『ダーウィンの悪夢』

昨夜は『ダーウィンの悪夢』という、少し前話題になったドキュメンタリー映画をDVDで見ていた。

映画の舞台はアフリカのタンザニアであって、アフリカに資本主義的な産業が入ってきたとき、そこには土地の生産物を巻き上げて、日本やEUに輸出する、典型的な落差の構造が発生する。要するに、この落差によって、開発の傍らで放置されている人間達の生態が生まれているが、こういう現象を指して、有体に言えば「搾取」という言葉で語るのが容易い。ドキュメンタリーとしての視線をカメラを持ち込むことで導入した監督の視線も、やはり凡庸に、搾取というイメージについて、そこでイメージを積み上げ練り上げている。しかしそれを搾取というイメージに回収してしまうことで、逆に見えなくなってしまう第三世界的な現実があるように、僕には思われた。そこにあるのは、意識的で意図された搾取という、吸い上げの産業構造であるというよりも、むしろ「放置」によって生じている、生態系のアナーキーな拡散の有様のことであるように見えるからである。

タンザニアには、昔から「ダーウィンの箱庭」と命名されていた生態系の多様性を誇る巨大湖があったのだが、そこに近年になって、ナイルパーチという巨大魚を僅かに(もしかしたら一匹だけだったかもしれないのだが)放流したところ、瞬く間に生態系が駆逐され、ナイルパーチだけが繁殖した。このナイルパーチは食べると結構味があるので、輸出品として大量に捕獲され、タンザニアにはその為の輸出産業ができあがる。ナイルパーチを捕獲し、それを工場で加工して、定期便の飛行機に乗せて、EUや日本に送る。その御陰で、湖の周辺には金が落とされる、白人達が入ってくる。一部はそれで豊かになっても、その周辺では開発に付き物の荒廃が生じている。白人を目当てにして、地元の女達は一部売春をする。中途半端に文明化されて資本主義化された街には、ストリートチルドレンが発生している。ここでいわゆるアフリカ的現実というのが、タンザニア湖周辺の描写を中心にして、何重にもして多層的に語られることになる。産業構造の底辺部として生じた、公害から環境破壊の様子、そこから西欧社会とアフリカの戦争の関係といったように、視点の、暗い全体化が為される。このアフリカの暗い現実、遣り切れない当事者達の闇の世界というのは、確実に存在している。しかしそれがあまり認識の表面に出てくる機会とは、我々にとって少ない。

問題が、問題として生じるためには、そこに外部からの視線が導入されなければ、それは為されえない。アフリカの暗い現実が、暗さとして認識されるためには、そこにあった陰部にも世界性が生じるためには、視点から視線、そしてイメージの形成が必要であり、視線の生じた段階で、それらは事後的に、そこには問題があったのだという共有される感触が、認識として生じるのだ。だから映画の為のカメラ視線とは、そういう場所に積極的に、啓蒙的に下降していくことになる。放置された構造を世界像として発見することが、映画的視線としての価値を帯びることになる。売春婦、スラム、ストリートチルドレン、放置された孤児達の世界とは、露骨に暴力に晒され、幼い頃からシンナーや煙草を常習し、世界を忘却することに現を抜かし、ぐっすり眠ることが至福であるが、一回眠れば、もうそれで永遠に起きることがないというのも、珍しくはない。現在の地球的な環境として、このような下層社会の空間が、アフリカに生じている。これは資本主義的な開発に付き物の典型的なスラムの構造である。しかし、別に、特殊にこれがアフリカに起きているというよりも、このような段階とは、何処の国にもあった現実であり、日本だったら、戦後から50年代、60年代までは、必ず、このような風景は日本の都市にもあったのだ。

黒澤明の『天国と地獄』という映画は、1963年度の作品だったが、映画の後半には日本にあったこのようなスラムの描写が当てられている。スラムの住人である男と、丘の上の家に住み成功した会社経営者の間で、子供の誘拐を巡り駆け引きが行われる話だった。例えば、これが韓国であれば、80年代くらいに韓国を旅行した人の話を聞けば、ストリートチルドレンはまだ平然といて、裸足で町中を走り回っていたものだという。アフリカまで遠く行かなくても、北朝鮮では、平壌のような都市部を少し離れれば、平気で浮浪児童のようなものが闊歩している風景には出くわすという。『ダーウィンの悪夢』で描写されるスラムから荒廃のイメージとは、徹底的に汚い、汚らしさによって悲惨であるような、湖周辺の有様であった。この汚さとは、生産物が巨大魚であり、魚を加工することによって、腐った魚の残骸が、町のあちらこちらにばら撒かれているといった条件により、悲惨な汚らしさのイメージが描写されている。魚が大量に腐ったように積み重ねられている光景の、不気味さである。そこで腐ってる疑いのあるような魚の残り物を、子供たちが路上でむしゃぶりついている。

