23-2

バスの乗客は、一人減り、二人減りというように、次第に降りていった。運転手に降車する場所を告げ、運転手が配慮しながら客を降ろしていく。最後はバスの中に残っている客は僕一人となった。暗い景色だけを見ながら、これが本当に空港まで行くバスなのか不安に思った僕は、忙しなくハンドルを握っている運転手の男に訊ねた。中年で口ひげをはやし頭のはげている運転手だった。JFK空港と言われて運転手は吃驚した顔をした。彼は急なハンドルを切り、ハイウェイ上で場所をみつけてバスをUターンさせた。どうやら僕が何も言わなかったらそのまま元の駅まで帰るつもりだったみたいだ。その顛末には僕のほうがずっと吃驚したが、しかし早く気づいてよかったと思った。最後に暗くなっているエアポートの巨大な建造物の気配が見えてきて、その懐にバスがつけるまで、けっこう長い時間バスには僕と運転手の二人だけしかいなかった。夜空の雲行きだが、嵐のように風が舞い、そして雪が激しくふりつけてきた。不安定な黒い空の下で、空港内を円環し繋いでいるモノレールの駅で、僕はバスを降りた。

機械的にコントロールされた空港駅でも、僕はやはり一人だけだった。誰もいない建物の中に入り、誰もいないエスカレーターを上っていく。無人の中で煌々と灯りをともす改札口を通る時は、窓ガラスの向こうに誰かいるような気配もあるのだが、しかし深夜に駅員の姿は見えない。自動改札に、ここまでずっと使ってきた12ドルのNY市周遊のICカードをかざし鉄のゲートを開き、最後に僕は空港の内部の圏内へと入っていったのだ。そしてモノレールの駅ホームにもやはり人はいない。

電光掲示板にモノレールの運行が出てがいるが、もうここまで来れば特に不安もないしモノレールの流れなど関係ない。朝の10時過ぎに出発する東京行きの帰りの便には確実に間に合って空港の中に入った。だから安心してもいいはずなのだが、誰もいない駅の空間で孤独な宇宙船の内部のように灯りだけは煌々とつけているホームに立ち、自分の感覚は何だかおかしくなっていくようだった。

モノレールは20分間隔で駅を廻っている模様である。そして僕らの乗る便は6番ゲートである。時間は深夜の3時過ぎといったところ。何もなく誰もいない空疎な空間に早く着きすぎた僕は逆に戸惑っていた。そしてモノレールが音も静かに、電光掲示板の通りに、この外気を閉ざした室内になっているホームに入ってきた。人は時折疎らに乗っているようだ。自動的にドアが開きそして自動的にドアが閉まる。空港管内のモノレールが静かに出発した。密閉されていた駅舎を出て行くと外はもう激しい吹雪に見舞われていた。

湿った暗闇の中に飛行機が停まっている。飛行機の傍らには暗くオレンジ色のライトが照らしている。ここから見える風景といったらそのくらいのものだ。モノレールの中には暖房が入っていて特に不満はなかった。そして今まで乗り継できたニューヨークの列車内とは違い、ここのモノレールはシートがソファ状でできており、東京の地下鉄と同じだった。やっとはじめてきれいな電車に乗れたという感じでもあった。僕が降りる6番ゲートの待機場まで幾つかの駅をモノレールは回っていた。誰もいないようでしかし深夜にこれを使っている客は他に疎らにはいるようである。時折他の人間の気配を感じる。しかしむこう側の顔まで確かめるような余地はない。それほど人間の間隔は離れていた。深夜に周廻しているこのモノレールはどうやら無人で運行されているようなのだ。そのうちひとつの駅で停車して扉があいたところ、ひとり重装備で荷物を抱えた男が、僕の車内に入ってきた。顔の色はアジア人と同じだ。そしてやたらに大きな荷物を抱えている。彼は引きずるように大きい荷物を運びながら、僕とは対照側のシートに腰掛けた。まるで田舎から今出て来ましたといった姿だ。

