24-3

1.

革命書店のテーブルに出ているコーヒーは、それなりにうまかった。何かコーヒーにこだわりのある人が、そこでいつもコーヒーを用意して待っているのかもしれなかった。こういう風に外は冷たい風で寒い日にも、ふと雑多にやってきて気がついたら話が深い所に入り込んでいるような、そういう空間を街の中に持つということが、いかに偉大なことなのか。なんかそんな仄かで小さな偉大さが実感されるような、古びているが暖かいソファに座っていた。

「それじゃあ左翼の行き先が問題ですね。」

飯塚くんが言った。

「左翼とは、未来において続いていくものなのか、将来は、左翼運動とは巨大な規模に膨れ上がり、本当に世界中の人達が、何かの理由で立ち上がって、世界革命という名前で予言されていたものを、実現する瞬間が来るのか?」

そのとき、隣にいるいいとしに老いた白人の男二人までが僕らの話に耳を傾け目を見張るような気配を感じたが、相変わらず僕らは平然としながら、日本語でしゃべり続けていた。

「それか、左翼とは人類史の中では、ある一時期にだけ特有の、思春期の病のようなもんであってさ、社会と人間が成熟するに従って、それは人間にはありりがちな歴史上若気の過ちだったと自覚していくことで、世の中には、不平等と残酷も一定残りつつも、それらを別に見捨てるというのではなく、またそれが我々の視界から消滅するようなことに意味があるとか考えることもなく、人間というのは素からこういう生き物だったのだと人間と社会の限界を見定めつつ、静かに個人個人が自らの幸せをちゃんと確保しながら、社会が限界を迎えるような問題の数々については、冷静に理性的な態度で問題を一つ一つクリアするようになって、種が全体として生き延びる。そんな成熟した理性的意識の世界に、個々が個々を守りつつ、社会は完成していくのか。・・・」

「そのとき、人間にとって、革命ということはどうなるの?」

村田さんが首を傾げて訊いた。

「革命は往々にして若気の至りで終わる。しかし革命と変革は違うから。変革は静かに部分的に時間をかけて社会を改良していくものだよ。革命は無意味だけど変革は現実的で正しいと、人々はみな納得するようになるでしょうねえ。」

「革命というのは、社会を逆転することに人々が欲望するエロスを重ね合わせることだよね。社会が全体として、あるいは国家として未熟な段階ではそういう思い切った引っ繰り返しが意味を持つような幻想が現実化する時も、確かにある。それは今までの歴史でも何度かあった。しかし社会システムが、成熟に成熟を重ねると、もうそんな急激な変化というのはありえないということが、データ上でも明らかに証明できるような段階になるから。インターネット化した社会というのは人類がそういう段階に入ってることを実証するものだよ。」

天井の光が眩しい。


2.
「しかし、それでも左翼であるということに意味があるのならさ」

飯塚くんは持論を続けたがっているようだった。

「それは貧しい人、欠如を抱えて生きてる人が、社会の一部に身を寄せ合って、それでも自分たちの幸せな生活を確保できる空間を作ることで、なんとか生き延びようとするもの。それは互助的な生活の共同性としては、いつも現実的な意味があるよ。」

「彼らは決して、社会を革命はできない。全体をひっくり返すということは、単にできないというだけでなく、そういう想像も無意味である。ただ、社会の問題意識を見据える人々が、肩を寄せあって交流しあい、抵抗的に自分たちの存在を守りながら、自分たちの、支配されたくない生の姿を、まっとうしようということはできる。」

「つまり、その必要はあるんだから、集団としての左翼性は生き残るよ。というかそれは、とてもなくなりようがないもの」

「じゃあ左翼とは、社会の必要悪とでもいうものかい?」

革命書店の店内はそれなりに広かった。そして天井も高かった。上からは白い蛍光灯が容赦なく光り室内に照りつけていた。僕らの他に客は十人もいただろうか。室内はそのぐらいの状態だった。そんな空間だったが、日本語の議論は平然と続行されたのだ。

「例えば、警察の存在は、社会の必要悪だ。警察のない社会というのを、我々はとても想像することはできないよ。それ自体はどうしても嫌な要素を含んでいても、とても社会から消えてなくならないだろうということができるものはある。警察の逆に、マフィアやヤクザだって必要悪の部分を担っている。ドラッグのカルチャーは必要悪だ。売春や風俗営業は社会の必要悪だ。・・・」

