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半分冷たくて堅い床の上で目をあけると、高い天井が目に映った。空港ロビーの全体が円形を為した高い天井である。余分な電灯はみな消しているので、この空間には人が過ごすのに最低限の電源しか灯されていない。そして全体が円形を為した広い空港ロビーの片面は、外に向かって大きなガラス張りの側面になっている。外に広がるのは、深夜の空港の景色である。そして外は強い吹雪がまだ舞っている。雪が跳ね返り白い細かい粉が吹き飛ばされ続けているのが、窓ガラスの向こうには見て取れた。部屋の温度は決して寒いというわけではない。最低限だがそれなりに人間の過ごしやすい気温は確保されていた。

天井の高い暗くされたホールには、待合席の横に、一軒だけずっと開いている売店が出ている。そこから時々コーヒーの渋い匂いやピザのいい匂いがここまで漂ってくる。僕は起き上がり曖昧な空腹の要求に導かれるままに、売店の前まで歩いていった。新聞やら、ニューヨーク到着の時に僕が買っていた派手な色のキャンディーやらが、小さな電灯に照らされた売店の前には出ている。ここで売っているビーグルやらパンやらは、ここでちゃんと焼いた出来立てのものが売られていた。それで調理するにおいがホールには漂っていたのだ。そこで僕が頼んだものは、ホットコーヒーとビーグルだった。ニューヨークの名物といえば、どうやらビーグルであるらしい。泊まったホテルでも、何度か出来立てのビーグルは口に入れていた。

日本人はあまりパンの味というのを知らないのかもしれない。米の食事が十分にうますぎるのだから、パンの食べ方にそんなに詳しくなる必要がないというのが、日本人の生活である。しかし、パンの食べ方、焼き方というのは奥が深いのだ。ニューヨークの街に至る場所で売店には、作りたてのビーグルが販売されている景色を見ていて、そういう感想を持った。日本人は、パンなんて、まずい食べ物だと思っている。そうではないのか?問い返してみた。特にパン食について日本人にトラウマを与えたものとは、昔、学校給食で必ず出ていた白い生パンだ。学校給食のパンというのは、多くの日本人にとってトラウマになっているはずだ。そして本当のパンの旨さを知る機会から、日本人を遠ざけてしまったはずだ。そんなこんなを考えなながら、僕は焼きたてのビーグルとコーヒーを席に持ち帰り、深夜の時間に頬張っていた。周囲の同じように飛行機を待っている客達は、疲れきっている人もいれば、元気でよくホールの中を行ったり来たりと、無意味に繰り返している人もいた。外からは吹雪のすさむ音しか聞こえてこない、静かな深夜の待合ホールだった。アメリカの全体というのがもしこんなに静かなものだったら、きっとこの国には何も問題は発生しなかったのだろうと、僕は考えていた。