Public Image Ltd.

この人を見よ?デイブ・スペクターとよく似てると云われるんだけど、僕の考えでは、この人本当はビートたけしとパフォーマンスのスタイルが同じなんではないかと思うのだが。たけしと同じ癖の動きをする人。・・・

セックス・ピストルズ−それはあっという間に盛り上がって分解してしまったムーブメントだった。セックスピストルズの価値とは、彼らが活動した僅か一年程度の期間ではなく、その後に語り継がれイメージが反復される度に伝説として強化されていった事件である。それは彼らの実体的な価値というよりもその後に膨れ上がった語りによって出来上がった価値なのだ。70年代後半にパンクというコンセプトが誕生した。仕掛人になったのは、ロンドンを浮遊する若者だったジョン・ライドンジョニー・ロットン)とアメリカでニューヨーク・ドールズを成立させて一定の成功を上げてきたマネージャーのマルコム・マクラレンである。ロンドンのファッションショップに集うゴロツキのような若者達を集めて新しいロックのコンセプトを編み出したのだ。それはセックス・ピストルズという。既にそれはロックが既成のロックとして飽きられ始めていた頃だった。そこでロックに活性化させる電流を与えたのは演奏上における技術的な上達の問題というのでは全くなく、そこに注ぎ込まれたのは過剰な観念の束だったのだ。

このとき音楽にとって、観念の束こそが最も新しく刺激的なものとなった。過剰に注ぎ込まれた観念とロックの結合。ロンドンに成長したサブカルチャーとしてのロックの存在とは、70年代の後半を迎えてそれまでロンドンの街角に転がっていた最も歴史的な過剰物としての左翼的なイデオロギーの数々と哲学的な語りの形式、そして政治的プロパガンダの形式を注ぎ込まれた。

パンクロックとはこのとき、新しい階級闘争のスタイルとして爆発したのだ。彼らが自称したものとはアナーキズムである。しかし彼らのライブによって燦然として示された新しいアナーキズム階級闘争マニフェストとは、かつてのヨーロッパにあった革命の歴史のよく短縮されたパロディのようにすぐさま恐慌的なジャコバン政治へと転落した。新しいロックと新しいアナーキズムのイメージとはすぐさま野蛮なものとして地に堕ちてしまった。新しいロックと新しい左翼の融合とは、結果的にはサッカーにおけるフーリガン文化のようなものと通底していたものだった。大都会のライブハウスは毎夜のように荒廃することによって祝祭を見た。セックスピストルズのスローガンとは、すぐさまその底の浅さが露呈し、バンドは急速な盛り上がりの中であっという間に空中分解したのだ。そして1978年、コンセプターだったジョン・ライドンは「ロックは死んだ」と宣言する。ピストルズを解散してすぐに彼の新しいコンセプトによるバンドを立ち上げたのだ。それはPublic Image Ltd.である。