「それらに並んで、左翼もあるということなのかねえ。・・・」

納得するように首をふり俯くというしかないふりをする村田さんに見えた。


3.
「まー、左翼にロマンを求めてもそれは決して幻想にすぎないということだね」

究極さんが答えた。

「左翼がどういう理由でなくならないのかは、わかったよ。それじゃあその社会の中の一部を埋めるという左翼は、結局どういう在り方に収斂していくんだい?」

僕は首をひねり訊いた。

「まー左翼の実際の在り方、というのも、煎じ詰めればそれは特に魅力あるとはいえないな。ある種疎外されてやってきた人々の身の寄せ合いというのは、結局最も惰性的なポイントを均衡点として落ち着くからさ」

「その最も現実化された在り方というのが、一晩中やってるような左翼とダメな人達の為の交流居酒屋ということよね」

「そう。それが社会化された現実の形態。目的は、ただダラダラのんべんたらりと、朝まで誰かと一緒にいられるということ。それ以上の目的はない。それは個人の居場所探し。それぞれ居場所を模索する中で、他者との共存を求めていく」

「結局、左翼とは最終的には、人間の惰性そのものを引き受けて、受け入れるようになるということ」

「それが結局、人が肯定されうる、という解決になっているということね」

「だったら何も積極的な意味はないよな」

「そうよ。積極的な意味なんてない。ただありのまま人間の姿を肯定し、受け入れるようになるということ。それ以上左翼が求めるのは、傲慢ということ。」

「結局そういう低いラインでの安定と均衡を可能にすることによって、心の安静を求めるのか。左翼の本能というのはそういう所に落ち着くのかな」


4.
「それでは社会の中でそのように居場所の承認された、左翼的共同体の内部ではどのようにして集団自身を確保すると思う?」

究極さんは空間の中で問うように言った。

「これはぼくらの共同居酒屋みたいな場所を作る人々の共通の問題でもあるな」

「けっきょくね。ダメな人、そして心を病んだ人の共同体というのは、自ら社会で受けたことのあるはずの疎外の形態を、もう一回そこで繰り返すことによって、集団の安定を得るんだよ」

「えっ。それってどういうこと?」

「つまりさ。彼らは最後に、集団の内部で、力学の安定点としてイジメの構造を見出して自ら安定するということだよ」

「これは精神障害者の介助や互助サークルの実例を見ていてもよくわかるんだけどさ。他人を否定したり、排除したり、それで集団の中にグループができれば立派にイジメの現象が成り立つんだけど。最後に、集団が集団としての安定を見いだすポイントというのは、必ずそういう暗黙の排除の形態、もっとはっきりいえばそれがイジメだけど、そういうネガティブなラインが、メンバーに暗黙に共有されることによって、安定し、持続的な関係を持つようになるんだよ。」

このとき究極さんの言葉には説得力があった。

「だから集団性が、集団内部の力学でその安定性を模索してる段階は、いわゆる内ゲバ期みたいなもんでさ。とにかく喧嘩は起こるわトラブルは耐えないわ、皆がわんさか問題を作り出し報告し合い、ちくりあうような段階がある。もしそのまま集団が解体しないで安定した状態を獲得して続くことになるというのなら、それは何らかの形でイジメの体制を、その集団が暗黙に学習したからなんだな。。。」

「つまり、最後の最後には、左翼こそがイジメの方法を、自らの集団が生き延びる為に必要としているということ?」

「そう。人間の攻撃性は消滅できないと、左翼の連中が自ら主張してるようにさ。結局その攻撃性を最も下世話なやり方で晴らすことによって、安定を勝ち取るというのが、左翼集団の法則だろうね」

「それじゃあ、左翼が暴力をなくすなんていうことは、ありえないじゃないの?」

「そうだよ」

究極さんは、悲しそうだが同時に冷徹そうにも見える顔をして言った。

「左翼から暴力を取り上げたら、もう何も残らないよ」

24-2

革命書店の長いソファの上では既に、僕らにとって左翼を巡るディスカッションがいい所まで到達していた模様だった。

「それじゃあ。。。左翼の陥ってる問題で根本的な間違いとは何なんだろうか?」

飯塚くんがそう切り出したのだったが。

「まず彼らの多くは、言葉の使い方を間違ってるね」

究極さんは言った。

「言葉の使い方って?」

「まず彼らの中には、人間が自由であることについて、私はカテゴライズを否定する、という言い方で主張する人達がいる。」

「あー。その言い方。よくあるよね」

「しかし、それは単に、カテゴライズという言葉の意味が分かってないだけでしょう。私は言葉で括られるのが嫌なんだとかいう型の自己主張する人は。」

「ふんふん」

村田さんはうなずきながら身を前に乗り出した。

「カテゴリー、そしてカテゴライズというのは、いわば言葉の性質が持っている本性であるわけ。だからそれだと、言葉で示すこと自体を自己否定せよと言ってるに等しいわけだ。」