男の井出達はケバケバしい色のジャンパーにズボンに、顔には大きなファッションを意識したような眼鏡をかけていた。そして大きな荷物を自分の前においてソファに座っている。田舎者の派手なファッションとでもいうのがぴったりな滑稽な雰囲気の男だった。顔はアジア系と同じなのでフィリピン人やタイ人のようにも見えるが、モンゴロイドと同じ顔つきは南米にもいるわけだから、チリだとかボリビアだとかアルゼンチンだとか、そちらのほうから訪れた男かもしれなかった。とにかくその荷物の多さとこの寒い季節柄に派手な蛍光色の井出達で、田舎から出てきたという刻印が一発でわかるような男だった。こういう人が平然と紛れ込んでくるところが、ニューヨークの面白さかもしれないなと僕は彼を見て思っていた。静かな車内に僕とその男が二人きりで、しばらくモノレールは走った。しばらくして二つ目の駅でドアがあいたところ、暗いホームの向こうから、警察官が急いでこちらに走ってきた。

見ると女性の警察官だった。白人の女性警察官が息を切らして僕らの乗っている車両に走ってきたのだが、近くで見るとそれなりに逞しい体格をした女性の警察官だった。彼女は僕らの車両の前で何かよく聞き取れない言葉を叫んだ。そして急いでいるようだった。

僕とそして田舎者の観光客の男は、警官の姿を不思議に思い、車内に座りながら見ていたが、電車の自動ドアが閉まりそうになったので、ドアが閉まろうとするところに警官は足を挟み入れて、自動ドアは閉まろうとするところ彼女の硬い靴に跳ね返されて勢いよく弾かれ、自動ドアは閉まろうとしても閉まらないので、何回もドーン、ドーンと音を立てながら彼女の硬い足に跳ね返されたドアが勢いよく行ったり来たりを繰り返した。何事が起こったのかと僕は吃驚したが、彼女が振り返ると、後ろから複数応援の警察官が現れた。数人の警官が車内に入ってきたかと思うと、僕の前に座っている男を捕まえて、そのまま連れ去ってしまったのだ。

といっても目の前で起こったのはそんなに強烈な捕物劇ではなく、不審な男の前に立った二人の警官が、彼に詰め寄り幾つか声をかけ、こっちへ来いというようにすると、男は大きな荷物を再び自分で抱え、しぶしぶ警官の後について、電車から出て行ったという状況なのだ。その間中、女性警官は自分の片足を自動ドアのレールに差し入れ続けていて、自動ドアは機械の宿命として、閉まろうとしてもその足に跳ね返されて閉まらないので、いつまでもドーン、ドーンと音を響かせつつ、虚しく行ったり来たりを繰り返し続けていた。自動ドアがちゃんと閉まったのを確認しないと、このすべてがコンピューター制御で動いている深夜のモノレールは発車できない宿命なのだ。見事な女性警官に見事なモノレールのシステムともいえるが、深夜に意味不明の捕物劇が僕の目の前で去っていったのだった。

この意味不明なシュール性はしばらく僕の脳に焼き付いてしまった。しかし静かになったモノレールは、諸行無常にも以前の同じ通常運行となって、動き出していった。言えることは、すべては機械仕掛けだったということ。それにしてもあの田舎者の旅行者は一体何だったのだろうか。不思議な感触だけが残った。

23-1

駅を出てから階段を伝い路上に降りる。そこは薄暗闇の中に寒いバス停になっていた。ニューヨーク市の郊外であり場所も名前もよくわからない場所だ。そして駅前だというのに特に街灯も乏しく、開いているような店もない。零時を過ぎているとはいえこちらのほうでは深夜も飲み屋やコンビニを駅前で営業するという観念はないようだ。駅前で一軒だけ灯りをまだ灯している場所というのはどうやらバスの営業所だけ。そして冷たい風の吹く中を十数人の人々が、深夜のバスを待って並んでいた。警官の言っていたこと。もはや彼自身が早口で最後の方は冷たい感じになっていたのでよく聞き取れなかったんだが、たぶんこのバスに乗ればJFKまで行けるということだろう。そう考えて僕も並んでいた。駅前だが既に真っ暗なロータリーの空間があり、その外は大きな街道に面しているようだ。そして三月の深夜にニューヨーク郊外を吹きすさぶ風は強く冷たかった。

それでも終電後のバスに並ぶ人々の相は慣れているものか。アメリカ人の人々といっても庶民的というか、労働者風というか、もっと端的に言えば貧しそうな人が多かった。おじさんたちに、若い女もそこには混じっている。強風の中を乱暴な運転に見えるようなバスが、荒々しい模様で、二台ほどロータリーの中に入ってきた。僕は前に並ぶおじさんに、JFKへはこれでいいのかと聞いていた。そして深夜のバスへと列を為して乗り込む。終電後のバスの運行だが、東京でもそういうバスはあり、普通にちょっと高めの、しかしタクシーよりはずっと安い料金を取られるものだが、ニューヨーク市ではそれが無料で運行されているということだった。こういうところはさすがというものか。バスは乗客を詰め込むと、やはり荒々しく思えるくらいに力強く、広く暗闇の広がる大街道へと出て行った。

