ビートルズとヒッピー

ロックというジャンルの音楽史的な形成において、ビートルズの音楽の生成された過程を振り返らずにそれを語ることはできない。ロックとは形式の単純化の中に最初に発生した。ロックが世界中どこにでも、一種の熱病のように、あるいはウィルスのように伝染し伝播し、そして感染していく過程において、音楽史的な凝縮によるこの単純化の様式が絶対的な条件となったのである。ビートルズとは要するにこの単純化の謂いであり、単純化の最初の発生なのだ。それは単なるPOPというのとも違う。アメリカから流入してきたポップスの波は、イギリスの地、港町で貿易港としてのリヴァプールにおいて、ビートルズという四人組みのシンプルなプロジェクトによって、更に流通を可能にするための単純化のプロセスを授けられたのだ。

ビートルズとはそういう意味で、このとき歴史的なプロジェクトになった。ビートルズ音楽史的にも文化史的にも、そして精神史的にも世界史的なプロジェクトとなったのには、そこに幾つかの偶然性が奇妙に作用したものとはいえ、必然的な組み合わせによるものだったのだ。

ビートルズの結成された経緯とは、最初は全く資本の動機として、一個のアイドル的なヒットを生む音楽ユニットを結成させることにあった。当時のマネージャーはブライアン・エプスタインである。また音楽面でのプロデュースとバックアップはジョージ・マーティンが、ビートルズ解散の直前まではずっと担当しつづけることになる。60年代の初頭にあって、当時流行だった単なるリズム&ブルースやドゥーワップのグループではなく、もっとイギリスらしい新しいグループサウンドのスタイルがそこで考案された。それはギター二人、ベース一人、ドラム一人という四人組によるシンプルなバンド構成である。ボーカルは基本的にギタリストかベーシストが担い前に出て歌うことになる。このシンプルなバンド構成はビジュアル的にもよくまとまって流通しやすいものとなった。イギリス的な健康な若者のバンド、それはアメリカから輸入されてきた黒人ナイズされたブルースとも通底しているが、もっと伝統的なイギリスのフォークロア、白人文化にも根差した、イギリス人的な仲間意識と友愛の存在を象徴しうるようなバンドの発明であった。

ビートルズの誕生とは資本主義的な文化体系にとって、最初のアイドルの誕生でもあった。レコードプレイヤーの大衆的普及によるオーディオ装置の商品としての敷衍、そしてギターからドラムセットが文化的な商品として、大衆的に隅々まで商品文化として普及していく、そして当時はじめて興ったテレビの普及においても、そこで流される主要な人気コンテンツとしての音楽番組の題材として、ビートルズというアイドルの存在、資本主義の一側面が生み出した現代的な神の図式とは、よく普及し凄まじい勢いをもって現象として拡散しえたのだ。

ビートルズのデビューは1962年のシングル盤『Love Me Do』である。ファーストアルバムは63年の『Please Plase Me』であり、それから解散の『Let It Be』に至るまで活動期間は8年である。65年のアルバム『HELP!(邦題四人はアイドル)』に至るまでの初期ビートルズにおいて彼らのシンプルな楽曲の編成は確立される。メロディーにおいても楽曲の編成においても、シンプルでありわかりやすいことは、レコードの流通市場とメディアの表出率における彼らの絶対的な地位を作り出すことに成功したのだ。単にメロディがわかりやすいだけでなく、ビートの構成においても単純であると同時にそれは力強く反復し中毒性に満ちている。流通におけるこのシンプルな構成力は破壊的な爆発力をもち、メディアの表出する場面において、あらやる場所を瞬く間に席巻し制覇していったのだ。これは60年代の欧米における文化革命の波となった。60年代前半はビートルズによって確立された、リズム&ブルースよりも洗練された形式、そしてロックンロールよりもより普遍的な形式美としての新しいシンプルな精神的流通形式として、ロックというジャンルの誕生が宣言された。

基本的なビート構成としてのロックの原形式が出来上がったのが65年までの60年代前半の出来事だとして、ビートルズの影響が広まると同時に、この基本形式を多様化し奥深くしようとする動きがムーブメントのようにロックにおいて現れる。ビートルズが日本に来日し武道館講演をなしたのが65年であるが、この時のビートルズは、まだ最初に誕生した原形式としてのシンプルな楽曲を演奏するバンドであった。ロックというジャンルが単にビートルズだけの特権的所有物に留まらずに、アニマルズやローリングストーンズといったビートルズに対抗するライバルグループが現れるにつけ、ロックの楽曲編成が複雑なものを取り入れ始めるに至るのだ。ロックの基本形式を突き詰めて密度を高くしていく過程に中期ビートルズの作品群は位置づけられる。まず『ラバーソウル』であり、『リボルバー』といったアルバムである。この中期の過程で、ビートルズとはもはや単なるアイドルとして、ミーハーな女子学生を惹きつけるだけの音楽ではなくして、形式としての重厚さを増していく音楽的実在へと進化していくことになる。65年の日本武道館講演の成功にもあるように、同時にこの時期ビートルズは世界的なレベルの成功を手にし。彼らの存在とロックというジャンルは、60年代に興った重要な革命ムーブメントの一環として認識されるようになったのだ。ビートルズもジャンルとしてのロックももはや単なる一過性のミーハーなアイドルである次元から脱皮していった。