革命書店のフロアの真ん中では、旧式のストーブが燃えていて、白いストーブの奥には小さく赤い炎が見えていた。そんなストーブを囲みながら、僕らは白い蛍光灯の光の下で、熱いコーヒーを抱えて話を聞いていた。

「言葉で何かを名指すという行為自体に、もう既にカテゴライズが指示されている。私は何かと説明するときに、私は男ですとか、女ですとか、同性愛者ですとか、そういう述語付ける時に必ず、言葉の構造の中にカテゴライズが含まれている。だからそれだと奇妙に言葉の使い方がおかしくなってるんだよ」

「たぶんそういう人達は、左翼的な意味でもそうじゃなくても、私のことを他人がレッテル貼りしてくれるな、という意味で言ってるんだと思う。しかし本質的に言葉で語るという行為には、カテゴリーで括ることによって表現することが不可分であるに決まってる。パターンの組み合わせによって、何かそこにある物に説明を加えて他者に伝えようとする。これはすべて言葉の法則にとって必然的な行為でしょう。」

「つまり、私をカテゴリーで括るな型の主張に陥る人は、明らかな自己欺瞞に陥りやすいというわけね」

「というかそういうのは単にカテゴリーという言葉の意味が間違ってるだけのことだよ。本当は、彼らの言いたいこととは、私にレッテル貼りをしてくれるなと叫びたがってるわけ。だったらそのように言えばよいものを、何を勘違いしてか、カテゴライズ自体が敵だと思い込んでるわけよ。それは本末転倒。」

「そもそも物を考えるという行為自体が、カテゴライズすることによって物を見てみるという方法を必ず通るわけだからね。カテゴライズ、つまりパターン化とその比較ということなくして、物が考えられるということは、まずない。」

「人は辛抱強く、言葉がカテゴライズするという性質に付き合いながら、そこからはみ出る物自体ということを見て、物に与えるべき次の言葉を模索する。そのようにしてしか思考という行為は可能にならない。」

「だから、カテゴライズを否定せよ、なんていうスローガンは、最も馬鹿げた言い草だよ。レッテル貼りされるのが嫌なら素直にそう言えばよい。それを何を勘違いしてかそこにカテゴリーなんていう概念を持ち込むから、運動自体が意味わからないものになるよ。」

「カテゴライズを受けない為に自己主張する、運動するというよりも、何かを他者に説明するということはまず、言葉のカテゴリーという性質と付き合うことであるはずなのにねえ。。。」

「だからさ。。。左翼運動というのは最も本末転倒しやすいんだよ。」

24-1

「ピエーールーーぅぅぅーーー」

村田さんが名前を言って呼んでいた。彼女は大きなつばが円くついた帽子を被っていて手を振りながら嬉しそうに呼んでいたのだった。チェルシーのビル街の一角で。革命書店の前を目印にして、僕と究極Q太郎のほうにこっちへ来なよと手を降っていた。飯塚くんの話していたニューヨークの隠れスポットである革命書店を見つけるまでは周囲の道が込み入っていて少々歩き回ったのだ。書店の中に入りぐるりと見て回ってからこの奇妙な本屋の内容について、空間の中心に据えられてあるソファに座り、温かいコーヒーを啜りながら、感想を語っていた。

「ここの内容が、もしアメリカの左翼を取り巻く実態だったら、ちょっとそれは怖いかな。」
「まるでカルトみたいな内容だということかい?」
「だって、この店の中は毛沢東を尊敬するみたいなセンスを中心にして、まるで中南米との結びつきによってそのまま存在してるような左翼の空間だ。これじゃあ変革の空間というよりは、カルトの偏執的な空間に近いよ。」

「偏執的な空間って?。。。要するにマニアックだということでしょう」

「革命自体がマイナーでマニアックなカルト志向によってしか、伝えてこれなかったということかなあ。。」

「いやさすがにこれだとアメリカでも大学にあるような知的な左派の空間に対して失礼ですよ。アメリカでもアカデミックな空間では、普通にリベラルなインテリジェンスの集合として、左派的な空間は続いていますから。もっとマトモだし。カタギなものですよ。それは。」