人々はバスの中で揺られていた。座っているものも、立ってポールにつかまるものも、一様にみな無言で受動的に、運転手のハンドルさばきに翻弄されるように揺れていた。疲れたようなバスの車内だった。そして上から照らす電灯は薄ら白く暗かった。しかしこんな疲れきったような週末の空間にも、何かこの街に生きていることの幸せの種子を探すことはできるだろうか。僕はそんなこんなを想いながら座席にすわり探していた。窓の外には暗いニューヨーク市の郊外が広がっている。余りに暗いためそこには一面何もないように見える。電気の光で照らされるのは一部だけで、深夜に営業するような店は日本と違ってはるかに少ないのがわかる。遠くに橋やハイウェイがある場合は、その周辺が線状を為して光で疎らに照らされているものだ。しかし他には何もない。何の気配も感じ取ることができない。ただ闇の中を荒々しいバスはスピードを増して走り続ける。郊外のハイウェイで道沿いには住宅が並ぶのもわかる。普通の家の軒下には大きなサーフボードがかけられている。サーフボードの脇をバスが猛スピードで通り過ぎていく。そうだニューヨーク市でこの辺はもう海も近いはずなのだ。そういえば窓の外を吹く風の調子も、海の予感を反映してか、心持ち巨大で力強く、人力などをはるかに凌ぐ、神々しいい嵐のように見えるものだ。風の強さは海が近い証拠だ。

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それは郊外から郊外へと繋ぐごく短い路線だった。15分ほどの時間か。この白人警官と二人っきりで過ごしたのは。路線を電車は走り終えたようだった。またそこも小さなターミナル駅に到着するともはや半ば不機嫌な顔つきになっていた警官の後に続いて僕は電車を降りた。降りた所の駅もやはり何か物哀しさは拭えないような寂しくてちっぽけな終点の駅だった。そして三月の夜にあってやはり寒々しい。人はそこで疎らに電車から降りてきてわずかながら人間達の動きが確認されている。警官の後に従いながら歩く僕は、その半ば駅の電灯も消灯されているようなホームと改札の横に、トイレの入口があり、トイレの中もやはり電気は消えているどころか、入口の所にはそこに人が入らないように重々しい鎖が何重かにかけられて垂れているのを目撃した。そしてトイレの中はというと不気味な暗闇の洞窟のようにしかもはや見えなくなっている。

そういえば目下のニューヨーク市内において、地下鉄の路線の駅というのは、公衆トイレの使用を、セキュリティ上の理由からすべて閉ざしてしまったという話は、チャイナタウンでランチをとっていた時に、村田さんから聞いていた話だったことを思い出したのだ。市内でその大々的なセキュリティの政策を実行したのは、前の市長にあたるジュリアーニ市長の時だった。そしてジュリアーニというあの頭のはげてるけどどこか芸能人のように愛嬌ある顔で眼鏡をかけた市長の時に、この街では911という世界史的大惨事の事件を経験したのだ。以後、ニューヨーク市では殆どの公衆トイレが使えなくなってしまった。理由は、セキュリティ上の不安があるため。そして各駅にもあったはずのトイレの入口には、こうして重々しい鎖が表からぐるぐる巻きにまかれているということだ。そして僕と最後まで話の咬み合わなかった警官はといえば、特に僕のように愛想が苦手な外国人には未練もないと見えて、言葉も少なげに、ここの改札口のところで去っていき、今乗ってきたのと同じ電車が折り返すのにまた乗っていった。

さて余り話を聞いていなかったのでわからないのだが、警官の背中が示していたのは、ここの駅で降りろということなのだろうか。彼が去った後になってはじめて自分の今いる不可解なポジションに僕は気付いた。周囲の疎らな客の動きを見ていると、みな駅の改札からは出て降りていって、外にあるバス乗り場のような場所に並んでいるようなのだった。もうJFK空港まで繋ぐ電車はないからここからバスで行けということか。ようやく僕はこの奇妙で寒々しい深夜の情況を理解しはじめた。

