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特にどこかで立ち止まることもなく、午前中の光の中を、人混みを抜って歩き続けた。吉野家の看板を見つけたのはしばらくしてからだった。究極さんは余り乗り気でなかったが、僕がここで是非といって手を引っ張り、吉野家USAのドアを潜った。メニューのボードを見上げるとビーフボウルということで一覧が示されている。コンボというのがある。ヴェジタブルとセットになったボックスである。グリーンティーもあるがそれが結構高いのだ。しかもちゃんと店でブレンドして淹れてあるものではなく簡素にティーバッグに自分でお湯を注ぐだけのものである。そんなものがコーヒーの二倍くらいの値段がするのだから、馬鹿げているといえば馬鹿げているし、あんまり戦略的に商売の事が考えられていないのではという気もする。日本の吉野家との違いだ。日本の吉野家の雰囲気といえば、他店との露骨な競争に晒されている感もあって、もっとシビアにストレートなサービスで漲っていたような気がしたが、ここUSAの店では、なんというかダラケテいるというか、同じ店でも隙がありすぎという気がするのだ。あんまりこっちでは吉野家は頑張っていないのかもしれない。あるいはアメリカの商売というのは、こういう隙があって気が緩んだような店というのが特に珍しくもないということなのか。しかし思えばもう結構な昔のことかもしれないが、昔の吉野家というのは今よりももっと気が抜けていて、店に入ってもサービスしようという店員の気が漲るというよりも、ダラっとしたような、同時に落ち着いたような店の中の空気というのが、普通だったような気もする。たとえば店の中に入ったときは、どこか生ぬるく、何かがくさいようなにおいが籠ってる、店内の空気だった。そんな風に記憶している。昔の吉野家の記憶である。思えば吉野家も随分変わってきたのだ。