飯塚くんが笑い飛ばしながらなかば弁解するように言った。

「時代の中で残っている左翼のカルト性ということもあるけど、何か時代が止まったまま、一時代の完成した文化は、そのままずっと街の中で形を変えずに、残り続けているということかなあ。それは左翼の空間に限らず、ニューヨークでは街の至る所で目にする現象だった。ある時代のそれ自体で完成してる文化が、時間を止めて、そのままずっと凍りついたように残っている。そういう空間が街のあちこちにたくさんある。中華街にもあるしチェルシーの裏通りにもある。多様性の坩堝というのは、まるでそういうカルト性の坩堝みたいな感じだ。」

「ということは、この街では左翼も、他のイスラムやブッディストやクリスチャンやヒンズーやの空間に並んでそういう多様性を示す一角の空間にすぎないということかい」

「ただそういう空間が横に並んでいて面白いだけというのなら、それはノスタルジーであっても変革とは特に関係がないのかな」

「昔あったものは、そのまま残るんだよ。」
究極さんがソファでコーヒーを啜りながら言った。

「あらゆる時代あらゆる地域の過去の文化、過去の栄光がそのまま残ってしまうから、それは博物館か遊園地のアトラクションのように見えても、その一つ一つ自体は決して力を持たない。しかしそれがリベラルだということの見せ掛けかもしれないな。」

「お互いに迷惑かけない限り、そう自分の世界と自分の幻想を守って生きてければ、それでいいということみたいねぇ。。。」

「街自体が歴史の博物館なんだ」

「それじゃあ、ニューヨークにとって変化はどこから来るわけよ?」

「変化か。・・・変化はもう、終わってるのかもしれないな。」

「変化もニューヨークでは60年代の時代で終わったのかい?」

「変化も、歴史的博物館の一つだ。それで後は昔からあったものたちが、そのまま残り続ける。まるで別々の記憶を持った地帯が、それぞれ別個に他にはお構いなしに勝手に生き続けるみたいに、みんなそれぞれ個別に生き続ける。他人のことなんて関係ない。しかし自分のためだけに勝手にそれぞれがそれぞれの幻想を立てて生き続ける。気がつけばそこに見える多様性とは勝手なものだ。しかしそういう、勝手にしやがれ、という在り方によって、ニューヨークみたいな街は生き続けるよ。」

MINISTRYのアメリカ−『New World Order』

ボストンで爆弾事件があって、911以来から少し緩んでいたアメリカ合衆国の監視体制も、再び緊張を強いる関係性として復活してしまった模様である。どうやらアメリカという国では、わけのわからない身元不明の襲撃者によるテロという項目は、強迫的にそれを念頭に置いておかない限り、国内の治安の体制も保てないという、アメリカ独特といえる神経症的体制というのが、手放せない模様であるのだ。それは決して、大統領の意識からホワイトハウス国防省から警察組織のレベルで、その独特の緊張感にあたる強迫神経症的意識が手放せないというわけではなく、庶民や市民レベルの日常意識であっても、常に、目に見えない敵の姿という、強迫的で亡霊的な心象に、生活が支配されがちである。放っておけば、この目に見えない亡霊とは、もう俺のことを忘れたのかといわんばかりに、何かの事件を起こしに来る。社会的アピールとして、ほうらやっぱり俺はここにいたぞと、言わんばかりに、その自己の痛々しい姿を自己顕示しに来るのだ。

こういった目に見えない敵というのが、結局、アメリカの懐において、本来無防備であるはずの庶民サイドから、静かなはずの市民や、名無しとして紛れ込んでいる移民の中から、殆ど定期的に、これこそが真実の姿だと、その盲目的欲動の存在について、自己を顕示しに来るわけだ。これはなにも合衆国にとって、今に始まったことではなく、この国では建国以来そうなのだということで、人々も、大統領までその因果性を納得している。そして事件が起きるたびに、これは我らの国の偉大な自由の代償なのだと、自らを慰めざるえない。その繰り返しである。

