ナスカの地上絵の

特集を今夜のテレビ、世界ふしぎ発見でやっていた。
ペルーにあるナスカ平原。ここに不思議で巨大な地上絵の存在することが学術的な発見として出てきたのはわりと最近である。近代的な視線つまり欧米人の視線によって発見されたのが1939年である。そしてナスカの地上絵を研究して世に知らしめたのは、マリア・ライヘというドイツからやって来た女性であるそうだ。この女性が変わった人だったのだ。ヒトラー政権時代のドイツからペルーに渡ってきた。数学の教師でありペルーで家庭教師などをした。この女性はナスカにある地上絵に取り付かれ一人で地上絵の近くの小屋に住み着きずっと測量を続けた。現地の人が地上絵に立ち入って遊んでいると、彼女がかんかんに怒って追い払った。あそこには魔女がきて住むようになったと噂された。地上絵の虜になったマリア・ライヘには収入がなくなった。それでも彼女は情熱にとりつかれて毎日測量を行った。彼女は小屋に一人で住んでいた。小屋にはネズミが出るのでネズミと格闘した。水道のないところに住んでいるのでホテルまで水をもらいにいった。近所の川でからだを洗った。元は数学の教師であったそうだ。ナスカ平原の石というのは太陽の光線でよく焼けていて、白い土とのコントラストがハッキリしている。それであの大規模な地上絵の創造が可能になったのだ。

要するに奇妙な変人としての一個の女性の話なのだが、自分の人生の他のもの一切を投げ打ってナスカの地上絵に賭けたという変なドイツ人女性がいたという話が面白いと思ったのだ。確かにこういう変な人は時々いる。今でも多いし今のほうが昔より増えてるかもしれない。男性も女性も問わずにいる。変な人は数多けれどそれで結果的にモノになる人というのも一握りである。しかし結果がどうかということはさておき、こういう生き方がありうるというエピソードは妙に安心を与えてくれる。地上絵の価値はなかなかペルーの人々に伝わらなかった。農地を開拓する計画がおこり地上絵の端のほうは一部損失した。パンアメリカハイウェイという南北アメリカ大陸を縦断する大規模ハイウェイの建設によって、地上絵の上に道路が通ってしまった。それでトカゲの絵の尻尾の部分が切断されている。

しかしやがてナスカの地上絵のブームが到来した。ナスカ平原は古代に宇宙船の滑走路として使われたのではないかという説が噂を呼んだのだ。それで世界中から見学者が来るようになった。一大観光地となった。ナスカの地上絵の価値が認められるようになったのは、この宇宙ブーム、UFOブーム以降の話であり、全く最近の話なのだ。それまでは、ただあそこに行くと変なものがあるという伝説、噂話でしかなかった。収入のない中で解明研究を続けていたマリア・ライヘもはじめて脚光を浴びた。彼女は研究書を出版した。そして現地人をアシスタントに雇い死ぬまで地上絵の研究を続けた。

さてそれで肝心のナスカの地上絵のほうであるが、紀元前二世紀から六世紀に描かれたものであるらしい。当時の人間がこれをどういう積もりで作ったのか?神に向かって見てくれと訴えかけているのか、宇宙に向けてメッセージを出したのか。これは当時の人間たちにとっての郵便的行為であったのだ。何を彼らは送る必要があったのだろうか。またなぜ彼らはこんなに大規模に他者に向けて送らざるえなかったのだろうか。何かをまた何かに向けて郵便するという行為に取り付かれた人間的本性の深みについて、改めて思いを巡らせる。今の我々だったら、このような郵便を発するのに、そんな大規模な労働力を要さない。インターネットが使われている。神、宇宙、普遍性、・・・・という不特定な他者へメッセージを送る、送らざるえないという人間的衝動のサガとは今でも続いている。

どのようにして地上絵を描いたのかという方法については、まず原型になる絵を適当な大きさで作ってもち、中心点を地上にとり、そこから距離を取りながら拡大して描いたのだろうと考えられている。つまり原型としてのイデア像を最初に作り、そこから幾何学的に正確な計算によって延長を、人々の労働行為を使い拡大していったということだ。イデア、原型、計算、推測、測量、労働、延長といった経緯の痕跡がそこには見られる。観念を現実化する際の人間の取る方法とは、この時期の人間たちにもよく把握されていたのだ。方法は今でも別に変わっていない。