河に沿って歩け…アメリカンレフトとしての正統性−PATTI SMITH

あのミル・プラトーにも登場するパンクロッカーといえばパティ・スミスである。パティ・スミスの何がすごいのかといえば、まず彼女の転がるような二十代の波乱万丈な人生、NYに出てきて、子供を作り離婚し、工場で働き、後にエイズで死ぬことになる写真家ロバート・メイプルソープの愛人になり、詩人として頭角を現わし、29歳で最初のアルバムHORSESを発表する。70年代NYにあったアナーキーな文化的躍動を身をもって生きた女性こそが、このひとパティ・スミスの存在に他ならない。NY的なライブハウス文化の醍醐味とは、まさにパティ・スミス的活動の中にあったものである。それはCBGBのような場所にとっても精神的支柱として機能したはずのものだ。パティ・スミスとは、ある意味、アメリカで最も歴史的に正当な左翼文化の存在を示すものである。チョムスキーよりもラルフ・ネーダーよりもジェイムソンよりもウディ・ガスリーよりも、やっぱりアメリカにおける左翼性とは、パティ・スミスの懐にこそあるのだという方が相応しいだろう。

アメリカにおけるビートニクの文学的遺産とは、60年代のディランとはまた違う形で、70年代のパティ・スミスによって、音楽的総合として完成されている。パティ・スミスの実現しているものとは、音楽においても言葉の次元においてもアナーキーなのだが、それはあらゆる理屈ばって理論武装された屈折の政治的アナーキズムとは異なり、妙に神妙ぶったアナーキズムでもなく、アルトーの素描した戴冠せるアナーキズムとして、統覚的なエロスとして、最も充溢した直接的な綜合を、音楽とライブの力によって、目に見えるように実現するものとなった。

パティ・スミスの天然にもつ統覚力、自然発生的な綜合力とは凄まじいものがある。このとき統覚的エロスに最も相応しい形式とは、最も純粋化され洗練されたロックンロールの形式であり、まさにパンクロック形式であった。アナーキズムにおいてもベルグソニズムにおいても、パティ・スミスの楽曲こそが、明瞭に澄み切った充溢した身体を実現しているものである。バロウズギンズバーグのエッセンスを最も直接的に継承し、放出とアナーキーと、不可視の統覚的綜合、そしてエロス的充溢と、エネルギーのオルガニックな目に見えない導きとは、まさにパティ・スミスの指差す方角にある。

政治がエネルギー化される、セックスがエネルギー化される、文学が流れ込む、言葉とは意味の殻が破られ、キラキラとした実体として飛び散り散逸される。言葉の粒は音楽の要素として同一化され、限りなくマテリアルな硬度を帯び始める。決してそれらは重くはならず、常に群を求めて多様性の渦を構成しに飛ぶ。マテリアルな言語の粒が、宙を浮いて渦巻く。

言葉の散逸していく粒の多様性に対して、求心的な中核とは、ここでまさにパティスミスの身体に他ならない。パティの口、目、鼻、細い手足、しなやかな棒のように弛む彼女の胴体、それが見事にこのアナーキーなエナジーの放出劇に貢献してやまないものとなるのだ。パティ・スミスの強度とはハードである。ハードでシンプルななドラムビートに貫かれる女性的身体である。言葉と音が神妙ぶった意味の網目から、あらゆる意味で解放される瞬間とは、この流動的な綜合の瞬間を措いて他にないのだ。

パティ・スミスの身体とは一個のベルグソニズムである。それは強度の塊を失わずに、奇麗に河を流れていく。そのとき河に放出される尿の勢い、輝きまでが、暗闇の中でアートの輝きを放っている。河を伝って、暗闇の中を、彼女は何処まで行く積もりだったのだろうか。彼女の内在的な羅針盤とは強度の流れである。それが正確に機能するものでなければ、人はただ難破するだけだし、しかし不可視の厳密さと統合がそこで実現されうるとき、それは最も高密度の結晶化されたアートの実体を顕現し、方角を示すことになるだろう。

75年のHorses発表以来、76年のRadio Ethiopiaと、パティスミスは彼女の覚醒的な世界像を究めていく。RADIO ETHIOPIAの冒頭の曲となったのが、この硬質なチューンである。

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