受験の歴史Ⅲ

1.
1979年に時の文部省は共通一次試験を導入した。大学入試に統一的な基準を導入するこの試みは、受験戦争の適正化と緩和化に役立つものなら意味のあるものとなっただろうが、結果的には共通一次が最初に導入されたとき、それは受験生の負担を多くの部分で圧迫するシステムとして機能した。

共通一次試験を導入した文部省サイドの意図とは、フランスのバカロレアのような統一的な試験基準を目指すものだったという。しかし最初の時期の共通一次というのは、それまでの国公立大学の一次試験の内容よりも広範囲に試験科目が広がり、学生にとってはより抑圧的な勉強量を強いられるものとなった。

ここで、共通一次の真の狙いは、国側にとってどこにあったかということである。統一テストの導入によってより受験の内容を平均化し分かりやすく計量可能なものとして交換できるものにしようという、試験制度の合理化の意味も一方であった。

しかしもう一方にある政策的な意図とは、1969年に起きた安田講堂学生運動家による占拠事件のように、学生に自由を与えた過ぎたことによって収集のつかなくなった学生運動の存在があった。学生運動自体はもう70年代では、既に自らの矛盾による破綻の段階に入っており、内ゲバで自滅的な壊滅状態に入っていたものだった。国の立場からは、これらの現象の教訓として、学生の自由について、内的にシステマチックに取り締まる必要があったのだ。

その為には、あらかじめ高校生の段階で、学生が思想に耽ることができるような自由を与えすぎない。入学試験の重荷を大きくすることによって、国公立大に入学する学生の質を制限するということ。そして高校生の段階で受験の負担が大きくなることによって、あらかじめ若い人間達の思想的な耽溺と遊戯の自由を圧迫し、管理しようという意図が、背景にあったのだろうと考えられている。

2.
共通一次は最初の数年において試験科目が五教科七科目であり、今のセンター試験のような優柔さは許されていず、受験生は全科目の七科目について一律に受験が課せられた。結果的に、昔からの進学校のような進歩的高校では、学生が運動や左翼遊戯に耽るような暇は抑圧されてなくなった。一方では受験強化と管理主義があり、もう一方で自然発生的に生徒達が作り出した文化の中からは、イジメの文化が発明される時代になった。

高校生にとって、60年代から70年代の高校にあった価値観と、80年代から90年代の価値観では、多くの変化が生じた。共通一次試験の過度な重みはやがて緩和されてきて、共通一次試験は終了し、センター試験というコンセプトの制度にそれは進化的に移行した。それはより合理的で簡易化された統一的な入試制度になった。

3.
受験の制度が学生にとっての重荷として存在するということは、内的な次元での人間の管理を可能にする。受験システムの奇妙な難しさの存在、そこでだけしか通用しない近視眼的知識の網目が張り巡らされた世界の存在とは、若い人間に対する外的な管理というよりも、内的に、自動的に抑圧する管理の効果を生む。

高校生にとって難関な大学入試の制度が存在するということは、システムによる管理的な技術であるということであって、日本のシステムとは、こういった制度的コントロールの手管については、古い時代から巧妙なものを発明する無意識的な知恵を持っていたのだといえる。

日本人が使うこういった手腕というのも、大抵の場合は、中国から古くに輸入されてきた中国型の統治術を応用して発明し直していることが多い。日本の受験制度の場合も、その起源的なモデルとして見出されるのは、前近代中国の科挙制である。

例えば、江戸時代に徳川政権は鎖国という制度を実行することによって、200年以上に渡る長期政権を実現したものだったが、この鎖国というコンセプトも、元を考えれば、中国的な統治術の思考であり、やっぱりそれも儒教に起源を持っている物の考え方である。

4.
前近代の中国まで続いていた官僚管理の手法として、宦官というものがある。官僚制を、君主の立場から、謀反を封じ込めて上手く管理するためには、官僚となる人材については、宦官として去勢を施すのが相応しいということであり、実際にそういう制度が続いていたのだ。

この宦官という考え方とは、中国史に限らず、イスラム社会、そして西洋のキリスト教社会においても初期の段階では使われていた管理術である。よい、従順な意味でのよく働く官僚を育てるためには、宦官という手法を使う。共通一次試験が多量の受験科目の負担として、当時の高校生に課せられたとき、受験勉強の負担増によって、高校生はそこで、生活態度におけるある種の「去勢」訓練を強いられたといえるのだ。

若い人間は、思想とかそういうもので理論武装してもらったのでは、扱えなくなって困る。国家の管理の立場からすると困る。若い人間が、勤勉によく勉強し、優秀な労働力として育ちながら、それでいて反抗的でない、よく使える人材に育ってもらうために、そこには与えられる知識の意味については、深く考えなくなるような、労働について何故という意味を問わないような、従順なる擬似去勢が必要なのだ。これは管理主義的志向を持つ国家の、無意識で暗黙の要求である。

5.
結果、そういう管理体制が内的に敷かれた国家による教育方針とは、人文的な学問には重きを置かない、理数系教育に重点的な力を注ぎ、エリート教育の支点をもっていく。徹底的に、知識にとってはその意味を問わない、問わせない、大量で機械的な情報の回転を、連続的にこなせる人材というのが、官庁でも会社でも使いやすい、よい人材であり、よき労働力だということになるのだ。

日本の受験システムとは、まさにこのような人材を育てるのに最適なシステムとして機能し、日本人にとって発明されてきたものだ。80年代に、共通一次試験のシンボリックな存在とともに、日本の管理主義教育とはピークを迎えた。