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ニューヨークの市内を走っている電車にとって、それが地下鉄として地下の中を走っている区間というのはマンハッタンの島を中心にした区域であって、そこから延びる路線が郊外の方へ入ってくれば、それらは普通の電車として地上の上を走っているものとなる。通常の通勤電車のようなもので。だから僕と警官の二人を乗せて走る深夜の電車も、警官の背後に見る窓の外に開けたニューヨーク市の有様だが、真夜中なので、暗闇の中に曖昧な光のラインが続いたり途切れたり、といった意味不明な風景の流れだけを、巨大な街があるという痕跡だけを見れるというように、そこでは知ることができた。

ただ風景の存在をそこでは、感じることだけができるといったもの。肝心の風景そのものはずっと暗闇と微かな光の中に埋没したまま、列車は走っていた。

そして15分ほどの時間は、僕はこの若い背の高い白人の警察官と、車両の中で二人だけで、お互いのシートに向かい合いながら、一緒にいたものだった。もう最後の方はコミュニケーションが齟齬を来たし、お互いに続かず、何か変な顔をして二人だけ、電車の車内に取り残されたように座っていたはずだ。

僕がどうも疲れているせいか、口から出る英語がいかにも本で覚えましたというような形式張った概念語ばかりだったので、突然警官は顔つきを変え、あんたは結婚してるのか?女房はいるのか?子供はいるのか?と語り出した。

なんでそれを持つ必要があるのか?そんなことは自由であるはずではないか。だってここはアメリカだろう?僕は独り身で自由で楽しく普段から東京の近所で生きているんだよ、と答えた。するとまだ若そうに見える警官の男だが、いや男というものは、しっかり女房をもらって家族を持たなくてはならない。それで国家の為に尽くすんだと真顔で話し始めた。そこまで聞くと、やっぱこの兄ちゃんはマズイやという気持ちになってきた。しかし警官の方は、それが本気なのだ。本気でそう信じて生きてるし他人もそうしなければならないのが当然と考えている。

アメリカ人の正体というのは田舎者だと噂は聞いていたが、その田舎者ぶりがここまで本物なのかと知ると、ちょっと怖いような気もした。そういう意味ではまだ東京の警察官のほうが洗練されているのかもしれない。しかし東京の警察官は最初の瞬間に絶対にあんなに優しく語りかけてくれることもないものだ。アメリカ、そしてニューヨークといえども、まだまだ時間は止まっている。そして人々の意識の上においては、ある種時間が止まり続けていることが、同時にその国の道徳的な意識も保障する仕組みにもなっている。なんというか道徳意識の悲しさみたいな話だが、現実というのは大抵の国では、そんなレベルなのだろう。まだ若そうなのになんて保守的で進化の止まったようなアメリカ人なのだという印象だ。しかしアメリカ人というのはこれがたぶんスタンダードなレベルなのだ。特に何かがアメリカ人だからといって優れていたわけではなかった。まったく凡庸な普通の一庶民の姿だ。そしてそういう凡庸な個体の群れがはるか巨大に連なった先に、僕らがテレビの中で見るアメリカの政治家たちの姿がある。国家の姿と国民の姿。