それは、アメリカ建国以来の「抑圧されたものの回帰」といってよいものだが、セキュリティの隙間があれば、それを見て過剰に反応してしまうのが、警察サイドというよりも、何よりも一般市民の中に、そういう空き隙があれば、ここぞとばかりに奇妙なコンプレックスが反応してしまう、神経症的なヴィジョンが、精神病のように潜伏しているのだ。隙があれば、警察というよりも、そこを通りかかる一般市民のほう反応してしまう、何かに触発されてしまうというもの。ボストンの事件で、最初の段階では、犯行声明もはっきりせず、多くは謎に包まれていた正体だが、直にこの犯行の主体は、まだ若い移民の兄弟であって、兄は大学の中退者といえども、弟の方は現役の大学生であり成績も優秀であり、移民の中ではかなり恵まれた階層に入るものだという事実が発覚した。そして特に背後関係があるともいえない。

こういうテロリズムに走る若者の像とは、大戦後のアメリカなら、まず赤色テロとして、共産主義思想を根拠にして、権力あるいは資本主義に対するテロを思想的に発達させるというケースが多かったはずだ。ボストンの犯行者兄弟は、階層として大学の周辺にありインテリ層として高い教育を享受できる側にあった。しかし彼らが、小さな頃に移民をし、アメリカでその思春期を通り越してからは、共産主義思想に被れるということはなかった。チェチェン移民の兄弟を捉えたのは、コミュニズムよりもはるかに原始的な思想体系であり、イスラム原理主義だった。

アメリカにおいて、社会体制に不満をもち権力打倒的な行動に走る人間というのが、一定の割合で必ず、イスラム原理主義に走るというのは、その系譜を見れば、マルコムXのパターンが、ある種アメリカ的テロリズムの原型として見出されるだろう。マルコムXの両親は熱心なクリスチャンの黒人だったが、マルコム自身は白人色の強いキリスト教を嫌悪し、知性過剰な共産主義も回避し、イスラム原理主義者として、その反抗的でロマンティックな主体の像を打ち立てた。今でもアメリカで、英語をよく理解できる層でありながら、革命行動に誘惑され走る非ヨーロッパ系の人間なら、マルコムXの像をある種のモデルとして、受容し感化されているケースは多いはずだ。

ボストンで使われた爆弾は、手製の圧力釜爆弾だったが、単純な心情の、そして魂の反感としての、革命を顕示しアピールする像とは、知識と分析によって彩られた言葉というよりも、偉大なヒーロー像の行為と生き様のパターンというのに、吸収されていくものだ。かくして、ボストンで自爆したチェチェン人の兄弟も、幾多の単純化されうるテロリストのパターンとして、その革命的魂の憤りも虚しく、一般的なラベルに分類され、アメリカならよくある事件だったということで、ただ情報に処理されて終わる、ただそれだけのパターンであり、ワン・オブ・ゼムとして葬られ、忘れられていく運命にすぎない。

それなら、チェチェン人の兄弟が体験したアメリカ社会のリアリティというのは、本来ならどこに吸収され、しっかりとした知的な根拠を持ち、知性的な反抗の言葉として練られ、昇華されることが相応しかったのだろうか?アメリカというシステムに対する反感は、本来ならばどこにその鏡をもち、イメージを膨らませ、正しく知的な昇華がなされ、抵抗と革命の言葉として、再びアメリカ社会に送り返されるべきなのか?という問題である。それは別に最初から資本論のような分厚い本である必要はないし、そんな短絡的な接触は必要ない。まず体験した物事のどろどろとしたイメージ、情念を、どこで受け止められるべきなのかという問題において、そこでは再び音楽の機能が浮かび上がってくるのだ。音楽以外に、そのどろどろとした情念の直接的で正確な受け止め先がない場合。そういう場合が、人間には確実にあるからである。

そこで、MINISTRYの音楽は、その最適な受け止め先として、我々の情念を引き受けてくれることだろう。ミニストリーとは、アメリカのシカゴで、80年代に結成されているインダストリアルのメタルバンドである。アメリカ社会にうごくめく暗い情念とは、その正確な受け止め先というのを、亡霊のように常に模索しているのである。そのような追放された魂の探求として、80年代から90年代の時代を潜伏期として、ミニストリーは活動し、そして2000年代ではもはや成熟したバンドとして、アメリカ的悲劇のエッセンスを抽象し続ける。この暗く重く荒い音というのが、余りにも私たちの耳には快く聞こえてしまうというのなら、それはアメリカにはアメリカの、闇と悲劇を洗練する知的浄化のシステムが、独特の発達を遂げていて、そして今に至るからだろうというものである。我々は、ただただミニストリーの奏でる悲劇的重厚音の束について、感動し、感謝し続けるしかないのである。


