The Shadow of No Man−音楽の終焉という到達点

The Shadow of No Man −Crime & the City Solution

80年代中期から後期にかけて、ロックというジャンルの内的進化形態として最終的な飽和に向かっていたのだと思う。幾つかの実験的なバンドは、実験音楽としてのロックをその前衛的な価値においてとことんまで煮詰めていた。恐らくそれはもう音楽史的にロックというジャンルが終点を越えてスカスカの空虚さの場所にまでいってしまうまでに。

音楽とは、順列組み合わせによって成立している時間的な構造である。音楽においてその構造が循環を繰り返すことによって、音に意味を付与し、リズムとしての時間に価値を与える。ロックはその本性としてそれが知性的に洗練されていくときは、音的複雑性の中における単純化へと向かう。徹底的に単純化することは抽象化を研ぎ澄まし、音の世界を純粋化させることに繋がる。純粋化する構造を回しながら、その反復から絶対的な時間性の到来を出現させ、最終的にそれまで滞留していた情念の昇華へと向かう。

最大限に世界を単純化する形式を発見することは、前衛ロックの宿命である。より単純化と透明化へと突き動かされる内的衝動によって、そのムーブメントとしての音楽は動いてきたのだ。そしてついにその単純な順列組み合わせの回数も終わりがくることが予感され、実際に終わりの瞬間を踏みしめに到るバンドの体験が、80年代の終わりには、とてもインテレクチュアルに現前していたのだ。

実験音楽の終焉でありロックの終焉であり、その臨終の瞬間を生きながら、生の単純反復に再び回帰していける切欠を掴む音楽的な運動、それは知性の倫理的な運動としてあるバンドの前には現れていた。『ベルリン天使の詩』に出演していたバンド、Crime & the City Solutionは最終的なロックの倫理的死の体験について、見事に如実に明らかにして我々の前に見せてくれた。それは89年に発表されたアルバム、『SHADOW OF NO MAN』で実現されている境地である。

ニックケイブのバンドとメンバーを入れ替えしながら、クライム・アンド・シティソリューションは交互に音楽の最終的境地としての静寂と破壊を、ロックの文法に沿って追及するに至っていた。ニックケイブの音楽もクライムの音楽も、やはり80年代的な幾つかの実験的過程を経ながら既に80年代内部の段階でその終点をお互いに迎えたものだといえる。それは最初は同じバンドからスタートしたスタイルとコンセプトでありながら、お互いにそれぞれ異なった死の絶頂の仕方を迎えたのだ。

どのような死に方が、ロック形式の終点には相応しいのか?それだけがこの二つの競合的バンドの内的目標であったかのような、音楽の展開の有様であり、散逸の有様であり、その最終的な収束の方法であった。クライムの到達点はこの曲によって如実に誰でも体験することができる。素晴らしい光明、偉大な音楽の境地である。単にロックの終焉とは言わず、この光明この境地の中には、これまでロックを形成してきたヨーロッパ的昇華の形態がその宗教と文化の形態を凝縮させ、キリスト教的思考の最終的な純粋化、そして放出と散逸化の境位にまで至っている。我々はそれを聞きこれを見れば如実にその凝縮の高密度な実体について体験することができる。

しかし89年のこのアルバム後には、もうクライムでさえも、この音楽的境地は出せなくなってしまっている。その後のバンドの運命は、ニックケイブと並び、成長を終焉させたアーティストの単純なる回顧展といった活動の有様となっただけだ。しかしそれでよいのだ。もう十分である。80年代という実験ムーブメントにとっての輝ける時代において最も先までいけたバンドこそが、彼らの存在だったのだから。音楽のジャンルとは必ず何処かで終わるのである。そしてロックに最も相応しい終わり方、死に方を与えた張本人こそが、オーストラリアから出現して最終的なヨーロッパの歴史運命に身を同一化した彼らの存在、Crime & the City Solutionというバンドだったのだから。

89年のこのアルバムにおいて、それまでクライムのサウンドの核を担っていた、ベルリンの映画にも咥え煙草でギターを弾いて出演していたローランド・ハワードは抜けている。代わりにこのバンドでコンポーザーを担当したのはニックケイブのバンドから移ってきたミック・ハーヴェイである。ミック・ハーヴェイならではの静けさのアレンジにおいて、世界の優しさと暗さを単調にかつ研ぎ澄まされた抽象力によって詩的に歌い上げる技に、このアルバムでは成功しているものなのだ。80年代の最後を、ジャンルとしてのロック、前衛的精神性としてのロック文化の終焉として明瞭とするに相応しいアルバムとして、この音楽は位置づけられるだろう。