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バスの乗客は、一人減り、二人減りというように、次第に降りていった。運転手に降車する場所を告げ、運転手が配慮しながら客を降ろしていく。最後はバスの中に残っている客は僕一人となった。暗い景色だけを見ながら、これが本当に空港まで行くバスなのか不安に思った僕は、忙しなくハンドルを握っている運転手の男に訊ねた。中年で口ひげをはやし頭のはげている運転手だった。JFK空港と言われて運転手は吃驚した顔をした。彼は急なハンドルを切り、ハイウェイ上で場所をみつけてバスをUターンさせた。どうやら僕が何も言わなかったらそのまま元の駅まで帰るつもりだったみたいだ。その顛末には僕のほうがずっと吃驚したが、しかし早く気づいてよかったと思った。最後に暗くなっているエアポートの巨大な建造物の気配が見えてきて、その懐にバスがつけるまで、けっこう長い時間バスには僕と運転手の二人だけしかいなかった。夜空の雲行きだが、嵐のように風が舞い、そして雪が激しくふりつけてきた。不安定な黒い空の下で、空港内を円環し繋いでいるモノレールの駅で、僕はバスを降りた。

機械的にコントロールされた空港駅でも、僕はやはり一人だけだった。誰もいない建物の中に入り、誰もいないエスカレーターを上っていく。無人の中で煌々と灯りをともす改札口を通る時は、窓ガラスの向こうに誰かいるような気配もあるのだが、しかし深夜に駅員の姿は見えない。自動改札に、ここまでずっと使ってきた12ドルのNY市周遊のICカードをかざし鉄のゲートを開き、最後に僕は空港の内部の圏内へと入っていったのだ。そしてモノレールの駅ホームにもやはり人はいない。

電光掲示板にモノレールの運行が出てがいるが、もうここまで来れば特に不安もないしモノレールの流れなど関係ない。朝の10時過ぎに出発する東京行きの帰りの便には確実に間に合って空港の中に入った。だから安心してもいいはずなのだが、誰もいない駅の空間で孤独な宇宙船の内部のように灯りだけは煌々とつけているホームに立ち、自分の感覚は何だかおかしくなっていくようだった。

モノレールは20分間隔で駅を廻っている模様である。そして僕らの乗る便は6番ゲートである。時間は深夜の3時過ぎといったところ。何もなく誰もいない空疎な空間に早く着きすぎた僕は逆に戸惑っていた。そしてモノレールが音も静かに、電光掲示板の通りに、この外気を閉ざした室内になっているホームに入ってきた。人は時折疎らに乗っているようだ。自動的にドアが開きそして自動的にドアが閉まる。空港管内のモノレールが静かに出発した。密閉されていた駅舎を出て行くと外はもう激しい吹雪に見舞われていた。

湿った暗闇の中に飛行機が停まっている。飛行機の傍らには暗くオレンジ色のライトが照らしている。ここから見える風景といったらそのくらいのものだ。モノレールの中には暖房が入っていて特に不満はなかった。そして今まで乗り継できたニューヨークの列車内とは違い、ここのモノレールはシートがソファ状でできており、東京の地下鉄と同じだった。やっとはじめてきれいな電車に乗れたという感じでもあった。僕が降りる6番ゲートの待機場まで幾つかの駅をモノレールは回っていた。誰もいないようでしかし深夜にこれを使っている客は他に疎らにはいるようである。時折他の人間の気配を感じる。しかしむこう側の顔まで確かめるような余地はない。それほど人間の間隔は離れていた。深夜に周廻しているこのモノレールはどうやら無人で運行されているようなのだ。そのうちひとつの駅で停車して扉があいたところ、ひとり重装備で荷物を抱えた男が、僕の車内に入ってきた。顔の色はアジア人と同じだ。そしてやたらに大きな荷物を抱えている。彼は引きずるように大きい荷物を運びながら、僕とは対照側のシートに腰掛けた。まるで田舎から今出て来ましたといった姿だ。

男の井出達はケバケバしい色のジャンパーにズボンに、顔には大きなファッションを意識したような眼鏡をかけていた。そして大きな荷物を自分の前においてソファに座っている。田舎者の派手なファッションとでもいうのがぴったりな滑稽な雰囲気の男だった。顔はアジア系と同じなのでフィリピン人やタイ人のようにも見えるが、モンゴロイドと同じ顔つきは南米にもいるわけだから、チリだとかボリビアだとかアルゼンチンだとか、そちらのほうから訪れた男かもしれなかった。とにかくその荷物の多さとこの寒い季節柄に派手な蛍光色の井出達で、田舎から出てきたという刻印が一発でわかるような男だった。こういう人が平然と紛れ込んでくるところが、ニューヨークの面白さかもしれないなと僕は彼を見て思っていた。静かな車内に僕とその男が二人きりで、しばらくモノレールは走った。しばらくして二つ目の駅でドアがあいたところ、暗いホームの向こうから、警察官が急いでこちらに走ってきた。

見ると女性の警察官だった。白人の女性警察官が息を切らして僕らの乗っている車両に走ってきたのだが、近くで見るとそれなりに逞しい体格をした女性の警察官だった。彼女は僕らの車両の前で何かよく聞き取れない言葉を叫んだ。そして急いでいるようだった。

僕とそして田舎者の観光客の男は、警官の姿を不思議に思い、車内に座りながら見ていたが、電車の自動ドアが閉まりそうになったので、ドアが閉まろうとするところに警官は足を挟み入れて、自動ドアは閉まろうとするところ彼女の硬い靴に跳ね返されて勢いよく弾かれ、自動ドアは閉まろうとしても閉まらないので、何回もドーン、ドーンと音を立てながら彼女の硬い足に跳ね返されたドアが勢いよく行ったり来たりを繰り返した。何事が起こったのかと僕は吃驚したが、彼女が振り返ると、後ろから複数応援の警察官が現れた。数人の警官が車内に入ってきたかと思うと、僕の前に座っている男を捕まえて、そのまま連れ去ってしまったのだ。

といっても目の前で起こったのはそんなに強烈な捕物劇ではなく、不審な男の前に立った二人の警官が、彼に詰め寄り幾つか声をかけ、こっちへ来いというようにすると、男は大きな荷物を再び自分で抱え、しぶしぶ警官の後について、電車から出て行ったという状況なのだ。その間中、女性警官は自分の片足を自動ドアのレールに差し入れ続けていて、自動ドアは機械の宿命として、閉まろうとしてもその足に跳ね返されて閉まらないので、いつまでもドーン、ドーンと音を響かせつつ、虚しく行ったり来たりを繰り返し続けていた。自動ドアがちゃんと閉まったのを確認しないと、このすべてがコンピューター制御で動いている深夜のモノレールは発車できない宿命なのだ。見事な女性警官に見事なモノレールのシステムともいえるが、深夜に意味不明の捕物劇が僕の目の前で去っていったのだった。

この意味不明なシュール性はしばらく僕の脳に焼き付いてしまった。しかし静かになったモノレールは、諸行無常にも以前の同じ通常運行となって、動き出していった。言えることは、すべては機械仕掛けだったということ。それにしてもあの田舎者の旅行者は一体何だったのだろうか。不思議な感触だけが残った。