Captain Sensibleの『Wot』−自由のスタイルにおけるヨーロッパの歴史的な懐

覇権国家」という歴史的な規定がある。それは圧倒的な経済力を基礎とし、商業と金融において繁栄し、政治と軍事面においても並ぶもののない力をもった国家のことをいう。歴史的には、覇権国家の姿が最初に明確化されて出てきたのは、17世紀のオランダであり、次に19世紀のイギリスであり、その支配力はパックス=ブリタニカと呼ばれ、20世紀後半においてのアメリカ合衆国が、パックス=アメリカーナとして該当しているものとされている。その時代において国際社会において決定的な影響力を行使する国家として覇権国家の変遷というのがある。

ところで、近代史において最初にヨーロッパの覇権国家として成立したのはオランダだったのだ。オランダの覇権時代とは17世紀のことである。この時代のオランダは文化的にも充実し重要な出来事を生み出していた。グロティウスが「海洋自由論」を唱え「戦争と平和の法」として、近代史における最初の国際法の規範を確立して主張したのが、17世紀オランダの出来事であるのだ。海洋自由論という言い方に見られるように、自由の論理について何々自由論という形で語られた最初の段階というのがグロティウスであり、この時代のオランダのことなのだ。

世界史的にはこの時期のヨーロッパのことを指して、「17世紀の危機」と呼ばれている時代である。この時期に起きたヨーロッパの転機とは、神聖ローマ帝国としてのドイツ地域の解体であり、ドイツの地は三十年戦争を迎え荒廃した。中世で国家間の争いの調停者であった神聖ローマ皇帝という権威が失墜することによって、主権国家間での争いが激しくなるなか、自然法という概念を基礎としてこの時期に最初の国際法的思想が生み出されたのだ。

グロティウスの後には、イギリス人のホッブスによって「リヴァイアサン」が書かれている。この時代繁栄を謳歌していたオランダでは、思想の自由がいち早く認められており、フランス人のデカルトがやってきて移住し、「方法序説」などの一連の著作を書くことになる。そしてデカルトの影響下からオランダでスピノザの仕事が可能になっている。資本主義の勃興にとって前段階に当たる時代だが、単なる海洋的な軍事的覇権力だけではなく、その後資本主義を体制として確立することに成功したイギリスに、ヨーロッパの覇権は移行していくことになる。オランダというのは、このように世界史上最初にリベラルなイデアを実現した国だったのだ。

今、我々がオランダについて語るとき、最も引き合いに出されやすいのは、大麻の問題を巡るオランダの基準である。大麻をはじめとしたドラッグの使用の範囲の確定が、オランダという国にとっても決して問題でないわけではない。自由で寛容そうに見えるかの国でさえもやはりドラッグの確定には問題として常に微妙に頭を悩ませているのだ。労働環境から社会福祉まで広く豊かに合理的な自由を導入することを実現してる国の現状であっても、自由の拡大する風土というのは、その根底では自由の範囲の確定を巡って常に葛藤を繰り返している。

しかし、先進国の自由の拡大を巡る問題として、日本のような形での画一的な締め付け方が、どこまで通用しうるのかというのは、やはり見ていて疑わしいところがある。国のシステムに自由が増大すれば、その傍らでは必ず底のほうにある自由の問題として、大麻使用の問題というのは出てくるのが常である。

大麻が別にいいものであるとは決して言わないが、日本社会の空気にとって、大麻とは単に禁忌のキーワードとして、ファッショ的な締め上げの脅しとして、見せしめ的に機能しているという感は拭えない。同じようなファッショ的な締め上げとして特徴的なのは、キーワードとしての、「セクハラ」とか「タバコ」が横行するときの不気味な脅しと同じような、ある種の空気なのだ。芸能界の禁忌的なキーワードが「大麻」なら、左翼の連中の禁忌キーワードとは「セクハラ」である。このとき、ある場所における「大麻」と、また別の場所における「セクハラ」という語彙の通用するときの機能が同じものになっていることにこそ、よく気づくべきである。

