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タクシーが大通りを流している都市の風景に目を遣った。夜の街は生きていた。ビルの中、店舗の中から漏れ出てくる光の彩がこの街の漠然とした全体的な生命力を示していた。ロックな気分というのはそのまんまニューヨークに於ける夜の気分に折り重なるときっと面白いのだろう。街自体がロックの種子を胚胎しているのだ。

僕はCBGBの話を振った。

「有名なライブハウスだよね」
「うん。ニューヨークではロックの殿堂でしょう。ニューヨークパンク発祥の地になってる」
「でもCBGBが面白かったのはもう昔のことなんじゃないのかなあ。70年代のCBGBがまず一番すごかった。まさにその頃ロックは革命的な媒体だったから。80年代にはまだ最初のエネルギーがなんとか持続していた。しかしロックというジャンルが大きくなっていくにつれて最初にあった斬新性も薄れていった。90年代から今にかけてはもうその炎は殆ど消えていったというもの。今残ってるのはノスタルジーでしょう」
「そうだね。もう行ったらただの懐かしの場所という感じになってるのかもしれない」

「日本だと、新宿ロフトCBGBの影響強いと思うんだけどさ」
「ライブハウスの文化ということでいえばそういう流れはあるよね。」
新宿ロフトが最初に熱く盛り上がったのは70年代だし80年代にはロックがアンダーグラウンドな文化の発信媒体として更に広がっていった。そういえば昔、サザンがはじめてベストテンに出たときって覚えてるかい?」

「あー。それは家でテレビで見てたよ。あれって中学生の時だっけ」
「あのサザンが初登場したのが新宿ロフトからの生中継だったんだよ。しかしロフトもいまや論壇カルチャーになってでかくなったよね。今ロフトの目玉で中心になってるのは文化人のトークライブなんだし。」
「ロックのライブだけではもう商売にならないということはあるだろうね。」

暫くした後、無口なドライバーはハンドルを大きく切り返しアジア系の出店の立ち並ぶ狭い小道に入った。何か賑やかな力の漲る周囲に入っていって車を止めた。車の止まったところはちょうど地下鉄の出口の穴が開いてるところだった。

「もうこの辺でいいんじゃないの?」
外は煌びやかな光が差していてその光の力は何かアジア的な雑多性が渦巻いているといった風だった。
「そうだね。この辺から降りて歩こうか」

究極さんがドルの札を差し出した。おつりはチップだとドライバーに言って手を押した。ドライバーのほうもそれが当然だという感じでそのまま料金を手元に保管した。このタクシーの中で結局僕らは一度もこのドライバーの男の声を聞かなかった。

タクシーを降りて小さいが活力のある雑貨店が立ち並ぶ通りを僕らは歩き出した。

「チップ払うの?」
「うん。アメリカはチップの文化だから。チップ払わないといけないんだよ」
「それって本当に?」

僕は訊き返した。

「どうなのかなあ。あんまり僕らのような外国人の余所者がチップ払うことを気にしすぎてもそれは違うんじゃないかという気がするんだけど。こっちの思い込みのような気がするよ」

究極さんはちょっと黙って考えるようだった。しばらく黙って歩いていた。これは成田の時から言っていたのだが、究極さんはどうも、アメリカではチップを払わなければならないという観念に神経質になりすぎてるようなのだ。どうして究極さんがそんなチップの観念に強迫的になっているのか。僕にはよくわからなかった。しかしもしかしたらトミーからそういう風に強く言われて思い込んでいるのだろうかというような気もした。チップの払いについて強迫的に気にするというのは、それが何か迷信的な思い込みであっても、どうも合理的でないように僕には思えたからだ。特にアメリカは日本と文化が違うとはいえ合理主義的な国家である。それにニューヨークならばそのアメリカであっても最も余所者の出入りが激しい場所で、マナーについての特定の思い込みが固定するはずのないような場所に思える。チップを払わなきゃという強迫観念は、究極さんの性格の一部の神経質な部分にありえるような気もするが、それはしかしどちらかといえば、トミーの持ちやすいような強迫観念のように思えたのだ。アメリカについてはトミーは高校時代に留学していて現地の高校を中退したという経緯をもっていた。歩きながらマップに睨めっこして周囲を見回していたら、もう一度大通りに出たところの道沿いにCBGBの看板が出ていた。

「ここですね」

曇って中が見えないようにしているガラスで被われたバーのホールが奥にはあった。メインホールのついたバーと並んで隣には最初にCBGBが開店したときから続いている地下のライブハウスに入るエントランスがあった。僕らは中に入って和む為、トークして他者と交流するためにバーのあるほうのラウンジに入ろうと思った。

「伝説の場所だよ」

なんとなくこの場所の目の前に立つと渋いオーラが放っていて感慨を受けてしまった。

「ほんじゃあ…いきましょうか」

僕らはCBGBの扉を開いた。