「運動」が自分自身を浄化するとき

日曜日の深夜に、外山恒一松本哉の出演したラジオを聴いた。テーマは「運動」という事で、社会運動の在り方における現在的な位相というものが、どういうものになっているのか、何処まで来ているのかを知る上で、決して啓蒙的とは言い難いとしても、かなり説明的には、ギリギリまでわかりやすいものになっていたと思う。

かつて、マルクスエンゲルスは、1848年に発表された本の中でこう云った。万国の労働者よ団結せよ。左翼とはその時代に既に、社会システムの中では明瞭なものとして実在していたし、そこから一世紀半少しの時間を措いた今日に措いて、やはり左翼というのは、漠然とした実体として、そこで蠢き続けているメカニズムとは、その頃から別に、本質的には大差のないものではあるにせよ、それを説明するための論理の体系は、明らかに変更されているのだ。

社会運動といったとき、それを説明するのに最も変化を受けた論理構造とは、明らかに「労働」を巡る概念の変容にある。生産力と生産体制が変わったから、労働を巡る考え方も変わったのだと言えば、そうである。かつては、労働という概念の抽象力によって、人々は一つに団結しうるのだと、共同的に想像された。しかし、やがて人々は、これが虚妄であることを理解した。マルクスエンゲルスも思考において同じミスをやった。

労働のイメージを象徴的価値と置く事で、すべての具体的で直接的な労働が、抽象的な一体化性に導かれうると想像すること、信じることとは、別に人間を解放もしなかったし、当然、自由にもしなかった。観念的な新たな不自由の自己拘束=他者拘束の形式として、社会主義という向上運動は進行した。それはやがて、当然の如くに、運動する人々、巻き込んでいく人々を大量に裏切っていった。

この裏切りは何故発生したのか?皆がそれを不思議にし反省した。官僚を作ったのが間違いだったのか、指導者を立てたのが間違いだったのか、独裁をやったのが間違いだったのか、・・・しかし本質的に、それは誰が悪いといった類のものではありえず(例えば「金王朝」が悪いのだとか)、思考のシステムそのものの根本的で原理的な誤謬だったのだ。人々がそれに気付くのには、わりと時間がかかったものだ。20世紀という時代は、そこの思考の盲目によって、相当無駄にされた時期もあったのかもしれない。

働かざる者食うべからず、というシンプルな格言が、近い過去にあった、そういった思考の最も陥りがちな落とし穴を支えてきて、隠蔽もしてきたのだろうが、社会というものが何によって根本的に成立しうるのか、実際に成立しているのか、時代とシステムの目に見える変化も経る事によって、今の段階では以前よりもより明瞭に見えるようになってきた。社会とは別に、労働によってのみ成立しているわけではない。高度に分業の発達した現在の世の中−高度資本主義社会、後期近代社会でもそうだが、しかし別に、社会の現実とは、本当は昔からそうだったのだ。

それにしても、人はどこで、他人の労働と出会うのだろうか?また他人の労働と関係するとき、意識的にも無意識的にも、そこにどのような配慮を持って通過するものなのだろうか。これはマルクスエンゲルスが最初に、素朴な手つきで組み立てた問題でもあった。

そこから段階を飛んで現在、労働を疑え、というメッセージの存在は、意識の陥りがちな滑りやすい表面の隙間を穿った。本当は、マルクスエンゲルスの最も注意を払った懐疑さえも、そこのところ、労働をこそ疑うことだったはずである。しかし反転を重ねた労働のアイロニーとは、再び出口を塞いでしまった。再−主体化させてしまった。キリスト教型悪玉観念の延長として、それは「引き受け」させてしまったのだ。しかし、個人が自由になる契機とは、労働への服従でもなく、労働への主体化でもなく、労働への神聖化でもなく、労働を巡るあらゆる逆説、あらゆる内面化ではなく、労働からの背離であり自由活動への移行であることが、次第に、認識として明らかに自覚されてきたという経緯がある。

それでは、労働というあの巨大な誤りは一体何だったのだろう?それはつい近い過去にまで、支配力と拘束力を、ミクロな強迫、意識の惰性として維持されてきてしまった。社会を維持するためには、労働とは常に最小限で宜しい。この合理的な思考が、意識が過剰になるほどに、妨害を受けてしまった。労働の顔をした反動的情念が、社会が過剰に観念化されるほどに、何故か逆説的に繁殖する、意識の目を眩ます奇妙な論理的ウィルスのように、主体の前には立ち塞がった。

