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二人がキャブに乗り込むとそこは大都会の渦中であっても一瞬静謐な空間が到来した。

街のエアポケットであり車に特有の匂いがする。それは落ち着いた匂いだ。特に何と似ているという匂いでもないがタクシーのドアを開いて乗ったときある時間の静けさと匂いには何か懐かしく安堵させるものがある。助かったという気のするときもある。その辺の要領は日本とも同じことだ。物静かなドライバーの男が前を向いていた。このタクシーはラジオも音楽も流していなかった。とにかく静かなドライバーの操る静かなキャブタクシーだった。ニューヨークの街の喧騒と比べればこのイエローキャブは事実上ニューヨーカーの静かで空虚な内面とでもいったものを代弁してるような気もする。街はやたら煩くても実際ここに住み働く人の心の内面とはこんなにも閑散としている。あるいはそれが空っぽなのだとでもいおうか。それもまた大都会にはありがちなリアルの実感であるかも。今時、東京のタクシーでは制服を一応着せて運転させているタクシー会社が主だがこのイエローキャブでは普段着ぽい茶色のジャンパーをはおった男性が運転していた。別にそれが普段着だから不潔だとかだらしないということもない。むしろ高校生のように一律に同じ制服を着せてしまったほうが労働者のだらしなさというのは目立つのではなかろうか。しかしその辺も国による考え方の違いである。男は白人でもなく黒人でもなくアジア系でもない。顔の皮膚の色は浅黒くも見えるがアメリカ大陸の南のほうから繋がっているという雰囲気が妥当だろうか。とにかく口数は少なそうな男だった。

Bleekery Street!

究極Q太郎はドライバーにそう告げた。男は無言で車を回転させて大きな通りへと向けて走り出した。このドライバーは僕らに向けて一度も振り返ることがない。淡々と言われた事だけをこなすような静かな男だった。

「ブリッカーストリート?どこよそれ」

究極さんに訊いた。

「マップを見ていたらね。そこがCBGBの所在地になってる」
CBGBいくのかい」

僕は笑った。

「だってマンハッタン来たらまず寄ってみたいと思ってた場所だから」
「じゃあCBGB着いたらまず休もうよ。そこまで行けばやっと僕らもニューヨークで落ち着けるかもしれない」

ニューヨークのタクシーの車内だが、運転席と後部座席の間には防御用のグラスが張ってあるものだった。後ろの客席から攻撃されたり刺されたりするのを防御する役目を担ったグラスだ。東京のタクシーではまだこういうのは見たことない。タクシー強盗から身を守るためにニューヨークでは現実的な配慮がなされているのだ。乗っていて特にこのグラスのバリアが気になるということはないのだが、ニューヨークと東京ではタクシーの考え方にやはり違いがありそうな気がする。それがロンドンのタクシーとやはり随分な違いがあるように。

究極さんが言った。

CBGBに行ったらまたそこで村田さんのアパートに連絡取り直すよ」
「でもね。なんか思うんだけど。なんか予感が匂うんだよね」
「なにが」

僕はなんとなく先験的な心持ちになり、それまで寒くてパニックに陥っていた状態から、タクシーのバックシート上で思考の慎重さを取り戻そうとするような気分で言ってみた。

「もしかして僕ら歓迎されてないんじゃないの?いきなりやってきて泊めてくれというわけだから」
「うーん。どうかなあ」

究極さんは首を傾げた。

「事前連絡は大丈夫だったの」
「一応、僕らが着いたら泊まらせてくださいとは伝えてあるんだよ。メールでやりとりしたんだけど」
「だったらいいんだけど。村田さん、僕らと会うのあんまり乗り気じゃないのだとしたら、ちょっとやばいかなと思ってさ」
「うーん。ちょっと微妙だねえ。細かいところまでは推測しかねるから」
「村田さんって一人で住んでるのだろうか」
「いや。ルームメイトがいるみたいだよ。ルームシェアでアパート借りてるみたい…まあ。行ったら頭下げて。とにかく僕らいくとこないんで助けてくださいとお願いしようか」

そうだねという調子で僕は膝を叩いて言った。

「もう土下座でもなんでもしますよ。泊めてもらうためなら」

究極さんはそこでシートの上からずっこけたように、笑った。