ロックと人格性Ⅱ

1.
ロックにおいて、音楽の内容が人格のイメージに結び付くとは、どういう意味があるのだろうか。特にポピュラー音楽の場合、音楽と人格の統合したイメージによって、商品のパッケージが成立するというものであることが多い。

80年に起きた象徴的事件として、ジョン・レノンの射殺事件とは、いわばロックにおける人格主義の終焉という意味がある。それに対して忌野清志郎の音楽が日本の市場で売れていったのは80年以降の現象であり、ジョンレノンの事件以降のことだった。

ジョンレノンの事件以後は、やはりロックにおいて、音楽が何らかの形でのキャラクター、パーソナリティの実在と結び付くイメージでありながらも、更に音楽としての内容が進化し、純化した形としての、それは人格を批判する人格性といったものが、よりロック的なものとして成熟していった。

2.
ジョンレノン以後において、パンクス的意味でのキャラであっても、ニューウェイブ的意味でのキャラの登場であっても、大抵の場合、それは人格を批判する人格としての、キャラのイメージが多くなる。いわばジョンレノン的な物に担われるイメージが、音楽におけるベタなものの存在だとすれば、そこから距離を取った批判的なスマートさのほうが、よりロックとしては好まれるように、嗜好においての成熟と進化が起きた。

日本のロックにおける人格性、キャラクターの問題というのは、これら欧米圏の現象よりも数歩遅れたものとなったし、また日本独自の特殊な問題を抱えていた。音楽における人格性の存在といっても、日本の市場では英米よりも露骨に、道徳主義的な人格性が要求されることが多く、文化的な流通網のレベルで、単なる人格ではなく道徳的人格性というのが、流れるイメージの核となっている現象というのは、とてもアジア的な現象であり、東洋的文化の傾向として残存している。

3.
音楽以前の他の芸術分野でも、文学でも映画でも絵画でも、市場においては同様の現象がありえるわけだ。音楽と道徳的な人格のイメージが結び付くというのは、それ自体は凡庸な意味でもよくあることだ。しかし、音の存在というのは、むしろ音自体で高度な構成になるにつけ、人格的なものを指示しながらも人格的なものを批判する、解体するという境地にまで飛ぶものである。

音の純粋な深化とは、人間的なもののうちから人間的なものを批判し超越する境地にまで到達する。特にロックの音楽における、音の絶妙な境地であり、音のスマートさならば、ロックは進化を遂げるごとに、人格的な形象は乗り越えていき、むしろ動物的なセンスの境地にまで到達することによって、音としての出口を示すものとなるだろう。

4.
ロックにおける人格主義イメージとは、そういう段階が時代的に必ず通るものとはいえ、センスの進化と成熟によって、やがて脱ぎ捨てられていく梯子の様な役割である。しかし、ジョンレノンの音楽とは、それ自体においては、音の水準において充分に人間批判的なものを最初から示しており、ジョンレノンのイメージに道徳的人格を投影して聴くというような有り方とは、よくありがちなこととはいえ、音楽をよく理解していない聴き方であるには違いない。

日本の幾分か後進的だった現象を見れば、忌野清志郎の同時代として、特に少し上の世代としてあったのは、日本のフォークであり、海援隊武田鉄矢とか、吉田拓郎とか、さだまさし南こうせつといった人々である。これら日本のフォーク世代に特徴的だったのは、音楽によって道徳主義を表現するというスタイルであって、この露骨なる日本市場の道徳主義的要求の在り方とは、アメリカやイギリスの市場には、対応しない、独特のアジア的流通であり、東洋史的な感性を要求していたものである。

アメリカでもイギリスでも、ロックの前提段階として、フォークソングの隆盛があったとき、やはりそこには左翼運動と連動したような、道徳的なメッセージの交換というのが、音楽の交換形態、音楽的な挨拶の形態として一般的だった。とはいえ、どうもセンスとしては、芸術の交換形態における道徳的なベタ付き加減というのは、何かが鈍臭い、ぎこちなく扱いづらいものであったに違いない。

5.
そこに新しい交換形式と市場の形態が出現するとき、まず最初は、道徳的な人格性の形成が、そこで交換を繋ぐハブになり、折衝的役割を負う。これは市場形態における、初期的な原理である。交換の始まりとそれをよく担える人格性の登場とは、同時に生ずる。

一定交換の量が増大し、市場が市場として独立して回転する様に自立した段階では、今度は逆に、道徳的折衝の機能というのは、厄介なもの、野暮なものとして、限りなく薄められて消えていく傾向が生じる。そこで、交換の条件として、道徳的人格が要求されなくなったとき、それは市場が市場として成熟して自立した証なのだ。これと同様の法則が、ロックという市場形成においても、時代に応じて漸次的に起きていったのだ。

