『監督・ばんざい!』−北野武作品再見

北野武の新作『監督・ばんざい!』は、六十を迎えた北野武にとって、自分の軌跡を振り返る意識的な、メモリアルな作品に仕立ててあった。北野武作品にとって面白さとは何だったのだろうか。自分の映画にとって面白さとは何かとは、この映画の中で北野武が、自分の方法論を遡行的に振り返りながら改めて確認している、彼の形式的な検証にもなっているものだ。

まず北野武がこの作品を着手するに当たった動機の説明から、映画は導入されている。もう自分はギャング映画=暴力映画は封印することにした。ギャング映画は監督たけしにとって、最も得意とするところであり、固定的なファンも多くて制作するのに安定もしているのだが、しかしもう暴力映画には頼らないことにしたという宣言が為される。

それで次の北野作品として、いろんな映画の企画ばかりが出てくるのだが、どれも中途で、やぱりだめだと次々と横に投げ出していくことになる。まず小津安二郎を意識した渋い日本映画を撮ってみようとするのだが、それは「定年」というタイトルの白黒映画であった。たけしが六十=還暦になったのだというポジションを、これは最初に示すものにもなっているのであるが、何分か小津的設定をそのまま反復しながら、やっぱり俺には、メシ食って茶を飲んでるシーンだけで三十分も流す様な真似はできない、そんなの客に受けないと投げ出すことになる。

この映画では、たけしは自分の分身として、木工のロボットのようなたけし人形をずっと抱えて歩いている。本人と人形という二重性によって、たけしは相互に入れ替わりながら自分を説明していく。たけしが自分の人形を横に抱え、歩きながら考えているのは、一般に受ける映画を作るには、俺は次から何を撮ればよいのかということである。

企画はたくさん出てくる。昭和三十年代の映画が流行ったが、昭和三十年代を語らせたら本当は俺にかなうものはいないと、自分の生い立ちを重ね合わせたようなエピソードが入るが、それも中途で途切れる。彼が子供の頃に目撃した、貧困や差別の環境をリアルに描き出すことが、彼の目的だった。あんな流行った映画みたいな場所に、俺はいなかったんだと。

幾つかの試みを作ってみるものの、たけしは自分で暴力を封印したはずなのに、作っていたら再び暴力を撮っている自分に何度も気付いてしまう。これはたけしにとって、物事をリアルに描写していると、どうしてもそこに暴力のヴァーチャルな次元を発見してしまうという、彼の描写力にあることがわかる。

たけしはこの映画の中で、青い詰襟の学生服みたいなものを着ているのだが、設定としては、吉祥寺大という名前で、東大泉に本拠を持つ右翼結社のナンバー2みたいなもので、ボスは人格的な裏表として妙な幼児性性癖のある男で江守徹が演じてるのだが、映画監督であるはずの北野武が、この右翼結社の謎の人物と何故だか入れ替わる。青い詰襟の学生服だが、これは日本の右翼にも見えるが、イメージとしては北朝鮮労働党のようなものにも近く、寒々しい青空のイメージの下で何故だか凱旋門の中に立っている、この吉祥寺大=たけしとその分身ロボットを見るに、やはりそれは何か寂しい光景で、孤独な独裁者の立ち姿を演じているように見える。たけし=監督は独裁者だったのか?(内面は孤独な)しかしその独裁者の神経質そうな詰襟姿とは、右翼結社のポジションによって守られているものでもある。本当のボスというのは、変な人、というか、ただの愚かな変態男である。しかし彼の支配力に守られることによって、青い詰襟の男は、自分の無感動で感情を表に出さないスタイルを守っている。

たけしの二重性、たけしの双子性が、木工人形の分身によって、至る所、シュールなやり方で顔を出す。そして、半端な次回作の試みを横に連ねていく映画の流れは、やがてもう一つ別の二重性=分身性と遭遇することになる。それは、詐欺師の親子の母と娘である。高円寺なんとかとかいう名前の親子である。(母を演じてるのは岸本加世子である。)詐欺師の女親子はタカリをやったりアタリ屋をやったりを繰り返しているが、ある日、右翼結社のボンのような吉祥寺氏を見かけて、結婚を申し込んでくる。女親子は二人とも面倒見てもらう積もりだが、結婚させるのは娘である。

