タクシーという労働業界の話

そういえば先日ラジオを聞いていたらタクシー業界の特集をしていた。タクシー料金が初乗りで値上げになるということなので、その背景にあるものとは何かという話だったのだ。僕は、かつて営業用の二種免許を取得し、タクシーの仕事をやったことがあるが、もうそれも10年ほど前のことにあたる。雇われ仕事としては、ドライバーの他に手っ取り早く金になる仕事が思い当たらなかったので、とりあえず二種免許だけ取って置けば仕事あるんじゃないかと思ってとったのだ。その前にはバイク便の仕事も少しやったが、バイク便というのは、雨が降ったときにツライ、外気に晒されながら走っているのですぐ体が汚れるし、事故の可能性も四輪車よりは大きい。

それでどうせやるのなら四輪車仕事の方がいいだろうと思った。タクシーの勤務体系だが、余り外には知られていないが、タクシーの世界には昔から慣習的にアルバイトで余ってる車を動かすということがあって、アルバイト枠のことは定時制と呼ばれてるんだけど、多いのは、年金もらえるようになった年寄りが、この枠で続けているというケースなのだが、中には若い者で、バイトでタクシーをやってるものも結構いる。僕が見てきたところ、レーサーをしている人とか、役者をやってる人とかがいた。

僕は、足掛け二年ほどで五つのタクシー会社を渡り歩いたが、このバイト枠を利用して仕事をしていた。はじめの四つは東京の会社で、最後はうちの近所の埼玉の会社だったのだが、営業中にうちに寄ってさぼったり、うちでホームページ作ったりしながらテキトーな仕事していた。窮屈が嫌なので、下はいつもサンダル履きで車に乗っていた。そんな感じで二、三週間くらい働いた後、駅待ちの時に隣のタクシー会社のオッサンからいちゃもん付けられて、車を降りて肩の部分でポーンと体を当ててやったら、後で病院の診断書つけて会社に乗り込んできたので、それでやめる羽目になった。埼玉辺りでやると仕事は楽だが、逆に変な縄張り意識みたいなのが狭い世界に生じているのだな。

タクシー業界というのは、観察してみる分には面白い構造ではある。何故この業界が成立していて、社会の中でどういう役割を果たしているのかとか。要するに、景気の調整弁として、過剰になった労働力人口を、常にこの業界で吸収できるようにしておく必要が、構造上あるのだ。だからこの業界の雇用は常に流動的だし、年齢制限も他と比べて例外的に高い。雇用政策における構造的な調整弁として、最初から暗黙に指定されているわけだから、その分の奇妙さというのも、この業界には付きまとっているのだ。

まずタクシー業界において、儲けている人というのは何処にいるのだろうか。それは、基本的に社長とその一部周辺しか、現場で金が儲かる人というのはいないだろう。社長は儲かる。ベンツに乗ってる小さなタクシー会社の社長は多い。しかし、管理職や部長レベルは、単に細かな仕事の中で忙しなく働いているだけで、金銭的に豊かな報酬というのとは遠い。

タクシー会社の構造とは、殆ど経営者だけが儲かるというものである。それではタクシー会社を取り巻く運輸業界の関係者というのはどうなのか。東京のような大きな市場には、例外的に近代化センターといった、タクシー労働者の研修機関などがあるし、専門の保険業務機関や運輸行政上の指導機関などが、タクシー業界全体の官僚機構として存在してるわけだが、それらは大体、運輸官僚の天下り機関になっているのだろうし、こういった指導機関で労務に携わるものであっても、報酬は常識的に官僚や天下りが受け取るレベルといったものであり、別にそれが儲かるといった類のものではない。だからタクシーで儲けている主体とは、会社を経営しているほんの一部分だけなのだ。その他は普通にサラリーマン的であるか、歩合給の具体的な労働者かということに当たる。

タクシー会社の経営とはどんな実体なのだろうか。元々トラブルは多発しうる仕事の種類である。まず営業には、必ず事故処理の問題が生じる。そして顧客の苦情処理の問題とか。仕事の具体的な性質は決して甘いものではない。泥臭さが付きまとう仕事ではある。もし経営に甘い汁があるとすれば、それは下の人間に働かせている経営者の立場でしかないのだが、一定の儲けは確保できる構造があるとはいえ、決して甘い仕事には見えないだろう。特に、最近の規制緩和移行は、タクシー業界の競争を増してきている。