アメリカでは、ボブ・ディランジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリーなどフォークのプロテストソングや、クロスビー・スティル・ナッシュ&ヤングといったカントリーフォークが、ロックが登場する前段階の役割を担ったが、彼らの音楽の条件というのも、音に乗せて道徳的なメッセージを出すもの、人と人の道徳的交換を媒介するものとして機能していた。そういった原初的段階では、音楽は道徳と人格性を保証するものとして機能する。ビートルズ以前の前提を為していた音楽の系譜である。

そもそも、ビートルズの出現とは、そういった音楽における道徳主義的な付随というのを、余計で野暮なものとして帳消しにする形で出てきた節がある。音は、人間的な音楽の形として、何か道徳的な実在を喚起する側面が必ずある。しかし音が進化する段階というのは、そこで単純に指示された人間的なものの位相、道徳的枠組の位相を、音自身の力によって批判的に乗り越えていくところにある。

6.
ロックにおいて、音自身による人間批判、道徳批判というのは、過激なまでにラディカルに、徹底的に根底を浚われるところまで行くことができる。ロックにおける、最終的なスマートさ、気持ちのよさとは、音が人間の形を乗り越えて、動物的な速度の安らぎというところに行くところまであるのだ。そういう意味では、ロックの初期の段階から、美学的な自意識として、決して人間の鈍感な檻の形式に囚われることなく、意識的に動物的な位相の快感原則に音の位相を構成していたのは、ルー・リードの音楽であった。

日本の市場においては、これら英米的文化の成熟とは、最初に随分遠いところからスタートしたのだ。結局、日本人においてロックという形が根付くところまでいくためには、余りに日本人的な、道徳的交換の奇妙な現象を通らざる得なかった。

日本のフォークにあった吉田拓郎武田鉄矢のようなモラリズムをもって、あれでロックの交換というのには、相当日本の独特な体質を潜り抜けて来なければならなかった。日本人の歴史的体質である。音楽にも侵食していたこの体質とは、ある意味儒教的国家の風土だったともいえる。武田鉄矢でも、吉田拓郎でも、南こうせつであっても、あの世界はあれで完結している。音楽としてそれはそれでレスペクトに値するだろう。しかしそこにはどうしてもロックになり切れない要素というのが残るのだ。このロックにはなり切れない要素との葛藤というのが、日本の市場の独自の性質を特徴付けている。

清志郎も最初は、普通にこの日本のドメスティックな体質の中にいたのだ。清志朗のRCサクセションもそこからスタートした。しかし清志朗は、死ぬまでにあたっても、別にこの日本的土着性を放棄したというわけではないのだ。日本的土着性をそれなりの流儀で、やっぱり清志郎は愛している。

7.
RCサクセションの初期で有名な曲とは、『ぼくの好きな先生』というフォークソングである。これは清志郎が、都立日野高校で実際にお世話になった美術教師のことがモデルになっているという。「ぼくの好きな先生、ぼくの好きなおじさん、・・・」と歌われるこの曲とは、つまりそこにある古い意味を抽象すれば、「師を敬う」という古典的道徳観を、ユーモラスに茶化して捻ることによって反復している歌である。これは元を質せば、日本人にとって、儒教的理念のパロディではないか。

素朴な道徳的センスを歌にして実体化することによって、はじめから清志郎の音楽活動はスタートしている。この懐かしいイメージとは、日本人的歴史性の層から既に裏打ちされて出てきたものである。清志郎が、日本のロックの世界に持ち込み、確立させたものとは、このように、新しく出来つつあった芸術的な(商)取引の世界における「礼」の観念である。それは日本人的礼の観念の反復として、自ずからあった古典的体質を、芸能の世界で反復するものとなった。日本人が、清志郎の言動を見ながら抱く、どこか懐かしいような性質とは、この日本人的律儀さの、礼の観念を、ロックみたいに野蛮で収拾のつかない世界で維持しているところから来る、懐かしさである。

結局、ロックの世界というのは、天然でアナーキーに流れ、動物化してしまう野蛮さを生きる世界として、人はそこで自分で演じながら、内心は、実は疲れ果てていたりする。そこが一つの纏まりある世界として成立させるためには、最初に、やはり日本人的センスとしての礼意識を持った、父性的存在が必要とされた。清志郎の姿に、日本人の古臭い系譜を見ることは、決して偶然ではないのだ。