23-5

半分冷たくて堅い床の上で目をあけると、高い天井が目に映った。空港ロビーの全体が円形を為した高い天井である。余分な電灯はみな消しているので、この空間には人が過ごすのに最低限の電源しか灯されていない。そして全体が円形を為した広い空港ロビーの片面は、外に向かって大きなガラス張りの側面になっている。外に広がるのは、深夜の空港の景色である。そして外は強い吹雪がまだ舞っている。雪が跳ね返り白い細かい粉が吹き飛ばされ続けているのが、窓ガラスの向こうには見て取れた。部屋の温度は決して寒いというわけではない。最低限だがそれなりに人間の過ごしやすい気温は確保されていた。

天井の高い暗くされたホールには、待合席の横に、一軒だけずっと開いている売店が出ている。そこから時々コーヒーの渋い匂いやピザのいい匂いがここまで漂ってくる。僕は起き上がり曖昧な空腹の要求に導かれるままに、売店の前まで歩いていった。新聞やら、ニューヨーク到着の時に僕が買っていた派手な色のキャンディーやらが、小さな電灯に照らされた売店の前には出ている。ここで売っているビーグルやらパンやらは、ここでちゃんと焼いた出来立てのものが売られていた。それで調理するにおいがホールには漂っていたのだ。そこで僕が頼んだものは、ホットコーヒーとビーグルだった。ニューヨークの名物といえば、どうやらビーグルであるらしい。泊まったホテルでも、何度か出来立てのビーグルは口に入れていた。

日本人はあまりパンの味というのを知らないのかもしれない。米の食事が十分にうますぎるのだから、パンの食べ方にそんなに詳しくなる必要がないというのが、日本人の生活である。しかし、パンの食べ方、焼き方というのは奥が深いのだ。ニューヨークの街に至る場所で売店には、作りたてのビーグルが販売されている景色を見ていて、そういう感想を持った。日本人は、パンなんて、まずい食べ物だと思っている。そうではないのか?問い返してみた。特にパン食について日本人にトラウマを与えたものとは、昔、学校給食で必ず出ていた白い生パンだ。学校給食のパンというのは、多くの日本人にとってトラウマになっているはずだ。そして本当のパンの旨さを知る機会から、日本人を遠ざけてしまったはずだ。そんなこんなを考えなながら、僕は焼きたてのビーグルとコーヒーを席に持ち帰り、深夜の時間に頬張っていた。周囲の同じように飛行機を待っている客達は、疲れきっている人もいれば、元気でよくホールの中を行ったり来たりと、無意味に繰り返している人もいた。外からは吹雪のすさむ音しか聞こえてこない、静かな深夜の待合ホールだった。アメリカの全体というのがもしこんなに静かなものだったら、きっとこの国には何も問題は発生しなかったのだろうと、僕は考えていた。

23-4

「わたしねえ。。。あの店でセクハラされたことが、ないんだよねぇ。。。」

それはチャイナタウンのレストランで、食事の最後でデザートの点心をつつきながら村田さんが、俯き加減、いった言葉だった。
「なんか私がおかしいのかな?」
彼女は顔を上げて見回した。

「そういう、私の、感性が。感覚が?」

「いや。」
円形のテーブルを挟んで飯塚くんが言った。
「究極さんがはじめた飲み屋は、今ではそんなに営業が難しくなってるんですかね?」

風の強いよく晴れた午後に食事をとったのは、チャイナタウンの中にある古いレストランだった。そこではもう客は僕ら四人の他に残っておらず、中国人のウェイトレスが何人か、大きくて天井の高いレストランの店内を後方で片付けている最中のような様子だった。このまま夜の時間までレストランの内部は開店休業みたいな状態で暇で静かな時間が続くのだろうと想像させるもの。

「ぼくは西早稲田であの店をはじめたときから、営業という形で店のことを捉えたことはなかったよ。ぼくが経営をしているのではなくて皆で共同運営してる。そういう店だった。しかし如何せん店の中は狭い。そして毎日いろんな人がやってくる。新しい客もいれば、みなは何かしら問題を抱えていることが多い。金銭的なことでぼくが難しいと思ったことはない。いつも人間関係が問題になってしまうんだ。」
究極さんは答えた。

