戦後日本社会の過剰なものの実在−松崎明vs鈴木邦男

ちょっと興味を引いた本のタイトルを見つけて図書館で借りてみた。『鬼の闘論−いでよ変革者 松崎明vs鈴木邦男』(創出版)という対談本である。05年に出ている本だ。松崎明といえば、あの動労だった松崎である。

映画、パッチギ2の冒頭のシーンでは、74年の東京が舞台となり、京浜東北線の青い電車が夜の駅のホームに入ってきたとき、電車の中を荒らしていた右翼系学生集団と在日の人々が乱闘を演じるところから始まるが、そのとき京浜東北線の今でも馴染のある青い車両の横には、落書きがたくさん為されており、それは当時の国鉄労働組合によって書かれた闘争スローガンが、大きく書き殴られているのであるが、昔の国鉄の車両には、あのように本当に労組の落書きが書かれたまま走っていたので、パッチギ2に出てくる国鉄の車両の描写は、本当にあったものなのである。そのような当時の国鉄車両を示す写真が、この本には収録されている。

松崎明は1936年生まれであるが、かつて革マル派のナンバー2にいた男で、動労のリーダーだった男である。国鉄の時代から今のJRまで、労働運動には幾つかの流れがあり、動労というのは革マル派系労組だった。かつての動労はJR以降後はJR総連の一部として継続している。別にそれが特別大きな組織であったというわけでもないが、国鉄の中の一労働組合革マル派が押さえているという事実は、それなりに有名な話ではあった。

昔、スガ秀実さんと、動労松崎の出身校について、僕は松崎はたしか川越工業の出身だといい、スガさんは松高(松山高校)の出身だといって言い争ったことがあるが、実際には動労松崎とは川越工業の出身である。高卒で国鉄に就職している。僕とスガさんは実家が実は相当近所なのだが、スガさんの家の場合、元々新潟に住んでいたものを埼玉の方に移住してきたものである。松崎は工業高校の出だがたぶん家は東松山のほうから来ていたので、スガさんの言うような誤解の噂も生じたのではないかという気もする。川越周辺の出身者というのは、新左翼関係の人物構図を見ると結構多いのだ。昔内ゲバで殺された中核派書記長の本多さんは川越高校から早大だった。松高というと県下では進学校だが、スガさんが想像するほど松崎は若い時分勉強ができたわけではなかったのかもしれない。

松崎明黒田寛一と出会って革マルに入ったのは1958年のようだから、50年代から60年代、70年代とかけて、日本に労働運動がリアルに実在した時代にとって、松崎明のような人物の存在とは、興味深いものがある。労働運動とは、それが左翼運動との連関から見られたとき、結局何であったのか?妖怪とか鬼とか綽名されながら、その実像は謎の部分も、かつては多かった動労松崎であるが、今となってみれば、この人物の実態とはどのようなものであったと把握できるのか、また、松崎のような人物を左翼的な意味から労働運動に駆り立てていたものの正体、その動機、その情念の中味とは、一体なんだったのかとか、今になって分析し直してみる要件というのは、この人物を巡って多数あるのだ。

いわば生きられた戦後日本左翼運動史と、その謎、あるいはその闇といったものが、この人物の周辺には数多く埋もれている。松崎明の軌跡を分析することによって、左翼運動と労働運動を巡るある種の謎が解き明かせると思われる。労働運動がこの先、全体的な政治の枠組の中で、どのような意味を持つのかはわからない。が、今では何かそこで歴史認識が断絶したような状態になっている、左翼と労働運動というものの関わりにおいて、かつての謎を解明していくだけはなく、今後どのような意味がありうるのか、あるいは意味がないのか、ということも先験的に見ていくことはできるはずである。戦後日本にとって、もはや古典的なサイクルとして括られる戦後的労働運動とは、87年の国鉄終焉=JR発足で終わるものとなった。

今ではかつての組織労働者の観念に変わって、フリーターというのが、新しい労働問題の基準となって現われつつあり、そしてフリーターという観点から、果たして労働運動から左派政治が可能なのかという点が、問われている。フリーターという立脚点と労働運動という立場とは、本来矛盾しているという、冷静な指摘もそこには既に為されているわけで、労働が、労働運動という次元に回収されて実在されることの、意味や可能性について、あるいは無意味について、既に戦後出尽くしている左翼運動史の経験から引き出してくるべき参照は多いはずだ。

今ではもう過去に実在した妖怪のように扱われることもある松崎明だが、最近ではせいぜい、週刊誌において、JRの今でも抱え込む腐敗体質の一部として、過去のおぞましい左翼労働運動の生き残りとしての、松崎の叩かれ方があるくらいである。しかしやっぱり、過去に具体的に実在した左翼運動と労働運動の関わりの事実として、この人物の周辺の出来事を洗ってみるという価値は埋まっているはずである。

この松崎に対して鈴木邦男だが、鈴木邦男はテレビなどの露出も多いし顔も比較的知られているものだ。産経新聞の記者をやめて右翼結社を立ち上げた人物だが、鈴木の場合は1943年生まれであり、やはり戦後の過激な運動史にとっては既に生き証人的なものに当たる。

松崎と鈴木で、彼らにとって行動の動機とは何であったのか、対論しながら、分析的に読み取っていくことはできるだろう。そういう時代だから、彼らはカラダを張って、時には命まで賭けて危ない綱渡りをしながら、世直し運動、革命運動に身を投じた。しかし本当のところ、人間をそのような行動に駆り立てているところの動機とは、メカニズムとは何処にあるのか。それは精神分析としても、今になってわかる社会的な事実関係から参照して読んでいくこともできるだろうし、彼らの存在とはもう、相当に条件の変わった今の時代においても、やはり別の形で、左翼や世直しや宗教性を巡る、似たような構造は常に反復されてあるのだ。

何が無意味だったのであり、そして意味とは本当には何処に残るものなのか、常に繰り返している同じような条件の中で、その構造をメタレベルから明らかにしてみせる手掛かりは、きっと読み取ることはできるだろう。対論の当事者たちの中では、いまだそれが認識として地平に現われていなくとも。

とにかく読んでいくと、やっぱり素朴に人間性−ヒューマンという位相に、この二人は立って物を考えるタイプだというのはわかるのだ。しかしその原理的な素朴さというのが、やっぱり社会構造の中に投げ出されたときに、次の段階では危険さとして生成するという共通のメカニズムが、確実にあるのだな。そこの危険性、あるいは人間的な脆さというのが、緊張を孕みつつ、しかし一定の条件下では、それが不可避なものとして、行動に身を投げうつ事を強いてくるという、社会的な重力のメカニズムを、人間というのは今までずっと抱え込んできたのだ。

これが悪循環だとして、それでは何処でそれを人間は切断することができるのか。悪循環に意識的に身を委ねながらも、そこには確実に人間がいるからという信念で生きてきた、当事者主体としてのこの二人にとって、明瞭にそこに説明可能性を導きいれるのは難しいのだろう。

しかしなんとなく、直感的にではあるが、彼らはやはり取り巻く大きな構造の素描、そして運命の認識について自覚的ではあるのだ。新右翼新左翼ということで、時にはゲバで対峙してきた二人の存在、二つの陣営ではあるが、過ぎ去りし時代として思いを馳せるとき、具体的に生きてきた血と涙の痕跡が、痕跡としての何かの抽象的な意味を、未来に向けて投げかけている、痕跡自体がそう訴えているという声なき声の存在に、時間的な認識論として、二人はもう、共に自覚的であるのだろう。