東京でタクシー労働者の勤務の場合、報酬とは、自分の水揚げ金額の六割が、労働者の給与になるという計算になっている。バイトの場合は、ここが55%だった。それで、別に経営サイドは、必ず儲かるとかいうわけではなく、車両の購入から整備の費用、燃料代、保険代などを計上したものの上から、ここで儲けを出すためには、労働者が毎日一定以上の水揚げを稼ぎ出してきて、はじめて儲けが出るものである。つまり、労働者が一日の水揚げ金額として一定以上を稼いでこなければ、六割給与に当てたとしても、車両の維持自体ができなくなってしまう。タクシー会社の経営はやっぱりそれなりに大変なのだ。決して安泰というわけではない。だからついに、そうでなくとも高い東京のタクシー料金の上に、更に料金値上げが為されたわけだ。

料金値上げの是非については、よくわからないところが多い。今の初乗り670円から800円台に突入するわけだが、それで顧客は減るのかどうか、全体の儲けはどうなるのか。しかし東京のタクシーを考えた場合、交通機関が他に類例を見ないほどよく発達している東京では、タクシーを利用する客層というのは、既にもう随分以前から、一定裕福に金を持っている人達が中心であるという現実はあったわけだ。東京で普通の人々は、特別に必然性もないのに、まずタクシーを使わない。一般庶民の殆どはまず電車やバスを使うのだし、それら公共交通機関もよく動き充実している。

だから800円台になったところで、今までと違ってタクシーを使う客層が変わると云う事はまずない。少なくとも運輸省サイドはそのように判断したのだろうということはある。そして規制緩和と自由競争の導入により、タクシーの種類とは、以前のすべて同一という在り方ではなくなり、変則的な車両、変則的な料金体系の会社というのも、出てきている。一般料金として初乗りが値上げされる穴を埋めるものとは、この新しいタクシーの多様化に期待されているのだ。

元々つい最近まで、タクシー業界には一種類の料金体系、車種体系しかなく、アイデア自体による競争はなかった。ただドライバーの体力勝負で水揚げを競うという最も原始的な競争しかなかったのだ。今のタクシー業界は変わった。労務体系も多様化していくことだろう。これによって、現場労働者の待遇はどうなっていくのか、という課題は新たに投げかけられてはいるものだ。

しかしそういった大まかな事情とは別に、元々、僕が経験上に見た、タクシー労働者の実態的なものの見方というのがあるわけだ。特に労働意欲もなく、金を稼ぐ必然性のない労働者の場合、仕事の楽な会社というのを、最初から探しているわけなのだ。仕事の楽なタクシー会社といえば、一言で言うと、要するに、経営者の方でも、あんまり競争をやる気なくて、いい加減な会社であるということ。大抵の場合は、見た目の思いっ切り汚いタクシー会社がそうである。最初から仕事はてきとうで、遊びながら気楽にやりたいという労働者は、自分で好んでこういういい加減なタクシー会社を選んでいくんだよ。僕も、タクシー業界にある、そういう暗黙の惰性的性質にすぐ気付いた。その手の噂話はドライバーの間で常に飛び交っている。ほんと、とんでもなく間抜けでお気楽なタクシー会社というのが、世の中にはあるもんである。僕が池袋で働かせてもらった、山手通り沿いの汚い会社というのもそうだったが、しかし僕が仕事をそこでやる分には楽チンだし、他のドライバー連中も、変な人ばかりだったので、もう楽しくてたまらなかった。

タクシーと労働の実態において、重要なものというのは、実はこういう部分であって、真面目に稼ぎたい、普通にサラリーマン勤務したいですという律儀な労働者達は、ちゃんとそういう会社を選んで働いているわけ。だから真にこの業界にあって救いとは、こういう裏に存在しえたダメなタクシー会社、本来的にダメであるが故に労働者の立場からすると楽園であるようなタクシー会社が、ちゃんと残りえるのか、どうか、という、タクシー文化の問題、裏労働文化の問題であるというのが、正直なところであるのだな。そういうところ、本音として、みんな分かってないのね。*1

*1:しかし冷静に、理性的になって考えてみれば、こういった今までありえた、タクシーのダメ会社というのは、自由競争化でもう間違いなく消滅していくことになるのだろう。あの手の会社は、実は底辺的労働者にとっては、今まである種の裏のパラダイスとして機能していたものだ。そしてこの裏パラの恩恵を少なからず僕も享受したことがある。しかし、タクシーが労働として実在することの意義とは何なのかといえば、それが本来、決してハードな労働であってはならず、システムの最中にて、気楽な労働というのを、本当は開示しうるという可能性にあるのだな。競争を自由化してもよい。何かがそれで変わることができるのなら。しかし自由化によって重要なことは、それによって自由度が高く楽な仕事としての−ゆえに楽しい仕事としての−タクシー労働が、再び、こんどは表向きの形としても、開示され直されることにあるはずなのだ。