22-4

ニューヨーク市警の警官。上から下まで制服に身を包んだ背の高い警察官の男だった。頭に被るキャップにはNYPDの文字がしっかり入っている。そして警官の男は白人である。ここアメリカという土地の上では、いかにもという感じの白人らしい白人でしかも警察官だったとでも言おうか。その男に、JFK空港に行きたいのだが行き方がわからず困っていると僕は訊ねた。OK。それなら僕についてきなさいと、その親切心溢れるような若い警官は僕に答えて歩き出した。ホームには終電で運行の終わった車両がそのまま何台か並んで止まっている。ひと気のない静まった車両には灯りのついたままのまだ仕事が終わってほやほやのものからもうひっそりと消灯して暗く静かに眠ってしまったような車両も並んでいる。そんなホームの合間を縫って、勢いよく闊歩する元気のよい若い警察官の後を僕は着いていった。一台の電気を灯して止まっている車両の中に乗り込み、車内には僕らの他に殆ど乗客の姿は確認できなかったが、その広々とした車両のスペースを贅沢に使いきりお互いに向かい合うようにシートに座り、警官は前屈みになり、旅行者である僕のことを好奇心で見つめながら、やたら気前のよい善良な素振りをする警官で白人の男であり、彼がこのニューヨークという街にあっていわゆるいい人の部類に入るような市民の像であるには違いないと思われた。深夜の電車は動き出し、暗い車内の電灯を浴びながら、警官の男はやたら親身に僕に向かって話しかけてくるように見えた。だから僕も出来る限りのことをして、この若い白人男の善意の会話には答えてあげなくてはならないという気がしていた。しかしそれにしては僕には疲労がたまっていた。警官のする話というのは、分かりやすい話が多かった。というかいわゆる常識的な通念を改めて世間話のように確認するといった程度の、平凡な話だけという意味だ。それでもこの男が熱い警察官であることはよくわかった。しかしそうこう応答するうちに、僕は疲れていたので、ついつい本音の話が出るようになった。警官を相手に、ニューヨークの野球の話や、バスケやフットボールの話、あるいはガールズの話でもずっとしていれば、最もわかりやすかっただろう。しかし言葉の節々に、ついつい英語が不自然なことから来る抽象的な概念の語やらが僕の口から出てしまうと、なんでそんな言葉を使うのかわからないといった怪訝な顔を向こうからされてしまうような、そんなギクシャクした話にも落ちがちな状態の、電車の中の関係だった。日本から来た。東京の近所に住んでるんだ。それでニューヨークの感想はどうだい?いやアナーキーな街だったよ。こんな感じで僕は疲労の中不自然な英語を繰り出そうとするのだが、そんなところで形容詞がanarchyだとか、あるいは多様な議論が満ちているとか決定不可能な街だったとかいう意味で、contoroversyなんていう単語が僕の口から出てくると、なんでそんな変な言葉を使うんだという怪訝な顔をされて、警官の方も口が止まってしまうという様だった。一番最初に声をかけてくれたときは、やたら威勢良いほど積極的かつ攻撃的な勢いで親切に見えた警官の男だが、そういう善意の威勢のよさとは、決して長続きがするものではなく、持続可能なものではないということ。この過剰に見える初対面の親切のよさとは、警官の男にとって若さによるものだったのかもしれないが、奇妙な意気込みの仕方ということでは、アメリカ人そしてニューヨーカーの一般でもこういう空回りするような親切と元気のよさというのは、多く共有されているような気もした。

人間性がよく成熟していない地域や国では、親切の熱意も大胆なバッターの豪快な空振りのように、どこか垢抜けないものを見せるが、ニューヨークで生きている限り、このともすれば田舎者にも見られるような単純さと威勢の良さというのは、挨拶のようなものであって、決してそれは深入りするようなものではないと、人々も了解の上で、あくる日にはすぐ忘れてしまうもの、忘れてしまうような一回性の善意であって構わないということが、土地の前提として共有されているようなものなのだろう。つまりその時限りは善意の塊のように見えても、もう次の日には全く忘れていて構わないような、そういう深さのない人間関係が通常だということ。頭悪そうな国民にも見えるが、それはそれで自由な国民であるということには変わりないのだろう。忘れることが日常的で許されているが故に、自由で、うまく回転する。そういう関係性の街だ。きっとこの白人の警官の男にとって、恋愛するときもそのくらい情熱は熱くなりやすくまた冷めやすいし、忘れても構わないし、後腐れもないような、そんな人々の空間としての、ニューヨーク市警の人々の空間。そんな空間性が、彼の背後には、開けているように見えたものだ。

22-3

その夜は不安な夜だった。そして僕はニューヨーク市の地下鉄をランダムに乗り継いでいた。特に積極的にどこかに行きたいという欲望があるわけではない。むしろ何ら今夜一晩の時間に積極性が望めないので、しょうがないのでそうやって時間を潰しているという風だった。

財布の中味ももうギリギリの底まで来ていることは自覚していた。しかし深夜であり地下鉄であり、またたまに電車が地上に出てきたところで風景も望めないことで、どこまで電車がいっても、それが何もない暗いチューブであるという印象は拭えなかった。下水道のような暗渠の中を巨大な牛のような機械が猛進を続けている。なんか巨大な人体の体内で腸の中を行ったり来たりしているという印象。そしてそんな印象が相応しいぐらいに生臭い電車であり駅であり地下鉄システム全体の不気味な有様だった。

ここで下手に無駄遣いしたくない。そう思っている僕の行く末は次第にある一つの方向へとむけられているようだった。それはJFK空港の近くへと、明日の安心を確保するために、地下の行脚は自然とそちらの方へと乗り継ぎが意識されていた。そうこうしてるうち遂にある路線の終点地点まで乗ってしまったようだ。もうこれ以上電車がないようである。