「もう本当に。次から次へとあの店の中では問題が山積みなんだよ。それでもうお手上げだ。正直言えば、もうぼくはあの店をいつやめてもよいと思ってるよ」

「店が最初に思っていた以上の大きな存在に膨れ上がってしまったということ?」
「うん。あんまり後先のことは考えないでそこは気軽にはじめた居酒屋だったけど、想定外に最初に考えていたこと以上の問題が頻発してしまった。」
究極さんは思い倦ねるような顔をして語った。

「店の中に、セクハラがない、というわけではない。左翼がはじめたとはいえ、もともと不特定多数に向けてオープンに開かれて営業してる店だから。特に、ひきこもってる人や無職や不登校で悩んでる人々に向けて開いた店なんだからもともと。社会的にダメと直面してる人々がやってきて、セクハラみたいに素朴なマナーの問題を意識するのが苦手であるというのは、いわば当然のことでしょう。」

「セクハラがあるといっても、本当に素朴で幼稚な形があそこにはあるだけだよ。飲み屋でオヤジがセクハラ風でも問題になることは少ないが、あそこは場所が特殊なので同じことでも妙に問題化されてしまうということ。」

「一方では普通のオヤジ風セクハラ。そしてもう一方では、小学校か中学校のクラスに逆戻りしたような幼稚なセクハラだよね。あるとすれば」

「そう。そしてまた場所の性格上、問題に仕方が幼稚で原始的だということでしょう。学生運動の最も低レベルな展開みたいな。ヒステリーでも攻撃性でも」

「あんなので差別がなくなるわけないよね」

村田さんは苦笑した。

「そう。問題はセクハラだけであるはずもない。もっと素朴に、イジメや排除、グループ化といった人間にとって最も幼稚な問題群が、あの店に限っては、一から回帰しやすい。」

「あの店の流れに身をまかせていると、妙な居心地のよさで、そのまんま人間が幼稚化してしまってもおかしくないかもね。」

「そうそう。あの店では人間の原始的で幼稚な問題が、なんでも起こりうるんだよ。しかも店の中は狭いときた。どうしても村社会ができあがる。村社会を前提にして政治しなきゃならなくなるよ」

「セクハラは問題の一つだよ。もともと社会の中でダメを自認し、一癖も二癖もある人々が集う左翼系の居酒屋なんだから。後になって問題が発覚するのは仕方ないことだといえるよ。しかし普通の居酒屋なら特に考えないで単純に切ってしまえる問題でも、店の性質上、普通以上に議論の問題として膨れ上がってしまう。」

「セクハラというよりも単に人間関係の問題がこじれてるんじゃないの?飲み屋で酒を飲んでるうちに、人が酔って、性的な事柄で盛り上がり、それが暴走するなんて普通のことじゃない。シラフで会議やってる場所じゃなくて、酒が入るんだからさ。そこであいつはいいけど、こいつはダメみたいな線引をしたら、しょせん恣意的な人間関係の問題でしかなくなるわよ。」

「そう。僕も考えているのは、そこに存在してる問題というのは、本当はみんな個々の特殊な人間関係が反映された問題にすぎない。しかし何かそれが一般的なマナーの問題みたいに扱われて騒がれているのは、よく見れば不思議な光景だ。しかし左翼の界隈に限って言えば、大体糾弾的な劇が起きる時、こういうパターンになりやすいよ。」

「つまり、集団は何か排除の力学と構造を作り上げないと、集団が集団として維持されないということですか?学校のクラスでもそういうもんでしょう。こういう問題は学校によくあった問題に見えるよ。」

気がつくと究極さんは本当に頭を抱えているといった様相だった。そして食事の皿が残っているテーブルの上で語っていたのだった。

「とにかくもうこれ以上、ぼくはあの店を続けていくのは無理なような気がしている。思えば今までよくやってきたもんだよ。あの店が5年以上続いたなんて最初は思いもしてなかったよ。いつ解散してもいい。しかし不思議なことに、もうあの店には利用者の方で強い思い入れが出来上がっていて、やめようにもなかなかみながやめない、止めようにも止まらないような、人々の力学ができてしまっている。」

「そうだね。何か問題が起きるたび、定期的に利用者会議なんてやってる居酒屋は珍しいとしかいいいようがない。しかし自主運営ということでいえば、まるで共産主義的な実践内容だけど、そういう居酒屋の形はあってもおかしくはないと思えてくるよ」

「ハラスメント問題と一言でいうけど、根っこにあるのは、やっぱり集団力学の中にあるイジメの構造が、左翼集団の場合だと、糾弾の形を借りて、普通とは別の形でそれが再来しているということかい?」

