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駅を出てから階段を伝い路上に降りる。そこは薄暗闇の中に寒いバス停になっていた。ニューヨーク市の郊外であり場所も名前もよくわからない場所だ。そして駅前だというのに特に街灯も乏しく、開いているような店もない。零時を過ぎているとはいえこちらのほうでは深夜も飲み屋やコンビニを駅前で営業するという観念はないようだ。駅前で一軒だけ灯りをまだ灯している場所というのはどうやらバスの営業所だけ。そして冷たい風の吹く中を十数人の人々が、深夜のバスを待って並んでいた。警官の言っていたこと。もはや彼自身が早口で最後の方は冷たい感じになっていたのでよく聞き取れなかったんだが、たぶんこのバスに乗ればJFKまで行けるということだろう。そう考えて僕も並んでいた。駅前だが既に真っ暗なロータリーの空間があり、その外は大きな街道に面しているようだ。そして三月の深夜にニューヨーク郊外を吹きすさぶ風は強く冷たかった。

それでも終電後のバスに並ぶ人々の相は慣れているものか。アメリカ人の人々といっても庶民的というか、労働者風というか、もっと端的に言えば貧しそうな人が多かった。おじさんたちに、若い女もそこには混じっている。強風の中を乱暴な運転に見えるようなバスが、荒々しい模様で、二台ほどロータリーの中に入ってきた。僕は前に並ぶおじさんに、JFKへはこれでいいのかと聞いていた。そして深夜のバスへと列を為して乗り込む。終電後のバスの運行だが、東京でもそういうバスはあり、普通にちょっと高めの、しかしタクシーよりはずっと安い料金を取られるものだが、ニューヨーク市ではそれが無料で運行されているということだった。こういうところはさすがというものか。バスは乗客を詰め込むと、やはり荒々しく思えるくらいに力強く、広く暗闇の広がる大街道へと出て行った。

人々はバスの中で揺られていた。座っているものも、立ってポールにつかまるものも、一様にみな無言で受動的に、運転手のハンドルさばきに翻弄されるように揺れていた。疲れたようなバスの車内だった。そして上から照らす電灯は薄ら白く暗かった。しかしこんな疲れきったような週末の空間にも、何かこの街に生きていることの幸せの種子を探すことはできるだろうか。僕はそんなこんなを想いながら座席にすわり探していた。窓の外には暗いニューヨーク市の郊外が広がっている。余りに暗いためそこには一面何もないように見える。電気の光で照らされるのは一部だけで、深夜に営業するような店は日本と違ってはるかに少ないのがわかる。遠くに橋やハイウェイがある場合は、その周辺が線状を為して光で疎らに照らされているものだ。しかし他には何もない。何の気配も感じ取ることができない。ただ闇の中を荒々しいバスはスピードを増して走り続ける。郊外のハイウェイで道沿いには住宅が並ぶのもわかる。普通の家の軒下には大きなサーフボードがかけられている。サーフボードの脇をバスが猛スピードで通り過ぎていく。そうだニューヨーク市でこの辺はもう海も近いはずなのだ。そういえば窓の外を吹く風の調子も、海の予感を反映してか、心持ち巨大で力強く、人力などをはるかに凌ぐ、神々しいい嵐のように見えるものだ。風の強さは海が近い証拠だ。