しかしこの中期におけるビートルズの進行において、メンバーの個性的な行動と成長が、それまでの単純なロックンロールをベースとした純粋形式としてのロックサウンドのあり方に、切断線を入れることになるのだ。まず第一の切断とは、ジョージ・ハリスンのインド傾倒によるものである。インドとヒンズーの文化に深く興味をもったジョージ・ハリスンはインド旅行を繰り返し、ヒンズー音楽のスタイルをビートルズサウンドに注入することになる。このジョージハリスンの注入は、ビートルズの音楽にエスニシティの厚みと世界史的な広がり、そして宗教的な精神主義とラディカリズムを導入したものだ。ドラッグ文化に対するラディカルな興味を取り入れることによって、ドッラグ的な体験を基にし、当時のサイケデリックと連動する作品の生産をすることになる。ルーシーズスカイやストロベリーフィールズの曲にその傾向は色濃く表出され、そしてアルバム『サージェント・ペッパーズ』でビートルズ的な精神体系は一大体系化されたサーガとして完成されることになる。サイケデリックな色調に彩られ、愛と革命への希求を歌い上げるという60年代的な文化ムーブメントの総大成的なものへとビートルズの世界は広がっていった。またビートルズの音楽自体が60年代における世界革命のシンボリックなイコンへと上り詰めて語られるようになっていったのだ。このときジョージハリスンの最も影響受けていたものとは、60年代当時アメリカから流入してきたヒッピー主義の精神世界論とドラッグ文化であった。そういう意味ではジョージはビートルズのメンバーの中では最も宗教的世界像に取り付かれていた男だったといえる。ジョージはインドで学んできたシタールの楽器と音階をビートルズのアルバムに導入した。アメリカを発端にして広まったヒッピームーブメントの波にのり、ビートルズの音楽もそれに支柱を与える音楽的精神世界として機能し広まったのだ。

ビートルズの脱皮過程において、次に第二の切断線が生まれる。それはジョン・レノンがニューヨークでオノ・ヨーコと出会うことによってである。当時ニューヨークでフルクサスのメンバーとして活動していた前衛アーティスト、オノ・ヨーコジョン・レノンに精神的かつ理論的なインパクトを吹き込んだのだ。ジョンにとってヨーコとの出会いは革命的な体験だった。日本の学習院を中退してNYに渡った、埼玉県出身の財閥系令嬢の小野ヨーコは、芸術活動における革命理論の基本をジョンに教えたのだ。以後ジョージとは対照的に、ジョンは理論的な革命ムーブメントの方向性を音楽に取り入れていった。ビートルズのソングライティングを中心に担当していたのは最初、ジョンとポールだった。しかしジョンが革命的ラディカリズムに傾倒していく傾向をもっていたのに対して、ポールは基本的に保守的なイギリス人にとどまったといえる。ジョージの精神世界傾倒にとっては、ジョンの示す理論的革命像の存在、そしてマルクス主義、左派的運動への志向性とはとても耐えられるものではなかった。こうした中で一貫してビートルズのアイドル的な実在を保守し続けたのはリンゴであったといえる。

ジョージもジョンも深くインスパイアされたものが、ヒッピー主義によって示された自由のビジョンではあったものの、ジョージは単に宗教性を志向する体質が抜けきらず、ジョンが興味を持ったものは、理論的で前衛的でラディカルな自由のイメージ、更に言えば革命的なもののイメージだったのだ。このようにビートルズメンバーがそれぞれ個性を開花させていくのに応じて、メンバー間の対立というのも決定的なものとなっていくのだ。文化的総力戦としての総大成の感が強い『ホワイトアルバム」は確かに完成度の高いアルバムとしてできあがった。この時期が活動上ビートルズの頂点といえるものだったのだ。その後、メンバー自身はあまり乗り気でなかったという商業上のアルバム『イエローサブマリン』を発売する。そして実質的に最後のビートルズ活動となったのが『アビーロード』である。メンバーが散り散りになり、もう解散が決まった段階で、最後にそれまでの曲を集めた『LEt It Be』を、フィル・スペクターのプロデュースによって発売した。

このようにして短い、ビートルズの神話的な伝説の期間は8年で終了したのだ。その後は各メンバーがソロとして、それぞれの個性を完成させるに至る。ロックの円熟期としての70年代の時代が到来するのだ。そして70年代とは、ビートルズを筆頭にして開示されたはずの革命幻想の熱狂が静かに終焉していく時代でもあったのだ。