映画作家としての、たけしのスタイルとは既に出来上がっている。あるいはもう一旦終わっている、といってもよい。この映画は、たけしが自分で今まで築き上げてきた独自のスタイルについて、自己言及的に辿っていく、繰り返していく。映像にとっての面白みを出すとき、お笑い経由のコントのスタイルを、たけしはそのまま導入してきた。この映画で改めて、たけしの作る笑いの質と形式というのが、吟味され、わかりやすく博物学的に並べられ、そして問われている。そして今回の映画で見て理解されるのは、たけしの笑いというのが、もう明らかに古いもの=古典的なものになったのだということである。それを決定的に示した事態とは、やはり映画作家としての松本人志の登場なのだ。松本の作る笑いに対して、たけしの笑いとは、並べてみたとき、もうワンサイクル古いものである。しかし笑いにとって、その形式が古いと云う事は、別に本質的な事態ではない。

笑いとは、質的な体験であるのだから、それを表現している形式が古かろうと新しかろうと、全く関係ないものである。古い形式には、その形式の可笑しみが常にあるのであって、チャップリンの形式から、昔の落語まで、各時代の形式に沿った、独自の面白さというのが発見されるのだ。

笑いとは、各時代に対応している形式の中に宿っているものである。そして松本人志の登場に対して、もう明らかにたけしは古くなった。この自分自身の古さの自覚、自分が時代の形式としてはもはや終わったのだという自覚が、今回の映画では自己言及的に説明されているといってもよい。ゆえに『監督・ばんざい!』とは、たけしが自分で、北野武作品を形式的に振り返り確認していく、自己遡行の旅になっている。北野武が古くなった、そして自分のスタイルが、時代的な基準としてはもう抜かれたことについて、たけし自身もおそらく自覚的であるのだろう、この事態について思いを馳せると、僕自身もちょっと回顧的な状態に陥ってしまった。たけしがツービートで勢いを突けて出てきた頃、定番にしていたギャグで、「吉本興業ピンハネ」というネタがあった。なんか酷いことがあった話の説明をすると、次に、まるで吉本興業ピンハネみたいですね、というオチをつけるのだ。

そして、今年のカンヌ以前にあった、松本人志大日本人を制作した背景の話であるが、ちょうどyoutubeに、松本が大日本人のプロモーションの為にいろんなテレビ番組に出演して喋っている映像が出ていたので、それを見ていてわかったが、今回松本人志大日本人を制作したのは、吉本興業の強いバックアップによって進められた企画であって、大日本人の制作費には十億円が投入されている。吉本は本気で松本を、映画監督として育てる積もりで本腰を入れ、目標もおそらく、たけしに対抗するもの、たけしに勝つという目標が、もう会社ぐるみで目指されているのだろうということである。たけしへの対抗意識、ライバル意識とは、何も松本だけのものではなく、おそらく吉本の会社自体の悲願にもあたっていたのだ。

松本の話からわかるのは、カンヌに出れるなんていう事は、自分で全く予期していなかった事態で、要するに大日本人を撮っている時点から、吉本は関係者にそれを見せており、吉本の力関係でもって、初作品でカンヌで上映を実現できたということみたいで、松本本人にとって、それは寝耳に水だったのだ。カンヌでやると最初からわかっていたら、ちゃんとカンヌ向けの編集やってますよ、と、松本はテレビ映像の中で悔しそうに話していたのだが、それで、なぜ、大日本人という潜在的な右派的イデーの映画が、いきなりカンヌで流れたのかという謎は解けたわけだ。カンヌの試写での体験として、松本が悔しそうに語っているのは、上映してる最中に席を立って出て行く者がいたことである。ひとりオッサンが、出て行ったらまた帰ってきて、あっ、トイレやったんかと安堵したら、そのオッサン、忘れ物取りに帰ってきただけだったんですわ。・・・しかし、あれは心臓に悪いですねえ。人が出て行くとき、後ろでドアがギーッて音がして、場内が少し明るくなるんですよ。しかし、監督というのは、上映会は、真ん中で見なかったらあかんって、決まってるんですね。・・・