労働を過剰に、身体的な重みとして捉えることは、ある種の意識の病気の形態である。さらに云えば、具体的労働、直接的生産過程の存在を、抽象的な有機体性、抽象的な人間愛に回収しうると想像しうることこそが、その病気の決定的性質でもあった。社会的な労働について、合理的な根拠が示せるようになったところ、そこまで分析的な思考が明らかになったところで、やっと社会的な「運動」というのは、次の段階へ、よりリアルな段階へと移行することができるようになったのだ。今はその移行の過渡期にでも当たっているといえるのだろうか?労働によって一になるという命法は、そこに右翼や国家の殻を被っていようと、左翼の衣を纏っていようと、結果的には、論理的な必然として、全体主義を発生させるものにしかならなかった。それは明らかに、歴史が証明する通りである。

外山が番組で話していたように、イタリア語のファッショとは、団結するという意味である。ナチスの正式名称が国家社会主義労働者党といったように、ファシストにとってもナチスにとっても、彼らの最初にアピールしてプロパガンダを作ったプログラムの内容とは、自らが革命の歴史において正当であることを見せかけるために、明らかに彼らに一段階先行したロシアの革命−社会主義で労働者主義でという、革命のイメージを真似ている、そこに時代的に則ってやっている。ロシアの革命、共産主義の革命の行く末が、結局その内的で原理的な必然性から、やはり別の形での全体主義を反復していたものに過ぎなかったように、全体主義とは、ある種意識の過剰に覆いかぶさった時に起きてしまう、出現してしまう、意識自体に内在する原理的な誤謬だったのだ。

それが単にキリスト教システムの内的な陥穽であり必然であったばかりではなく、ハンナ・アーレントが明らかにしたように、西洋の思考にとって全体主義の起源とは、既にプラトンの段階でプログラムされている、存在における一者性を志向する性向であったのだ。つまり、善なるものとは、一なるものであると、単純に信じてしまうことであり、個体性を一者からの流出だと簡単に見せかけてしまう、死んだら皆、一つになるのだと、もう生きている時分から個体の存在を諦めさせてしまう(ニーチェはそれをキリスト教型のニヒリズムと呼んだ)、自己否定してしまう、犠牲に供してしまうという事態の、それらは謂いである。

しかし、この西洋的思考の、道徳的で論理的思考の陥穽が、自覚され、相対化されたとき、そこに正当に現われうる合理的思考の姿とは、自ずから躍動を求めて、交通することを欲望するようになる。半面において間違えていたマルクスの思考は、ここでもうその半面において、鋭くそこの時点にある真理を言い当てるものとなっている。即ち、ドイツイデオロギーの定義によれば、共産主義とは、「交通形態そのものの生産」へと、最終的には歴史的な生成をするものである。

労働について、特に社会的有用労働の分布について、とことんまで合理的な分析が為されたなら、最小限的な自己労力の節約によって、身体と知性は、その本性としての自由な活動の流れへと身を任せ、自ずから社会性を志向するのだし、社会的な交通の在り処を求めて、自動的に移動し、自動的に飛び交うものとなるのだ。

この社会的交通の純粋性を究めていくときに、発生的であると同時に最も歴史的な必然性に目覚めた、運動の自立的な興隆が立ち上がってくることになる。つまり我々にとって、自発性とは、自由とは、交通の極限化していくことの結果である。労働を労働自体の内部から廃棄していく自発的な力とは、常に交通の結果でしかない。それは人的な交通の結果であり、他者との関係を綜合化しうることの合理的な根拠として、情報の持つ、自浄的な力の結果である。自発性の内容とは、交通それ自体の生産なのである。交通の多様化が、交通それ自体を自ずから産出するようになる段階。

これら歴史の反省的段階を、20世紀末期から21世紀初期にかけて、いま我々は通過している過程なのであるが、社会的な運動というものが、なんらそれを統御しようとする過剰な観念に縛られず(例えばファシズムとか)、自律的で自浄的な力として立ち上がってくるとき、そこには純粋交通の渦巻きとしての、運動の姿が自ずから立ち上がってくるはずである。

そのように社会的な交通が交通自身で自律的で内在的な活動に目覚めているとき、そこにある人的な、豊かな交流の姿とは、もう、右とか左とか、そんな野暮ったい観念には捉われる必要もなくなるはずであるし、対抗し対立する敵の姿も、そこにはもう必要としない、自然に過剰な対象性も消滅しうる、そんな運動状態が訪れうるということなのではないだろうか。

とか、・・・ここまで言うと、まだ運動の観念に、理想的な尾鰭を付けすぎているといった、とばっちりや批難も受けかねないか。