終点にしては中途半端で小さな駅のホームに立って、電光の時刻表を眺めていた。だってニューヨーク市の地下鉄とは終夜運行ではなかったのか?それは一部の路線に限ってのことであり郊外へと続く大半の路線は普通に終電があるようだった。日本の駅と比べてはるかに、そこでは純粋に機能的なものしかホームの上には存在せず、日本なら大抵の駅ならば自動販売機なり休めそうなベンチやら企業の広告やら案内の表示やらと、人の気分を和ませる工夫が、終点の駅というなら必ず何らか置いてあってそれなりに工夫されているような気がするものの、ニューヨークで郊外の終点といえども、そこは見事な殺風景で、終点だからといって改めて落ち着いて何か考えるなり、物思いに浸れる空間なりを与えてくれるような様子はなかった。

場所は色としても殺風景で、地下鉄の中からずっと続いてきたように、茶色い石の色、コンクリートならば埃とともにくすんだ色の印象しかなかった。ぼやっと茶色いホームにやはり薄暗い橙色の最も安い電灯の色というイメージしか存在しない地上、そして駅のホーム。

そんなところでかろうじて時代性を確認させてくれるような上方から吊るされた電光掲示板に電車の情報を読み取ろうとホームに立っていた僕に、一人の警官が声をかけてくれた。

22-2

ニューヨークの深夜に地下鉄で、若い黒人男が突如立小便をする様を目撃した車内では、僕の隣にいた数人の女性たちは、やはり黒人かヒスパニックの女性で、ここで下手に視線を合わせたらいけないといったように、首をつんと硬直して立てたまま、視線を不自然に漂わせ、蝋人形のような頭を不安定に揺らせていた。女性たちの顔と首の緊張した立て方というのは、昔サンダーバードのテレビ番組にあった人形劇で、あの人形の首が視線も不自然に首を揺らしている様と同じ様だった。サンダーバード。それはアメリカが60年代に制作してその後日本でも放映してヒットした人形劇のドラマだった。あのドラマに出てくる人形の首の動き、特徴的で不自然に揺らぎ続けるあの首の動きだ。深夜にニューヨークの地下鉄に乗っている労働者の帰宅風情な女達の表情というのも、まさにあんなように、正直な感情を表現するのが不器用で、不自然に、宙吊りになった人形の首のように、走る電車の動きに合わせて、深夜の零時に揺れていたものだ。しかしそれにしても、電車の中で小便をする男というのを、僕は日本の電車でも実は見たことあるのだった。それは東上線に乗っている時で、自宅に帰るため終電近くの電車に乗っていた時のことだ。池袋から埼玉県の郊外へと向けて走っている夜更けの東上線車内において、その日殆どもう客は乗っていないような状態だったから、終電近くで乗客が少ないなんて、それはウィークデイの電車ではなく、土曜か日曜の夜だったのだろう。客が疎らな電車の車内で進行方向にとって最後尾のほうに僕は乗っていたのだと思う。その中に酔っぱらいの若い男がいたのだ。よく日に焼けてる男だった。健康といえば健康そのもののような若い男だった。男は友人を連れていたかもしれないが友人は途中の駅で降りてしまったのだ。男は泥酔していた。それでシートの上に寝転がったり何やら意味不明の声をあげていた。僕はしらふで座席に冷静な気分で乗っていただけだったが、男は突如としてシートの上からむくりと起き上がり、堂々と車両の連結部分で立小便をはじめた。その車両には連結部分にドアなどついていない、新しい型で清潔な車両だったが、男が電車の中で立小便する姿は、露骨に電車の中では際立っていた。しかしその男の行動を気にしうるくらいの近くにいる他の乗客というのは僕の他には二、三人ぐらいだったのだ。泥酔した男は長い小便が終わると再びシートの上に寝転がっていた。そこで考えられることだが、公共の電車車内で勝手に小便をはじめる男というのは、世界的な規模でみても決して珍しくはないのではないかということだった。今のように清潔な電車が多くなった時代には、いざそれを目撃したら吃驚するかもしれないが、電車というものにまつわる長い歴史の中では、別に特に珍しいともいえないような、行為の有様ではないのかということだ。日本だって昔の列車は相当に乱雑でカオスのように走っていた時代もあるのだ。列車から飛び降りたり走ってる列車に途中から乗り込んだりするような人だっていたのかもしれない。インドや東南アジアの列車の風景を今でも見てみれば、発展途上の地域では相変わらず列車とうのは、人間のカオスをそのまま乗せて走っているような代物ではないか。だから、電車の中という空間は、本来何が起きても不思議がないような微妙な公共空間であるとは、案外真の姿なのかもしれないということだ。