『ウッドストック』とは何だったのか?−なぜロックとはヒッピーによって基礎的な生成を遂げたジャンルだったのか

ロックの発生時にとってコンサートの形式とは絶対的なものであった。コンサートの存在とはそのまま祝祭の存在であった。自主的なイベントを立ち上げるにあたって、ロックコンサートを付けるという方法は最も集団的な意識を高揚に導きやすい共通の方法論として、イベントを立ち上げることによって充実した集会を持とうとする企画者たちの間では一気に広まっていった。人々が集まる。詩の朗読をする。レクチャーをする。そしてロックコンサートを開く。集まってきた人々は、そのまま夜を過ぎて朝まで行動を共にする。新しい交流のスタイルとして、ロックコンサートのイベントは流行したのだ。

この交流の形式を最も頻繁に必要として広げていったのは、アメリカに発生したヒッピーの行動様式としてだった。ヒッピーは新しい解放主義のスタイルとしてヨーロッパにも伝染していった。彼らはまず俗世間的な生活の次元を放棄して集まってくる。仕事も学校もドロップアウトすることは、彼らの条件にとっては恥ずかしいことではなく、おのおのが俗世を放棄してきた経緯については不問にふされてよいとされる。自分がどこからやって来たのかという過去はどうでもよい。新しく何の前提も共有せずに出会った人々が、即交流をはじめることのできるスタイルをもったのだ。彼らの倫理観としては精神世界に通じ、ラディカルで原始的な宗教性を復活させることによって彼らの道徳的秩序を構成する。ドラッグに通じ神秘体験の追及を愛している。そして彼らが精神的神秘に出会うために最も重要な方法とはセックスである。性と欲望について解放的であることを彼らの信条にしている。そして芸術を好む。新しい絵を描き、エレクトリックな楽器の世界を開拓し、新しい音楽を創造している。それがロックである。特にドラッグの体験が反映された、エレクトリックギターの歪みで覚醒的な音響を求めた傾向の音楽をサイケデリックという。

彼らは俗世間から逃走して生きているのと同時に、コミューンを志向した。アメリカやヨーロッパの森や都市部にも、いろんな場所でヒッピーコミューンが発生した。デンマークコペンハーゲンの郊外にあるクリスチャニアのように70年代にヒッピーが占拠してからずっと様式が変わっていないようなヒッピーの町もある。

ヒッピーは野外イベントを、そして野外コンサートを好んだ。自然の残る広大な土地のスペースを使いそこで数日間のイベントを過ごすというスタイルが解放的時間の共有として好まれた。60年代末にアメリカでヒッピームーブメント盛り上がりを見せた頃にこの野外イベントは最も活気を帯びたのだが、69年にニューヨーク郊外の森で開催されたウッドストックのコンサートは、そのムーブメントの頂点に存在したといえるものだ。

ヒッピーの精神的なスタイルは、前提として50年代のビートニクスに見られるような文学的ムーブメントとの連続性によって生じた。ケルアックは小説「路上」を発表し、旅をしてさすらう事の中に物語性の成立を見て、また同時に路上という観念によって物語自体も解体したのだ。ウィリアム・バロウズはドラッグによって内在性を獲得する方法論の探求に傾倒した。幻覚やサイエンスフィクション、残酷やマゾヒズム的な自虐の体験を通すことによって世界の絶対的な覚醒を立ち上げようとした。これらは実験精神の為せる技であったのだが、同時に彼らはすべてのパターンをやり尽くすことによって、これ以上実験のスタイルには意味がないところまで到達してしまったものだともいえる。これらは自由の新たなる実験のスタイルであったのだ。自由の実験があらゆる手段で試みられる後に、もうこれ以上自由の存在しない地点まで到達してしまった。これはその後に発生するヒッピーの運命までも暗示しうる事態であった。ギンズバーグは屋外に好んで出て行って、何処でも即効で詩を作り出し朗読する、セッションのスタイルを究めていった。そしてギンズバーグの影響を受けたフォークシンガーがボブ・ディランである。これらビートニクスの文学的遺産とは、50年代に結実化したものを、60年代にはディランらによって、新しいフォークミュージック、新しい音楽の母体として活用され展開されるようになったのだ。

ボブ・ディランジョーン・バエズは、ギンズバーグやケルアックの作り上げた詩の世界、文学的なスタイルかつライフスタイルに則って、その上にフォークギターやピアノの伴奏で音楽の世界を構築しはじめた。このようにディランらによって始められたアメリカの新しいフォークミュージックのスタイルとは、ラジオの電波にも乗って瞬く間にアメリカ中に、そして世界中に広まっていった。フォークギターを手にした弾き語りのスタイル、それは単なる詩の朗読よりも更に、若い人間たちの作り出すメッセージを伝達するのに、わかりやすい、より直接的な伝達形式として発展した。