ヒッピーとアウトノミア

1.
1960年代、アメリカ社会の豊かさとはもう既に飽和的状況を迎えていたように見える。資本主義の高度化の達成によってもたらされた物質的な豊かさは、情報化とメディア化の革命的進行とも相まって、社会の高度化としては、今までの世界史的には類例を見ない事態をみたのだろう。

第二次世界大戦の勝利におけるあらゆる剰余的な遺産とは、アメリカ資本主義の総合的な展開と、その『帝国』的な発展の中でこそ花開いたのだ。アメリカは単に物質主義の大国であるばかりではなくて、文化的にもある種の臨界点に達したように見えた。60年代に、アメリカではヒッピーと呼ばれる文化的な人間たちの層の流れというのが新しく潮流としておこる。

2.
ヒッピーは社会的なムーブメントとして一定の流行の兆しを見せる。ヒッピームーブメントととは、当時の若者たちの年代層にあった左翼運動の流れ、ベトナム反戦運動の流れなどと連動することによって、アメリカに止まらずにそれは世界的にも流行する.---ヨーロッパにも日本にも。ヒッピーの文化的なスタイルとは、高度な情報化社会を背景に出現してきたものであり、高度資本主義の社会下における物質文明の発明物というのを、同時に原始的な人間的共同性の歴史的なスタイルと融合させることによって、独自のスタイルを生み出して持った。

ドラッグについての新しい文化と新しい解釈。ドラッグの影響を受けたサイケデリックのビジョンのスタイル。そして電子楽器をフルに活用して取り入れる新しい音楽のスタイル、ロックの発明。音楽やダンスやビートニクスと呼ばれる文学的な新しいジャンルや詩の発表、そして人間たちの集会の方法論も含めて、それらは解放的であることを目指す一大、総合的な文化運動の流れとして花開いた。

3.
ヒッピームーブメントとは、それは本質的にもアメリカ的な文化だったのだろう。物質的にも情報的にも豊かさの実現を背景にしてそれは出てきた。テレビジョンの情報網の急激な発達をはじめ、自動車文化の普及と飽和を迎えると、方法的にも物理的にも移動の自由を得たアメリカ人のスタイルはヒッピーの出現によって、ある種の総合化とその頂点を極めることになる。

文学的にはヒッピーの前提となったのは50年代のアメリカのビートニクスである。ジャック・ケルアックの逃走的で解放的な小説。ウィリアム・バロウズのドラッグを巡る実験小説。アレン・ギンズバーグ的な詩の発明と発表方法の新しい模索。ギンズバーグ的な朗読会のスタイルというのは、人々の集会の形式にも、開放的で気軽な集会のスタイルとして画期的なものとなり一躍広まった。大学をそのような朗読会や集会の場所として活用するだけでなく新しい集会のスタイルは場所も特に選ばず、なんら特権的な場所的選択をせずにむしろそれを打ち壊すことによって、街の中へとでかけ、街角で、駅前で、公園で、ゲリラ的にも柔軟性と解放性を伴いながら広く伝播していった。

ボブ・ディランのもたらしたスタイルとは、ギターの弾き語りによって音楽に合わせることで同時にメッセージの伝達をも盛り上げることのできるスタイルだった。ギターが一本あれば何処へでも出かけていって、それは自己主張のパフォーマンスを可能にする。やがてボブ・ディランビートルズの触発を受けてエレキギターに目覚め、電子楽器の可能性にも取り組み、ロックという音楽のスタイルを開拓していくことになる。

4.
ボードリヤールはヒッピーの現象についてこのように彼の観察を語っている。

彼らは消費社会の基本的なメカニズムによって条件付けられている。彼らの反社会性は共同体的(コミューン)かつ部族的であって、マクルーハンのいう「部族主義」tribalismを思わせる。・・・彼らは競争と防衛のシステム、自我の機能などの廃絶を唱えているが、実はリースマンが他人指向性としてすでに描写した性格--自我と超自我を中心に組織された性格の個人的構造から、他者を中心に集中と拡散が行われる集団的雰囲気への客観的移行--多かれ少なかれ神秘的な言葉で表現しているにすぎない。ヒッピーの無邪気で見え透いたやさしさは、同輩集団に固有の誠実さ、率直さ、温かさなどの至上命令を思い起こさせるし、彼らのコミューンの純真ではなばなしい魅力の源泉である退行性と小児性はいうまでもなく現代社会が各個人に押し付ける無責任と子供っぽさの賛歌とその反映である。要するに、生産至上主義的社会と安定した生活という強迫観念によって追い詰められた「人間性」が、ヒッピーの出現によって感傷的な復活を遂げたことになる。彼らは一見アノミー的なようだが、実はすべてを様式化してしまう現代社会に支配的なあらゆる構造的特徴を保存しているのである。
『消費社会の神話と構造』第三章マスメディア、セックス、余暇