大麻」も「セクハラ」も、このとき同様に、ある種共同体的な言葉のスケープゴートなのだ。それらは芸能・文化を語るときだろうと、左翼を語るときだろうと、何か下のほうから起きてくる同じ草の根ファッショのアブジェクションを孕んでいる言葉の流通である。逆にいえばこの奇妙な言葉の流れの同質性に気付けるものこそが、真に左翼であると云えるに相応しいだろう。(現実に今の左翼が、セクハラ狩りのごっこでやっている有様というのは、単に共同体にとって空気の読めない輩を排除しようとか淘汰しようとかいう儀式的なごっこであって、それ自体は集団におけるイジメの新しい形態というだけである。そこにはイジメの一形態か、あるいは別件逮捕ならぬ別件排除的なものが含まれる。疎外されたものという自覚で集まってきた集団の、ヒステリーの転倒的放出の形としては、連合赤軍事件の頃から、左翼小集団の問題というのは変わっていないといえる。昔は性差別といったものが今ではアメリカ経由仕込みのセクハラという横文字に変わっただけで、出てくる糾弾形式の中にあるヒステリー的満足の微妙な卑怯さ、姑息さから云って、小集団が内的な安定形式としてそういう禁忌的キーワードとイジメを持つという性質は全く同じものである。)

しかし、ヨーロッパ的な自由の調整機能を深く歴史的に備えた風土といえども、それは長い歴史における失敗の連続として、次第に教訓的に身に着けてきた、言葉と悲劇の関係を先読みして用心しうる、自由の自律的な調整能力である。言葉と概念の横行が行き過ぎをうみ、結果的なファッショ的排他性をシステムに生んでしまうというのは、例えば20世紀初期のアメリカが「禁酒法」のようなものを発明したような例にもあるように、過激に自由を求める国にこそ逆にありがちな現象なのだともいえる。

アメリカ人的な情熱こそが逆に最も簡単にファッショ的な一丸化に向かいやすいという危うさもあるわけであって。自由をプロテストする風土とは、ヨーロッパでも歴史の積み重ねによって熟成してきた、とても一言では言い表せないような深い慣習的体質にある。自由にとってまだ歴史の浅いといえる、日本やその他アジアの諸国にとってはとても羨ましくなるような性質である。

この自由のプロテストのスタイルとして、アメリカではなく、20世紀後半のイギリスにおいて、見事に開花した芸術的なマニフェストのスタイルというのがある。それは1960年代、ビートルズやクラプトン等によって発明されたロックという音楽の発明において、その十年後にはもうロックは、政治的なマニフェストの格好の舞台となって発明され直していたのだ。

70年代から80年代に起きたヨーロッパのムーブメントとは、芸術的な意味ではパンクロックである。パンクロックのスタイルとは、自由に最も慣れ親しんできたヨーロッパ人にとっても、当時の段階で衝撃的なものだったのだ。新しい音楽ジャンルの楽しげで芸術的な発明だったものが、再び政治的な過激さの為の武器として活用され直すとき、それはヨーロッパの歴史に深く眠っていた強い情念の束を連鎖的に呼び起こしたのだ。それはなんと頼もしげな政治の再来であったことだろうか。

70年代後半のイギリス産パンクロックにとって、新しい政治の発明を担ったバンドとして、特に絶妙な正確さを生み出した存在として、ダムドというバンドのことを挙げたい。ピストルズでもクラッシュでも、ポール・ウェラーでもなくて、THE DAMNEDでしか出来なかった政治のリアルな絶妙なスタイルというのがあるのだ。

特に、ダムドのメンバーでも、ベーシストだったCAPTAIN SENSIBLEの、政治活動のスタイルとは目を離せないものがある。80年に象徴的な事件であったジョンレノンの射殺された事件を受けて、キャプテンセンシブルは自らがジョンレノンのパロディの姿を纏って、新しい政治のスタイルにチャレンジして乗り出している。その見るもおかしい、面白くって頼もしいビデオが残っているのだ。これが政治である。そしてこれがロックであるというまさに両立した、懐豊かな確立がここにある。