MINISTRYのアメリカ−『New World Order』

ボストンで爆弾事件があって、911以来から少し緩んでいたアメリカ合衆国の監視体制も、再び緊張を強いる関係性として復活してしまった模様である。どうやらアメリカという国では、わけのわからない身元不明の襲撃者によるテロという項目は、強迫的にそれを念頭に置いておかない限り、国内の治安の体制も保てないという、アメリカ独特といえる神経症的体制というのが、手放せない模様であるのだ。それは決して、大統領の意識からホワイトハウス国防省から警察組織のレベルで、その独特の緊張感にあたる強迫神経症的意識が手放せないというわけではなく、庶民や市民レベルの日常意識であっても、常に、目に見えない敵の姿という、強迫的で亡霊的な心象に、生活が支配されがちである。放っておけば、この目に見えない亡霊とは、もう俺のことを忘れたのかといわんばかりに、何かの事件を起こしに来る。社会的アピールとして、ほうらやっぱり俺はここにいたぞと、言わんばかりに、その自己の痛々しい姿を自己顕示しに来るのだ。

こういった目に見えない敵というのが、結局、アメリカの懐において、本来無防備であるはずの庶民サイドから、静かなはずの市民や、名無しとして紛れ込んでいる移民の中から、殆ど定期的に、これこそが真実の姿だと、その盲目的欲動の存在について、自己を顕示しに来るわけだ。これはなにも合衆国にとって、今に始まったことではなく、この国では建国以来そうなのだということで、人々も、大統領までその因果性を納得している。そして事件が起きるたびに、これは我らの国の偉大な自由の代償なのだと、自らを慰めざるえない。その繰り返しである。

それは、アメリカ建国以来の「抑圧されたものの回帰」といってよいものだが、セキュリティの隙間があれば、それを見て過剰に反応してしまうのが、警察サイドというよりも、何よりも一般市民の中に、そういう空き隙があれば、ここぞとばかりに奇妙なコンプレックスが反応してしまう、神経症的なヴィジョンが、精神病のように潜伏しているのだ。隙があれば、警察というよりも、そこを通りかかる一般市民のほう反応してしまう、何かに触発されてしまうというもの。ボストンの事件で、最初の段階では、犯行声明もはっきりせず、多くは謎に包まれていた正体だが、直にこの犯行の主体は、まだ若い移民の兄弟であって、兄は大学の中退者といえども、弟の方は現役の大学生であり成績も優秀であり、移民の中ではかなり恵まれた階層に入るものだという事実が発覚した。そして特に背後関係があるともいえない。

こういうテロリズムに走る若者の像とは、大戦後のアメリカなら、まず赤色テロとして、共産主義思想を根拠にして、権力あるいは資本主義に対するテロを思想的に発達させるというケースが多かったはずだ。ボストンの犯行者兄弟は、階層として大学の周辺にありインテリ層として高い教育を享受できる側にあった。しかし彼らが、小さな頃に移民をし、アメリカでその思春期を通り越してからは、共産主義思想に被れるということはなかった。チェチェン移民の兄弟を捉えたのは、コミュニズムよりもはるかに原始的な思想体系であり、イスラム原理主義だった。

アメリカにおいて、社会体制に不満をもち権力打倒的な行動に走る人間というのが、一定の割合で必ず、イスラム原理主義に走るというのは、その系譜を見れば、マルコムXのパターンが、ある種アメリカ的テロリズムの原型として見出されるだろう。マルコムXの両親は熱心なクリスチャンの黒人だったが、マルコム自身は白人色の強いキリスト教を嫌悪し、知性過剰な共産主義も回避し、イスラム原理主義者として、その反抗的でロマンティックな主体の像を打ち立てた。今でもアメリカで、英語をよく理解できる層でありながら、革命行動に誘惑され走る非ヨーロッパ系の人間なら、マルコムXの像をある種のモデルとして、受容し感化されているケースは多いはずだ。

ボストンで使われた爆弾は、手製の圧力釜爆弾だったが、単純な心情の、そして魂の反感としての、革命を顕示しアピールする像とは、知識と分析によって彩られた言葉というよりも、偉大なヒーロー像の行為と生き様のパターンというのに、吸収されていくものだ。かくして、ボストンで自爆したチェチェン人の兄弟も、幾多の単純化されうるテロリストのパターンとして、その革命的魂の憤りも虚しく、一般的なラベルに分類され、アメリカならよくある事件だったということで、ただ情報に処理されて終わる、ただそれだけのパターンであり、ワン・オブ・ゼムとして葬られ、忘れられていく運命にすぎない。

それなら、チェチェン人の兄弟が体験したアメリカ社会のリアリティというのは、本来ならどこに吸収され、しっかりとした知的な根拠を持ち、知性的な反抗の言葉として練られ、昇華されることが相応しかったのだろうか?アメリカというシステムに対する反感は、本来ならばどこにその鏡をもち、イメージを膨らませ、正しく知的な昇華がなされ、抵抗と革命の言葉として、再びアメリカ社会に送り返されるべきなのか?という問題である。それは別に最初から資本論のような分厚い本である必要はないし、そんな短絡的な接触は必要ない。まず体験した物事のどろどろとしたイメージ、情念を、どこで受け止められるべきなのかという問題において、そこでは再び音楽の機能が浮かび上がってくるのだ。音楽以外に、そのどろどろとした情念の直接的で正確な受け止め先がない場合。そういう場合が、人間には確実にあるからである。

そこで、MINISTRYの音楽は、その最適な受け止め先として、我々の情念を引き受けてくれることだろう。ミニストリーとは、アメリカのシカゴで、80年代に結成されているインダストリアルのメタルバンドである。アメリカ社会にうごくめく暗い情念とは、その正確な受け止め先というのを、亡霊のように常に模索しているのである。そのような追放された魂の探求として、80年代から90年代の時代を潜伏期として、ミニストリーは活動し、そして2000年代ではもはや成熟したバンドとして、アメリカ的悲劇のエッセンスを抽象し続ける。この暗く重く荒い音というのが、余りにも私たちの耳には快く聞こえてしまうというのなら、それはアメリカにはアメリカの、闇と悲劇を洗練する知的浄化のシステムが、独特の発達を遂げていて、そして今に至るからだろうというものである。我々は、ただただミニストリーの奏でる悲劇的重厚音の束について、感動し、感謝し続けるしかないのである。