社会保険庁のケース

社会保険庁で年金の管理を巡って、実はどういう実態だったのかというのが、今になってやっと発覚して、一部はパニックにも陥っている。年金を払った記録を、なぜ一本化してまとめることに失敗したのか、社会保険庁の中で起きていた事とは何だったのかということが、改めて問われている有様だ。

一つ指摘で、労働組合が障害として機能したのではないかとも、出てきている。システム自体が、統合されることを妨げるような何か体質が、歴史の長い官庁にずっとあったのだ。それはお役所的で官僚的な体質として、全体を見渡すことを困難にさせるような何かもあったのかもしれないが、一つは労働組合の決定の仕方が、社保庁における労働の合理的統合を妨げたのだという、ちょっと厄介だった問題の内訳もあるのだろう。社保庁においては、年金の記録管理にコンピューターが導入されることを、長年労働組合の立場から拒んできたという経緯がある。コンピューター管理の導入によって、労働者の仕事が奪われ、首切りが出ると想定されたのだ。こういった労働組合の反応の仕方というのは、左派的な立場の意味付けから、合理化反対要求として掲げられる。庁内において労働を合理化させると、人間は仕事を奪われるという発想である。

しかし歴史的な左翼の体質を見たとき、こういった合理化反対要求の在り方というのが、最も左翼から見たときの世界像を錯誤に追い込んでいたという事情があるのだ。労働合理化と縮減による首切りは確かに避けたいという傾向は、左派的な労働組合の立場から生じるだろう。民間企業だったら、それでも普通、合理主義的な労働体制の立て直しは断行されうるのだが、しかしこれが官公庁や自治労系の問題になると、利潤追求型というよりも公務員の建前が問われることになるから、労働合理化のスピードがギリギリまで遅れてしまうことになりかねないのだ。

組合的な仲間意識を左翼的に利用して、解雇の本数を出来るだけ下げるという方法、というか信憑性が、左翼的に生じてしまうのは、ある種自然な傾向として避けられなかったのかもしれない。しかし左翼的労働運動は、その現実離れした方針、信心が手放せなかった限りにおいて、現実的な社会への立脚も失い続け、ついにはそれ自体が、存在し得ないもの、亡霊のようなものに落ちぶれていったという、現実、現状はある。

労働者の給与をどのようにして確保するのかという問題は、常にあるにせよ、しかし本来、システム内部で捉えたときは、労働というのは限りなく合理化していくべきものであり、それを最小限化していくことは、システム全体の合理性としては正しい、やむをえない事態である。労働を合理的な最小限化の相において捉えられなくなったとき、逆に、思考自体が死んでしまう、あるいはわけのわからない共同情念にもっていかれてしまうということであって、結局、労働自体をも、非合理型の左派的発想は、裏切ってしまうだろう。

そもそも、資本論マルクスがどのようにマニフェストしているかという点からいっても、合理性に対して非合理性に開き直る左派的な在り方が外れているというのは、簡単に理解しうるのだ。マルクスはまずヘーゲル的な労働観を否定している。弁証法は、ヘーゲルでは逆立ちしている。神秘的な殻によって見失われている、合理的な核心を見つけるためには、これをひっくり返さなければならない。とマルクスは堂々と言っているのである。

ところが、労働運動の現実とは、結果的に、労働運動自体を維持させるために、合理的思考の立場をどんどん放棄していって、自ら<人間主義的>な非合理性の方へと開き直ってしまった。これは転倒的な事態にすぎなかったのだ。企業の合理化に反対する、という看板に固執することによって、労働運動の立場、労働者自身の立場から合理性、合理的思考の姿を、どんどん奪い去っていったわけだ。このように残された労働運動の無惨な敗北を引き摺る姿とは、カルト教団となんら変わらない見掛けにまで落ちぶれてしまったのだ。

思考の合理性には反対できない。そもそもマルクス自身が合理主義を手放したことなど一度もないのだ。マルクスが合理的思考で進めていなかったら、そもそもマルクスにとってダーウィンの進化論を読むことさえもありえなかっただろうし、資本論史的唯物論の立場に基礎付けられることさえもありえなかったわけだ。史的唯物論とは、それが合理主義である限りにおいて正しい。それ以外には史的唯物論など何の意味も帯びない。

左翼的な労働組合のあり方、労働運動のあり方とは、こういったマルクス的思考をどんどん裏切っていた。挙句の果てに発覚した有様が、今回のように、年金記録をコンピューター導入で一本化することにさえ、首切り反対の立場から対立してきた、労働組合型の不毛な非合理主義信奉であったのだ。官僚制でもなく、何かシステムの全体を合理的に見渡しよくさせる思考を妨害させる何物かが、下の方から、起きてしまうという、悲喜劇的な有様を、社保庁的現実は抱えてきてしまったのだ。もはやそれが愚かな誤りだったことを、大部分の関係者も認識しつつある。確かに今までの努力の中で、公務員的な雇用の確保は維持されてきたのだろう。それで助かった人々も本当は多かったはずである。

合理主義を維持することは、労働者の立場からいえば、移動の自由を持つということでもある。社保庁で起きたことを、社保庁一局の内部だけの問題として解決することはできない。合理的思考の行く末が、労働組合の立場からも、雇用と労働形態と給与形態のフレキシビリティへと、横の全体的に繋がっていかなければ、決して今回発覚したような官僚的お役所的問題の実在について、自由な労働の立場から乗り越えていくことは、できないのだろうし。