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「わたしねえ。。。あの店でセクハラされたことが、ないんだよねぇ。。。」

それはチャイナタウンのレストランで、食事の最後でデザートの点心をつつきながら村田さんが、俯き加減、いった言葉だった。
「なんか私がおかしいのかな?」
彼女は顔を上げて見回した。

「そういう、私の、感性が。感覚が?」

「いや。」
円形のテーブルを挟んで飯塚くんが言った。
「究極さんがはじめた飲み屋は、今ではそんなに営業が難しくなってるんですかね?」

風の強いよく晴れた午後に食事をとったのは、チャイナタウンの中にある古いレストランだった。そこではもう客は僕ら四人の他に残っておらず、中国人のウェイトレスが何人か、大きくて天井の高いレストランの店内を後方で片付けている最中のような様子だった。このまま夜の時間までレストランの内部は開店休業みたいな状態で暇で静かな時間が続くのだろうと想像させるもの。

「ぼくは西早稲田であの店をはじめたときから、営業という形で店のことを捉えたことはなかったよ。ぼくが経営をしているのではなくて皆で共同運営してる。そういう店だった。しかし如何せん店の中は狭い。そして毎日いろんな人がやってくる。新しい客もいれば、みなは何かしら問題を抱えていることが多い。金銭的なことでぼくが難しいと思ったことはない。いつも人間関係が問題になってしまうんだ。」
究極さんは答えた。

「もう本当に。次から次へとあの店の中では問題が山積みなんだよ。それでもうお手上げだ。正直言えば、もうぼくはあの店をいつやめてもよいと思ってるよ」

「店が最初に思っていた以上の大きな存在に膨れ上がってしまったということ?」
「うん。あんまり後先のことは考えないでそこは気軽にはじめた居酒屋だったけど、想定外に最初に考えていたこと以上の問題が頻発してしまった。」
究極さんは思い倦ねるような顔をして語った。

「店の中に、セクハラがない、というわけではない。左翼がはじめたとはいえ、もともと不特定多数に向けてオープンに開かれて営業してる店だから。特に、ひきこもってる人や無職や不登校で悩んでる人々に向けて開いた店なんだからもともと。社会的にダメと直面してる人々がやってきて、セクハラみたいに素朴なマナーの問題を意識するのが苦手であるというのは、いわば当然のことでしょう。」

「セクハラがあるといっても、本当に素朴で幼稚な形があそこにはあるだけだよ。飲み屋でオヤジがセクハラ風でも問題になることは少ないが、あそこは場所が特殊なので同じことでも妙に問題化されてしまうということ。」

「一方では普通のオヤジ風セクハラ。そしてもう一方では、小学校か中学校のクラスに逆戻りしたような幼稚なセクハラだよね。あるとすれば」

「そう。そしてまた場所の性格上、問題に仕方が幼稚で原始的だということでしょう。学生運動の最も低レベルな展開みたいな。ヒステリーでも攻撃性でも」

「あんなので差別がなくなるわけないよね」

村田さんは苦笑した。

「そう。問題はセクハラだけであるはずもない。もっと素朴に、イジメや排除、グループ化といった人間にとって最も幼稚な問題群が、あの店に限っては、一から回帰しやすい。」

「あの店の流れに身をまかせていると、妙な居心地のよさで、そのまんま人間が幼稚化してしまってもおかしくないかもね。」

「そうそう。あの店では人間の原始的で幼稚な問題が、なんでも起こりうるんだよ。しかも店の中は狭いときた。どうしても村社会ができあがる。村社会を前提にして政治しなきゃならなくなるよ」

「セクハラは問題の一つだよ。もともと社会の中でダメを自認し、一癖も二癖もある人々が集う左翼系の居酒屋なんだから。後になって問題が発覚するのは仕方ないことだといえるよ。しかし普通の居酒屋なら特に考えないで単純に切ってしまえる問題でも、店の性質上、普通以上に議論の問題として膨れ上がってしまう。」

