの講義録だった。それを手にとってしばらくしゃがみ込みその夜僕は時間を潰していただろうか。決して広い本屋ではない。文化資本のしょぼさにありがちな中途半端に狭い本屋ではあった。しゃがむこと自体にも普通けっこう体力はいるもんであるが、それにしても外の空気は寒すぎるので、そんな風な体勢になりながら寒さをしのぎ、時間を忘れていることぐらいに、他に思いつくことはなかったのだといえよう。本屋をとりまく人々は通り過ぎていく。氷のように冷たい夜であるはずだがニューヨークの空気は人のことを移動させてやまないものだ。みながどこかへと移動を続けている最中である。夜であっても寂しさはない。しかしここで孤独を感じていられないことのほうが、却って僕の神経を苛々と蝕んでいるような気もするものだ。東京の事とは、遠くて近いような。いやすべては近くて遠いような。