なるほど。マスコミでは、カンヌで絶賛みたいな報道も出てはいるものの、実際には相当冷や冷やした大日本人の上映であったみたいだ。しかしそれは、先日僕も書いた理由から当然の事であって、大日本人を途中で、すぐに抜ける客が出たのは、作品の質の問題ではなく、カンヌとは歴史的に左派的な場所で、単に表面的な右派イメージに不快を示して、外国人のお客は帰ったのだろうということである。松本は、そういう事情を全く知らなかったのだ。松本だけでなくたぶん吉本サイドの人間まで。

カンヌで為されたインタビューで、北野武は松本について、あいつは、上映中に客が帰ったのがショックだったみたいだな・・・でもそれはカンヌじゃ普通、当然のことなんだよ。それで自信なくしてたみたいだけど、でも松本は、他の監督よりは、明らかに才能あるしね・・・と語っていた。今年のカンヌにおける北野武であるが、世界の監督35人による短編映画特集というので、日本からはたけしが選ばれ、カンヌに登場した。その短編は、監督ばんざいの前座に日本の映画館でも上映され、実際面白いものだったが。カンヌのお披露目で赤絨毯の上に監督が並び、記念写真のシャッターが落ちた後で、たけしの横にはヴェンダースが、いかにも僕はこいつがすきだといった風に、親愛の情をあらわにして、たけしにハグしている映像がうつった。

たけしの映画の形式は、本当に海外でもよく浸透してるのだ。形式的なギャグ、形式的なコントの面白み、劇における短い、時間と空間の間の取り方というのが、そのままヨーロッパ的なイメージの系譜に照らしても、パゾリーニからフェリーニからブニュエルからカウリスマキから、すべてたけしはそのまま通用しうるというか、もしかしたら中でたけしの作るものが一番面白いのだ。こういった形式と笑いと、時間性の流れを、深く汲みいれたスローなテンポと、考えさせる空間の取り方、後から思考とともに訪れる笑いの到来というのが、ブラックでありながらも深く知性的な笑いの形式として、ヨーロッパで本場の映画監督に、理解され賞賛されている。

たけしの笑いさえも、もはや静かで形式的な深みの表現として完成されている。形式化され抽象化された、たけしの知的な笑いのスタイルとは、単にヨーロッパに受け入れられただけではなく、やはりその面白みの起源が、小津に示されるような日本映画の伝統的な形式の延長線上に捉えられるのも、あらためて発見できる。しかし、たけしが六十を迎え、もはやたけしのスタイルも、クラシックなものとして芸術的カテゴリーの一覧に入り場所をもったとき、偶然ではあるが余りに象徴的なタイミングをもって、映画監督としての松本人志が誕生してきたのだ。

この時代的な入れ替えの意味を探ることを念頭に置きつつ、カンヌ的名画の博物館に場所をもった、北野武の古典的な定着化を見据える。たけしにとって、これから新しい北野武の発明がありうるのかどうかは、まだわからない。日本のお笑い文化が、日常的に空気のように、私達が触れ呼吸してきたものであるが、実質的にはこうも可能性を持ったものであったと確認できる。そういった事情がカンヌのような体験で公然と証明されながら、そうとは特に気付かずも、世界でトップのレベルに既に到達していたのだろう日本の大衆文化の無意識的な構造を、我々は改めて、自覚的に認識しなおさなければならない、分析的にその歴史的状況を知り直さなければなるまい。その位の義務は、消費と享受にばかり現を抜かしてきた我々にも、きっとあるのだろう。