ヒッピームーブメントの影響というのは、それがキリスト教的な労働倫理に基づく社会観というのを崩壊させてしまった事にある。それまでのアメリカ社会の発展と繁栄を支えていたものとは、勤勉な労働力である。そしてそのような労働力を維持して再生産するための精神的な支柱とは教育体制と、そして何よりもキリスト教的な精神性によって統合をなす上部構造にあった。

労働が人間にとって義務であるという倫理観を個人の中に内面化するためには、精神的な支柱としてキリスト教的な価値観に依存していた。同時にそのように真面目にかつ愛国的な社会観の共同意識に基づいた社会意識というのは労働力の社会的な生産性も高めるものであった。全体としてアメリカ社会とは20世紀の流れ、資本主義の展開によって国自体が豊かになりその統合性も増してくる段階にあって、そのような機能的な配置でもって全体的に豊かな社会と成長してきたのだ。

5.
その最も具体的な成果であり形態がフォーディズムの完成である。機械的なオートメーションによって分業を振り分けられた労働者は工場の中で全体的な統合生産の一部として、歯車として、単純に、かつロボットのようによく働く。このような生産体制におけるフォーディズムの形態というのは、近代化にとっての一つの極点であり、そして最初の完成形態でもあった。

チャップリンの映画「モダンタイムズ」の中にも見られるように、フォーディズムの工場的で機械的で全体的なな生産体制の完成とは、モダニズムが最初に完成として意識された地点であった。フォーディズム的生産の方法論と合理性とはそのまますぐに外国にも伝播した。ヒトラーナチス第三帝国の工業的な生産体制において多いにこのフォーディズムの影響を受けて取り入れたものだったのだ。

第二次世界大戦後、戦争の勝利によってアメリカの資本主義は発展を急速なものにしていった。資本主義的な豊かさの繁栄はアメリカに、文化的にも新しい展開を与えた。資本主義の回転のスピードの波に乗ることによって国家としてのアメリカは一気に完成をされていくことになる。しかしその一方では帝国的な完成へと向かうアメリカ社会の傍らでは、また別の事態も同時に進行したのだ。

50年代のビートニクスという文学的な運動の先駆けを経て60年代のアメリカのヒッピー文化の出現というのは、もはやアメリカ社会の生産体制が、ポストフォーディズムのそれに移行しつつある過渡期であった事情も物語っている。資本主義の高度化、情報化社会の本格化というのが、近代にとっての古典的な生産体制(主には一元的な全体性によって生産力を高めるというもの)を覆してしまったという事実を、その同伴としての文化的な次元によって体現し始めたのだ。アメリカ社会におけるヒッピーの出現と流行とはフォーディズム的生産社会の解体過程とパラレルにある。

6.
さて、それではアメリカで起きたヒッピームーブメントにあたる次元とは、その隣接のヨーロッパ社会においてはどのような事情であったのだろうか。もちろんヒッピームーブメント自体はヨーロッパにも同じ形式でもってそのまま輸出されて広まっているものだ。しかしヨーロッパ的な社会の連続性としての、キリスト教的労働観の崩壊、およびそれの反転としての社会主義共産主義の古典的な労働観、労働者主義の崩壊というのは、現代ヨーロッパの歴史的な連続性からいって、左翼主義の立場からもそれが起こることになるのだ。それは最初にはイタリアからおこったといわれる70年代に起きた新しい左翼主義のスタイルとしてのアウトノミア運動である。

アメリカにおけるヒッピームーブメントと西ヨーロッパにおこったアウトノミア運動というのは、時代的にいってもパラレルな関係にあたる。70年代のイタリアのアウトノミア運動において「労働拒否」というのが明瞭な概念として出てきた。これはそれまでの共産主義運動のあり方に切断をもたらした。