コムスン経営破綻に見る経済の微妙な次元

コムスンが経営破綻したということで介護福祉業界の話がニュースに出てきている。僕の周辺にも介護で働く人達はわりと多かったが、話で聞く限りは、介護は楽で金がいいという話が多かったのだが、今回の報道で出てきた介護業界の実情をみると、自分の周囲に飛び交っていたような話の環境が、いかに世間の一般ズレによって出てきた空間だったのかがわかった。あれを基準に世の中一般を見てはいけない。

僕も数年前に介護を手伝ったことがある。車椅子の脳性障害者を、新幹線に乗せて大阪まで連れて行き、プリンスのコンサートを見せて帰ってくるというもの。二人掛りで連れて行き、夕刻に大阪城ホールに到着する。プリンスのコンサートはただで見れた。その費用を全部賄ってくれるのが実は当の障害者であって、彼が自ら介護を雇うために、彼にはその権利が認められ、地域行政から一定の補償額を受けることができるようになっている。車椅子の障害者だということで、大阪城ホールで裏の入口を案内され、それが実はプリンスが楽屋で使う入口と同じだったので、彼らがリハをしている音を横に聞きながら通り過ぎたものだった。それで日給が出るというのだから、素晴らしい仕事でもあり、コンサートが終わって、障害者を連れてファンクラブの人と梅田の居酒屋で飲んで、翌日帰った。

介護は金がよくて楽だという説は、要するにアルバイトとしては、それは割がいいという話である。コムスンの労働者をはじめ、一般の介護労働者の実情とは、給与が低すぎるとか、生活がギリギリであるとか、そういう話なのだから、逆に介護の労働がよいと云われるのはどういう話かというと、要するに、正規の雇用関係として働くのとバイトで気楽に請負うのと、支給額的にはあんまり大差がないということなのだろう。だから、バイトとしてみたときは、こんなに割りのよい、おいしいバイトはそうないと見えるときもあるのだし、同じものを、正規の労働と見たときは、逆に一般と比べたら給与が低い、ツライこともあるし責任も正規だからこそ一気に増大して、割りに合わないという見方になる。

同じ業界、同じ労働といっても、立場によってこうも見え方、捉え方が変わるのだ。いずれにしても介護先の対象者とは、年寄りや障害者であるわけで、彼らが自分で費用を出すということは殆どありえず、介護労働にとって給与の出所とは、行政からの補助金が主であるということになる。この補助金に不正請求が発覚して今回コムスンが倒れることになった。この世の経済原則として、補助金によって最初から成立するしかない業界に何かの旨味が出るというのは、どういうことなのだろうか。ちょっとよくわからない部分は多い。コムスンの経営者はジュリアナのディスコなどを前は経営していたらしいし、時の総理安部さんとも仲がよかったという話である。

やっぱり介護の仕事ってそれなりに大変な仕事だったんだなと改めて認識した。たしかに中には楽ちんの介護があって、そういう部分にバイトとしてお世話になって助かるというケースもあるのだが。いまコムスンで起きた事件として問題になって出てきたのは、身体障害の幼児の介護中に死亡させた。介護者は20代だが営業所では責任者で、テレビに夢中になっていて幼児が窒息しているのを気付かなかったということになっている。しかし、同じ場所にいたならそれでも気付かないというのはないはずで、本当はもっとひどいサボリ方をしていたのではないかという疑惑も出ている。

知ってる限りでも、介護中というのは、楽で自分のすきな事ができるという話はよく聞いていたもので、だから介護のバイトは楽でよいという定評ができるくらいだった。介護中にさぼってる人、勝手に自分の作業をしている人というのは、慣習的に言ったら、全く珍しくはない。本を読んでる人もいるし、インターネットをやってる人もいる。むしろこの自由度の高さが介護バイトの魅力になっていたわけであって。しかし、コムスンのケースでは、最初から相手が重度の障害幼児だったというのは契約上明確で、それを承知の上でプロの介護者が派遣されてるのだから、バイトで、当事者の任意で雇われるのとは、訳が違うということになるのだろう。

同じ労働を巡っても、このレベルの差というのは、必ずしも埋めてしまうべきではないという事情もある。介護労働と一口でいっても、様々なレベルでの雇用関係があってもいいわけだ。責任の重い介護から、気楽にできる介護まで。しかしいずれにしても、経済原則からいって、給与の出所のというのは補助金にあるのだ。そこのところの資金の通り道を透明にしておくべきだとは思う。逆に、資金の通り道が明瞭であれば、介護費用として公的資金が、一部、そこにたかる左翼に垂れ流し的にされてるとか週刊誌で、福祉行政のだらしなさを叩かれることもなくなるし、コムスンのケースのように、そこに剰余的な旨味を期待したはずなのに、実は躓くという大手参入企業のケースもなくなるのではないだろうか。