「セクハラというよりも単に人間関係の問題がこじれてるんじゃないの?飲み屋で酒を飲んでるうちに、人が酔って、性的な事柄で盛り上がり、それが暴走するなんて普通のことじゃない。シラフで会議やってる場所じゃなくて、酒が入るんだからさ。そこであいつはいいけど、こいつはダメみたいな線引をしたら、しょせん恣意的な人間関係の問題でしかなくなるわよ。」

「そう。僕も考えているのは、そこに存在してる問題というのは、本当はみんな個々の特殊な人間関係が反映された問題にすぎない。しかし何かそれが一般的なマナーの問題みたいに扱われて騒がれているのは、よく見れば不思議な光景だ。しかし左翼の界隈に限って言えば、大体糾弾的な劇が起きる時、こういうパターンになりやすいよ。」

「つまり、集団は何か排除の力学と構造を作り上げないと、集団が集団として維持されないということですか?学校のクラスでもそういうもんでしょう。こういう問題は学校によくあった問題に見えるよ。」

気がつくと究極さんは本当に頭を抱えているといった様相だった。そして食事の皿が残っているテーブルの上で語っていたのだった。

「とにかくもうこれ以上、ぼくはあの店を続けていくのは無理なような気がしている。思えば今までよくやってきたもんだよ。あの店が5年以上続いたなんて最初は思いもしてなかったよ。いつ解散してもいい。しかし不思議なことに、もうあの店には利用者の方で強い思い入れが出来上がっていて、やめようにもなかなかみながやめない、止めようにも止まらないような、人々の力学ができてしまっている。」

「そうだね。何か問題が起きるたび、定期的に利用者会議なんてやってる居酒屋は珍しいとしかいいいようがない。しかし自主運営ということでいえば、まるで共産主義的な実践内容だけど、そういう居酒屋の形はあってもおかしくはないと思えてくるよ」

「ハラスメント問題と一言でいうけど、根っこにあるのは、やっぱり集団力学の中にあるイジメの構造が、左翼集団の場合だと、糾弾の形を借りて、普通とは別の形でそれが再来しているということかい?」

「左翼的な糾弾運動の形が、イジメ的な力学放出の別種の形であるとは、大学の学生運動でもよくある話ですね」

「そう。だからぼくは学生運動が嫌いなんだよ。あの形でやる限り、何も新しいことは起きるはずがない。」
「よく教授の差別発言糾弾とか、学生が取り囲んで押し寄せるでしょう」
「革命なんてなおさら起きないよね。」

村田さんは苦い顔しながらコーヒーに砂糖を注ぎ小さなスプーンでカップをかき混ぜていた。

学生運動だけでなく、部落問題や解放同盟なんていうのは、ずっとその形の前で進化が止まってしまう」
「しかし糾弾運動だとか、セクハラ狩りだとかいう前に、あの店で起きることは、余りにも小さな空間を前提にしてのことだから。本当に小さな村的な派閥ができあがって、それがいがみ合ってるというもの。聞けば聞くほど話にならない。公共スペースの問題というよりも、学校のクラスがイジメの問題をめぐって紛糾してるといった図に近いんだよ。」

「そう。僕ももうあの店に関わってることは限界だと思ってる」

面倒くさい問題のことを抱えてるなと思い返すたび、僕は残念な気持ちになった。

「究極さんがもしあの店をやめるつもりなら、僕ももう身を退くつもりだったんだよ。あの店と関係を続けるという意味ももうないと思う。あそこは彼らのもの、僕とは関係ない人達の店に、もうなっていたんでしょう。」
「最初の短い間はあの店も相当おもしろかったけどね」
「うん。でももう、あそこは関係ない人達の店になってしまった。僕はついていけないし、向こうも必要としてないでしょう。場所にはその場所がもっとも安定しうる力学というのが常にあるんだよ。それに僕は関係がない。きっと最初から関係なかったんでしょう。」

「それが左翼の限界というものでしょう」

飯塚くんがそう云ってまとめてくれた。ニューヨークで。チャイニーズレストランの円く囲まれたテーブル上に生成した出来事だった。