河瀬直美と死生観、そして映像における日常性の意味

今年のカンヌでいい線までいったという日本の女性監督河瀬直美の作品をはじめて見てみる。調べるとまだDVD化になっていない映画も何本かあるのだが、とりあえず近所で借りられるのが『沙羅双樹』という03年の作品と、それからGyaoで見られたのが、97年にカンヌで評価されたという『萌の朱雀』だった。

萌の朱雀』で冒頭の部分、森が風に靡き揺れているシーンだが、何処かでみたことのある空気を感じたのだが、データを調べてみたところ、カメラの撮影が田村正毅という人で、この人は過去に『火まつり』や『さらば愛しき大地』(柳町光男作品)の撮影を担当していた人であることがわかった。それ以前には小川伸介監督の三里塚系ドキュメンタリーの撮影をずっと担当しており、最近は青山真治作品の撮影をしている。僕の記憶に残っていた、この風と森のイメージは、高校生の頃に名画座で見た、さらば愛しき大地のイメージだったのだと思う。あの映画のラストシーンに、根津甚八が森を見上げているシーンだ。たぶんそこから遡行して、これから始まる世界像は繋がりうる。

河瀬監督の映画とは、カメラワークが妙に面白いというか、カメラを手持ちで撮影しながら、画面にぶれや偶然的な揺らぎが反映されるのだが、ドキュメンタリーによくあるような映像を人工的に演出することになる。映画史的にどの辺りの線と繋がるのか、正確な線を言える自信はないが、リヴェットの映画とかロメールの映画で、70年代に撮られているものには、この演出、このスタイルが特徴的にあったと思う。

手持ちのカメラによるイメージの荒削りの切り取りと、日常性を淡々と、可もなく不可もなくといったように延々と描写で連ねていく、私性へのカメラの切り込み方が、ヌーヴェルヴァーグの監督たちが後期に、運動が退潮していったあとの70年代に究めていった世界性の領域を、意識的に再現しているような感がある。リヴェットやロメールの方法が、日本の山村や古都を舞台にして再生されると、それだけで何か新鮮な味が出しえたということでもあるのだろうが、この方法を使用すべき舞台が、まさにそういう場所にあったのだという事を見抜けるセンスというのも大事なものである。この監督がその方法を発見しているのは、意識的な研究の賜物であり、この監督は、他人の映画をよく研究的に見ている人ではないかと思った。

萌の朱雀』は河瀬直美が20代のときに撮っているが、見ていて、これが映画だというツボを、よく押さえているのだ。そうそう、映画って、こういうものなんだよな、と記憶の片隅から過去に体験したはずのデータを呼び起こされては、ついつい確認し、相槌を打ってしまうような、手法とイメージの正確な力が漲っている。ぶれた映像の偶然的な撮影の見せ掛けにかかわらず、それが実はみな意図的に計算され尽くした偶然性の効果なのだという気もする。

映画が再生産されるとは、映画が時代をおいて継がれていくとは、時代や国籍を超えてということは、こういう展開になるのかとは、改めて史的現実として確認されうる。こういった映画の撹拌とは、むしろ日本には幾つかの経路を迂回して比較的遅めに到来しているもので、イランの映画をはじめとして中東や、中国やアジアの映画制作では、既に理論的にも理解されている展開である。映画が映画に近づくとは、理論的に、史的に映画を研究し直すことの中からでないと、実現されることができない。そういった旺盛な勉強欲が、河瀬直美という細い体の女性には漲っているというオーラを目に見えるように感じたものだ。

しかし、彼女が映画に与えようとしている表現のイデーとは、むしろ古典的なものである。映像の触覚には敏感な彼女だが、イデー自体は、保守的でシンプルな死生観であり、日本の宗教的な伝統にも基づくような自然観である。日常的であり、生まれた故郷、地元に足を張り根を張り、平凡さの中の凹凸を見つめていくことによって微妙に発見し嗅ぎ取り、物語の移ろい方とは、一日の日出と日没のように、平凡で鈍い、そして微妙である。

この伝統的でありながら自然に根を持った遅い時間性に、表現を与えるというのは、撮りながらも知らず知らずのうちに、土地にある伝統的な無意識の中に身を委ねるのだろうし、土地の無意識そのものと同一化した不動の境地の中から、丹念に辛抱強く、その土地ならではの独自のイメージが立ち上がってくる瞬間を捉えることに、待つ身となって構えながら定位する。

沙羅双樹』で、古都の町には、季節の移ろいがあり、夏には暑く長い昼間があり、夕暮れには涼しさと安堵が訪れる。朝には清涼さと期待があり、そして定期的な間隔をおいて、町は祭りに賑わう。『萌の朱雀』では過疎の村で日々を迎える生活の中の時間性で、神経質な父親が、過疎の村に鉄道をひく計画に失敗したことに耐え切れず、失踪してしまった後では、村の家の時間軸が失調し、母親がおかしくなり、母と妹は二人で村を去っていく。家族の半分を失った家の中では、長男が不要になった文書を処分しながら焚き火を燃やす横で、老婆が、居眠りをしているのか、あるいは死んでしまったのかわからないような感じで、柱に頭をもたれながら、目を瞑り動きを失う。

河瀬直美は、田舎の景色の中から、平凡でありながらも、伝統的な強さを持った、日本人の死生観を再生し描き出す。彼女がテーマにしているものとは、この日常的な時間性と人間的な共同性の中で、命を繋ぐとはどういうことになるのかということである。『沙羅双樹』のように、彼女がテーマにしてして反復するのは、女性の出産である。それは河瀬の私生活での出産の経験と重なっている。失う人、死んでいく人、神隠しにあった子供や、失踪した父親、それら生命の新陳代謝的な入れ替わりが、共同体を巡って起こるサイクルにあって、「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから・・・忘れなあかんこと・・・」という三つの原則を、一つずつ反芻し、確認し、振り分けていく。

単純に、生きるという作業とは、この心的な振り分けの作業の中に、基礎付けられてあるのだという、実践的な知恵の在り方を、女性的な日常性の強かさとして、改めて示し、社会的に確認させるものとなっている。河瀬直美の映画の逞しさとは、そこの作業に根拠を持っている。この新陳代謝の逞しさを、人間の生きのびる知恵として、学びなおすこと、河瀬直美作品から読み取れるのは、そういったメッセージと説明するイメージの豊かさである。

そして、UAが音楽として、『沙羅双樹』に参加していることは、以上の内容からして全く必然的な成り行きだったのだ。この町に生きる喜び、この人と生きる喜びというのを、女性的なやり方で、我々は確認するだろう。日常性とは、女性的な懐に宿る魂である。