ここで、闇というのは、そこに視線が導入されて、はじめて闇として存在もはじめるのであって、人間的視線が入ってくるまでの、生態系の有様とは、まだ苦しみも悲惨も、当事者によって認識されていない。動物的な生存の有様がそこにそれまであったのであって、これが人間的な意味での悲惨として、当事者にも、先進国の人間にも、認識として起きるのは、カメラによって風景が捕獲された後の、事後的な話である。通りの片隅でシンナーをやって眠り込む少年達には、まだ自分たちの悲惨さというのは、意識として認識されていない。ただ単純で動物的な、快、不快の感覚が、彼らの身の上に、交互に訪れているだけだ。

人間的な意識の病、精神の病というのも、まだ未発達で、そこでは認識されていない。人間と意識の病の兆候とは、むしろ、スラムの傍らで、キリスト教の宣教活動、啓蒙演説をはじめている黒人の人々のほうに最初に生じているだろう。彼らにとって、文明的に洗練されて完成されているキリスト教の体系とは、まだ直接的で凄まじい威力があるのだ。彼らの啓蒙活動によって、やがて、動物的に生き、寝て起きる生活しかなかった原始的な人々の生態にも、人間的意識というのが、近代化的に訪れることになる。アフリカの湖畔の町は、すべて西欧社会や日本の社会が辿ってきたのと同じような道のりを、意識の成長する旅として、繰り返していくことになるだろう。キリスト教宣教の後に彼らに訪れることになるのは、左翼的意識だろう。そして立身出世と、近代社会的な努力と勤勉の主体性であろう。そして貨幣の抽象力と自由の意識である。

だから『ダーウィンの悪夢』という映画の構造とは、この下降的に世界の裏に当たる他者の領域に、カメラの人工的視線を自動的に捉え出すという、映画とカメラの構造にとって自動的な移動の歩みを、作品として据えているだけで、そこから何か、産業的再生産の構造について、異化させるような認識を、特に生み出すものではない。ここに悲惨な領域が、世界性として生じています、可哀想な領域が生じていますと、文明の内的視線を、自国や隣国にあったはずのスラムから、もうちょっと離れた、飛行機の遠い行き来によってしか視界に今まで生じなかったような、アフリカの一部に、移動させてきたという、それ自身が、近代的文明の内的本能としての自動作用に当たっている、視線の移動である。

この映画的視線の移動を、法則的に限りなく繰り返していきながら(単純に)、世界というのは、再分配としての力学的全体を、その都度、新たに建て直していかなければならないというのなら、その通りであって、それ自体は単純で退屈な作業である。この映画が、終始、基調として放ち続けていた、暗いオーラにしても、徹底的な底無しの暗さゆえの映画が放つ退屈さについても、その退屈さというのに、律儀に付き合ってしまうということが、平等と平準化というものの孕む退屈さであり、そもそもヒューマニティ自体の退屈さであり、ヒューマニティの本質とは、実際にはこんなに退屈なものなのだという事実を、アイロニカルに演出しているような結果になっていると、思えてならない。

人間が、放置と付き合うことは難しい。意識の宿命とは、そこに必ず構造的な放置領域を作り出して、前進することにある。放置が生じるのは、意識の立場から言えば、必然でもあるのだ。もし、放置をしないということは、そこには限りなく退屈な落穂拾い的な、精神の粗探しが、強迫として反復を続けることにもなるのだろう。その退屈な律儀さに、普通、人間が付き合いきれるものなのだろうか?そのような有り得ない無限を内面化させたとき、想像的な麻痺の力によって無限を取り違えたとき、いわばキリスト教的な啓蒙が発生しているのだ。そのような光景、黒人の一団がアメリカっぽいラップに乗せながら説法をしている姿が映し出される。これもまた近代的なサイクルである。単純無限の退屈さと落穂拾いが、荒野の前には広がっているのを、この映画はイメージの構造によって垣間見てしまう。これは、人間を限りなく象徴化していく作業とは、かくも退屈な営みであるが、その退屈さゆえに絶望的なものであるという、アイロニカルな答に充ちた、文字通りに、暗いドキュメンタリー映画である。