「左翼的な糾弾運動の形が、イジメ的な力学放出の別種の形であるとは、大学の学生運動でもよくある話ですね」

「そう。だからぼくは学生運動が嫌いなんだよ。あの形でやる限り、何も新しいことは起きるはずがない。」
「よく教授の差別発言糾弾とか、学生が取り囲んで押し寄せるでしょう」
「革命なんてなおさら起きないよね。」

村田さんは苦い顔しながらコーヒーに砂糖を注ぎ小さなスプーンでカップをかき混ぜていた。

学生運動だけでなく、部落問題や解放同盟なんていうのは、ずっとその形の前で進化が止まってしまう」
「しかし糾弾運動だとか、セクハラ狩りだとかいう前に、あの店で起きることは、余りにも小さな空間を前提にしてのことだから。本当に小さな村的な派閥ができあがって、それがいがみ合ってるというもの。聞けば聞くほど話にならない。公共スペースの問題というよりも、学校のクラスがイジメの問題をめぐって紛糾してるといった図に近いんだよ。」

「そう。僕ももうあの店に関わってることは限界だと思ってる」

面倒くさい問題のことを抱えてるなと思い返すたび、僕は残念な気持ちになった。

「究極さんがもしあの店をやめるつもりなら、僕ももう身を退くつもりだったんだよ。あの店と関係を続けるという意味ももうないと思う。あそこは彼らのもの、僕とは関係ない人達の店に、もうなっていたんでしょう。」
「最初の短い間はあの店も相当おもしろかったけどね」
「うん。でももう、あそこは関係ない人達の店になってしまった。僕はついていけないし、向こうも必要としてないでしょう。場所にはその場所がもっとも安定しうる力学というのが常にあるんだよ。それに僕は関係がない。きっと最初から関係なかったんでしょう。」

「それが左翼の限界というものでしょう」

飯塚くんがそう云ってまとめてくれた。ニューヨークで。チャイニーズレストランの円く囲まれたテーブル上に生成した出来事だった。

23-3

深夜で無人のすべてが機械仕掛けで動いているモノレールから降りて、僕は6番ゲートの建物に入った。ゲートの中を歩いて行くとそこには広い待合室が開けていた。深夜なので上の電灯は消しているが、薄暗くなっている広い部屋には、翌朝の発着を待つ人々が、たくさん座っていた。やっとここまで来て暖かい普通の人間の空間に到達できたと感じた。ごく普通の空港待合室だ。深夜だが横に売店はひとつあいている。パンやらビーグルやら温かいコーヒーやら、新聞やら雑誌やらキャンディーやらを売っていた。深夜だから静かだがそこには明らかに人間達の生きた空間が開けていた。意味不明でシュールな空間をずっと突き抜けてきた僕は、ほっとした気持ちになった。

僕はまず最初にトイレにいった。広くて清潔な空港のトイレだった。これにもまた安心した。そして洗面台で一回顔を洗った。守られている気配、そして暖かい人間達の生きている気配が久しぶりのものに感じられた。今までここまでやってきたあの異次元のような夜の世界は何だったのだろうか。必要のない電灯は消している天井の高い薄暗い待合室には30人程度の人々が存在していた。翌朝の飛行機をここで待っていた。低いざわめきとして人間の喋る声は途切れることもなくこの空間の通低音を為していた。並んでいるベンチは硬いものでソファではなくやはりここも最低限に節約は見積もられているという空港の待合ロビーだった。

床の上に僕のカバンを置いてそこを枕にして横たわってみた。硬く弱冠冷たい床の感覚が僕の体を通っていく。最初はそこで体の熱は薄く奪われていく。それでも外の、もう吹雪の模様になっている寒さと比べたら断然に楽な空間だった。しかしここで寝てしまうのはやはり気を使うものだった。時折床に寝ている人をチェックして空港のセキュリティガードが監視して回ってる模様である。だからそういう監視する係員の目を盗んで、うまくここで眠れないものかと考えてみた。時々立ち上がったりベンチに腰掛け本を読んでるふりをしたり、幾つかポーズはありそうだ。監視する係の目を盗んでうまくここで安らぎを得る。その為にはどうしたらよいかと考えあぐねることは、それもまたそれなりにアメリカ的な身の振り方かもしれないなと思ったら、笑いがこみあげてきた。

他人の目を盗みながらうまく床で横になり、そして目をつむると、村田さんと飯塚くんの顔が浮かんできた。