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無計画で行き当たりばったりに僕らはここまでやって来たようなものだが、しかしその僕らにもニューヨークでたった一つだけ当てにしている場所があった。

村田さんという友人の女性が数年前にニューヨークへ移住して住んでいた。ブルックリンのアパートに住んでるという話だった。彼女は、究極さんが火曜日と金曜日に店番をしている西早稲田の交流居酒屋でお客さんとして、僕は何度か見掛けたことがある。彼女が日本でやっていた仕事は看護婦だった。彼女はお金をためてどこかの時点でニューヨークへの移住を決めた。美形の顔立ちをしているし、からだも健康的な人だった。落ち着きもあるが交流居酒屋の席に座ったとき彼女の佇まいはそこに潜められた活発な性質と攻撃性を伺わせた。そういえば病院に入って看護婦さん達に世話になるとき中にはこういう看護婦さんがひとり必ずいるなと思わせるような人だった。要するに仕種ははっきりしていて仕事はできるタイプの看護婦さんだ。しかし、能力のある人であっても、看護婦の仕事というのもルーティーンの中ですぐに飽きてしまうということもあるのだろう。潜在的に何か他のこともできる人が別に無理して看護婦的な労働のルーティーンに縛り付けられていることもない。きっとそれは地道で厳格だが退屈な日常であるには違いないのだろう。彼女のような人が日本を飛び出すケースもよいはずだ。過剰なものに気が付いた日本人にとって一つの選択肢である。

究極さんは村田さんの所へ連絡を取ろうと、ペンシルヴァニアステーションでも公衆電話をみつけて試みていた。しかしどうもなかなか連絡が繋がらない模様である。

当時僕らは携帯電話をまだ持っていなかった。だから駅や道端の公衆電話という原始的な手段で連絡をとったのだが、ニューヨークの街角に立つ公衆電話とは、日本のものよりもずっと信用のできない機械ばかりだった。日本の公衆電話のボックスほどきれいな箱は見当たらないし、おんぼろであったり悪戯に塗れていたり、行き当たった場所に手に持った公衆電話が必ずしも使えるもの、通じているものであるということは保証されておらず、全く確率論的な幸運をその都度願うしかないような環境である。

寒い街中のストリートを歩いていてやっと見つけた公衆電話が通じていなかったりすると本当に腹が立つ。絶望的な気持ちにもなる。ペンシルヴァニアステーションは地下にあり雪降る夜の外気とは一回遮断されているものの、それでも冷たい広い構内であった。

究極さんが村田さんのアパートへ電話をかけてくるのを待っていたが、どうも繋がらないよといって帰ってきた。一応今晩の宿を確保しておくことは最低限僕らのセキュリティに関わる事柄なので、結構シビアな問題である。この駅を出たところ、そこはマディソンスクエアガーデンの周囲であるが、マップを見たところここにもドミトリーといった安宿はあるはずなので、一旦地上に出てみることにした。地下鉄の構内でもニューヨークの場合十分に寒かったが外に出て夜の冷気に改めてあたったら、僕はもう死にそうな気分になった。

「ちょっとこれっ…寒いっ!」

外のストリートに出てきて悲鳴をあげた。

「これはやばいっすよ…究極さん…」

究極さんはといえば、また究極さん以外の普通に道行くニューヨーカー達だが、彼らはしかしみんなおしなべて元気である。ちゃんとそれなりの防寒服で街に出掛けてきているからだという単純な違いによるものだが、人間の性質の法則として、寒い気温の場所では逆に厚い防寒服で身を守って外にでてくれば、元気のよさというのは人間にとってより倍増して引き出されるのではないかということである。道行くニューヨーカーはみな元気そのもので、冷気をものともせず朗らかである。究極さんのほうもホッケー選手のように動きがよい。僕だけが一つ一つの動きが緩慢に鈍くなりそのまんまその場で凍り付いてしまいそうな感じだ。究極さんと並んでしばらく夜道の舗道を歩いてみた。ドミトリーと目ぼしき場所を究極さんは探していた。目立たない場所にそれはあったのだが、究極さんがドアの中に入って少し交渉したところ、満杯なので予約のないのはダメだということだった。押し戻されて出てきた究極さんを前に僕は言った。

「まじでやばいっすよ…寒さが…もう限界です」

僕はまさに手の先から足の先までがぶるぶる震えているという状態。

「タクシー拾って移動しませんか」
「そう?」

究極さんもこの有様を見て素直に肯き即決断した。

「じゃあそうしよう!」

通りを走るイエローキャブの一台を急いでつかまえて僕らは乗り込んだ。ちょっと違和感があったのは、日本だとタクシーのドアを自動で開く仕掛けがタクシーにはいつも備わっているが、こっちのタクシーはドアを客のほうから自分で開くというもので、普通の車に乗るのと同じ要領だったことだ。